未完成の恋
002
『今日も、いつもんとこ来いよ』
そんな電話一本で、体育倉庫に足を向けている自分が疎ましい。しかも今日はいつもよりさらに足取りが重い。理由は一目瞭然だ。
誰にも見られていないことを確認しながら、やっと目的の場所にたどり着いた。
「圭人」
すでにそこにいた九ヶ島は俺の姿を見て嬉しそうな笑みを浮かべる。俺は複雑な心境だった。
「早く入れよ」
立ち尽くしたままの俺の腕を九ヶ島は掴む。
「ちょ、九ヶ島っ…」
その優しげな表情とは裏腹に、俺を強引に倉庫に連れ込む九ヶ島。奴はガシャンと音をたてて鉄の扉を閉める。その音がこれから始まる行為の合図だ。
「九ヶ島…、俺……」
「圭人」
俺の言葉を遮った九ヶ島は、息つく間もなく俺を抱きしめる。
「…今日もずっと、圭人のこと考えてた」
耳元で囁かれ俺の体は震える。どうにか逃れたくて、俺は首をすくめ目を閉じた。
「圭人、こっち見ろ」
顎に手をかけられ、無理やり、と言うには優しすぎる力で顔を引き寄せられる。俺はまだ目をつぶったままだったが、九ヶ島の顔が瞼の裏に浮かぶようだった。
「見ろってば」
そのまま唇に吸いつかれ俺は思わず目を開ける。目の前には九ヶ島の大きな瞳があった。視線をそらすことは出来ない。
奴の手が俺のシャツの中を弄り、肌をなでられる。そのもどかしい動きに俺は再び目をつぶった。
「圭人、俺、お前が好きだ」
唇をやっと離したかと思えば囁かれる愛の言葉。これが本当にあの九ヶ島なのか、と疑いたくなる。噂の中の九ヶ島は、性欲処理の道具として男とセックスする最低男だった。それがどうして、こんなことに。
「俺は、ずっとお前とこうしたかった」
「ぅあ……!」
いきなりズボンに手を入れられ、驚きのあまり意思のない声が出た。
「夢みたいだ」
足元から崩れ落ちそうになり、俺はすぐ後ろにある壁にもたれかかった。快楽に正直になりそうな体を必死で抑える。九ヶ島はそんな俺を熱を含んだ瞳でじっと見ていた。
「んっ……」
声を出すまいと必死で耐えた。すると九ヶ島の手が俺のベルトにかかり下にずらそうとしてくる。逃げようともがくが、体をあずけた後ろの壁が邪魔をした。
「やめろ……!」
俺は九ヶ島の腕をつかみ、息を吐くようにそう言った。
「圭人?」
おもしろくない、そんな表情の九ヶ島。いつもの俺がここまできて抵抗なんてしないから、変に思っているのがわかる顔だ。
「手ぇ…放せ」
九ヶ島の腕を押し返す。薄暗い倉庫の曇りガラスから差し込む微量の光が、奴の歪んだ顔を照らし出した。
「何だよ今さら」
不機嫌な九ヶ島の声に俺は必死で頭を振った。
「嫌だ…、したくないんだ九ヶ島……」
今の俺は罪悪感の塊だった。ひなたのあんな泣きそうな顔を見て平気でいられるはずがない。たとえ間接的でも、俺はひなたを悲しませている原因だ。
「…ごめん。今日はやめてくれ」
明日になってこの罪悪感と苦しみから解放されるとは思えないが、今この時ひなたを裏切ることは俺には出来なかった。
そんな俺を見て九ヶ島はしばらく何も言わなかったが、やがて、今までぎゅっと不機嫌そうに結ばれていた口を開いた。
「………わかった」
九ヶ島の言葉に、体の力が抜ける。ふと見上げた九ヶ島の表情はどこか悲しそうだった。
「今日はやめてやる。だから、明日は覚悟しとけよ」
九ヶ島は俺の頭を優しくなで短くキスをする。涙が出そうになったけれど、俺はそれになんとか耐えた。
「…じゃあな、圭人」
応えられない後ろめたさで目を伏せる俺。俺の手を握る九ヶ島は少し名残惜しそうだった。
こんなことをしても罪悪感が消えるどころか、俺の胸はさらにきりきりと痛んだ。自分ではどうすることもできない感情に囚われた俺は、九ヶ島が出ていった後もしばらくそこから動けなかった。
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