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未完成の恋
005


「せ、せんぱい……何でここに…」

かすれた鼻声の俺は涙目のまま颯太先輩を見上げた。俺と同じくらい取り乱している先輩の後ろには、友達らしき数人の男がこちらを遠慮がちに伺っている。

「俺は委員会の帰り……圭人、お前どうしたんだよ」

先輩は床に膝をついて目線を俺と同じにした。先輩の顔が間近になり俺は恥ずかしさから顔を隠す。

「…お前ら、悪ぃけど先行っててくれ」

先輩は後ろの友達にそう言った。彼らは黙ってこの場を立ち去ってくれた。

「圭人、すぐに人がたくさん来る。ここは目立つから移動しよう」

俺の肩に優しく手をまわし、立ち上がらせようとする先輩。彼の気遣いに俺はおとなしく従った。

先輩がすぐそばの空の教室に入るよう俺を促す。引っ張られるまま俺は足を動かした。

「座れ」

先輩は俺を椅子に座らせ自分も向かいの椅子に腰を下ろす。

「何があったんだよ、圭人。お前が泣くなんて」

颯太先輩は俺の頬に手を添え親指で涙を拭った。少し落ち着いた俺はゆっくり呼吸をととのえる。

「──また、成瀬か」

九ヶ島の名前が出たとたん、息が詰まるかと思うほどの衝撃が走る。そんな俺の様子に気づいてか先輩は険しい顔になった。

「話せ、圭人」

厳しい命令口調。なぜかそれが俺を安心させた。

「せんぱいっ…」

さらなる安心が欲しくて俺は颯太先輩に抱きついた。先輩の肩にぐちゃぐちゃになった顔をうずめる。先輩もそんな俺を優しく抱きしめてくれた。

俺はこれまでのことを全部余すところなく話した。九ヶ島との関係が一度では終わらなかったこと、九ヶ島が告白してきたこと、そして俺の九ヶ島への想いを。

「俺っ…最低だ…! 九ヶ島はひなたの好きな人なのに……」

俺はわざわざ一番つらい道を選んでいた。どうしてこんなことになったのか、まったくわからない。もしわかることがあるとすれば、それは自分自身の感情だ。九ヶ島に『好きだ』と言われたとき、俺は確かに幸せだった。たとえ相手が男だって、親友の恋人だって、そんなのどうだっていい。俺はこんな自分勝手な感情を今までずっとごまかしてきた。九ヶ島なんて好きじゃない、そう自分に嘘をついてきたのだ。でも本当は違う。嬉しかった。アイツが俺を必要としてくれることが。アイツに愛されていることが。

それに気づいたきっかけが、九ヶ島の本性を知ったから、だなんて。随分と皮肉な話だ。

「きかせてくれ、圭人」

真剣な口調で俺に尋ねる先輩は何度も優しく背中を撫でてくれた。先輩の声が、感触が、心地いい。

「お前は天谷のことを忘れてでも、成瀬と一緒にいたいか? それ程圭人は成瀬が好きなのか?」

そんな質問、悩む必要なんてない。前にも選んだ選択だ。先輩の問いの答えは考えなくても見つかっていた。

「俺は、ひなたを裏切りたくない……ひなたが大切なんです…」

九ヶ島への好きとひなたへの好きとは違う。でもその好意の大きさを比べれば、ひなたが九ヶ島に負けることはない。

「だったら、話は簡単だ」

先輩は至極あっさりとした口調で、やっと落ち着いてきた俺に言った。

「成瀬のことは諦めろ。本当に天谷が一番大切なら、成瀬とは会うべきじゃない」

「っ……」

颯太先輩が言ったことは正しい。それは俺だってわかってる。ただ、酷い正論だ。

「圭人」

「わかってます…!」

少し責めるように名前を呼ばれ、俺はほぼ反射的に叫んだ。

「九ヶ島とはもう、会いません…」

口にした途端、深い悲しみに襲われる。無意識にしろ俺は九ヶ島と会うことを望んでいた。もうそれが叶わないことに慣れなければならない。

「うぅ……」

「けい、と…?」

突然激しく泣き出した俺に先輩は焦りだした。止めたいのに止められない。自分でも訳がわからなくなるほどだ。

「俺っ、九ヶ島を忘れたい…、忘れてしまえば……こんな気持ちも、忘れられるのに…」

もしも九ヶ島を、この感情も忘れられるのなら、どんなにいいだろう。

「先輩、俺どうしたら……んっ」

言い終わる前に口をふさがれた。先輩の顔が目の前にあって、俺にキスしてる。一瞬なにが起こったのかわからなくなった。目を丸くさせる俺から颯太先輩はゆっくりと離れた。

「忘れたいなら忘れればいい。俺が、忘れさせてやる」

平素の俺なら拒否していたかもしれない。でもこの時の俺は少しもおかしいとは感じなかった。理由は簡単、颯太先輩が俺を傷つけるようなことをするはずがないと知っていたからだ。

「泣きたいなら、思いっきり泣けばいい。我慢する必要なんてどこにもない。そうだろ、圭人」

ああ、なんて優しい言葉なんだろう。甘い誘惑。是が非でもそれにすがりたくなる。
先輩の優しさにつけ込むことはよくないことだ。でもそれでアイツを忘れられるなら──


先輩の首に手を回し今度は俺から口づけた。九ヶ島とのキスよりも、もっと深く、長く。

流れてゆく涙と共に九ヶ島への想いも消えてしまえばいい。俺が今までしてきたことで得られたものは、なにもない。今の俺に残されたものは、間違った醜い感情だけだった。


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あきゅろす。
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