放課後の屋上で 008 おれの提案で、森田とおれは屋上にいた。おれも森田も、人目をさけたかったからだ。 「俺も知ったのは最近なんだけど、高宮、深刻な病気だったらしいんだよ」 森田は床に目をふせたまま話しだした。 「病気のことがわかったのは、春休みらしい。─もう、手遅れだったそうだ」 おれの心臓がキリキリ痛みだす。 苦しそうに顔をゆがませる森田を見て、彼もそうなのかもしれないと思った。 「それでも高宮は学校に行きたいって言って、高宮のお母さんはそれを許したんだ。息子の好きなようにさせたいからって」 低い声で話す森田がゆっくり首を振った。 「でもお前も知ってる通り、高宮は高校でまったく友達を作らなかった。中学の頃は明るくて、友達の多い奴だったのに」 おれは、黙って森田の話を聞いていた。 屋上は、風一つなかった。 「そんな時、高宮に手術の話が入ったんだ。ただ、成功率は五パーセントもなかったそうだ」 おれの背中に、汗が一滴流れ落ちた。 森田はあぐらをかいている足に、両手を乗せた。 「といっても、このまま放っておいたら死ぬだけなんだから、手術を受ければいいのに、高宮は首を頑として縦に振らなかった。成功率の低さを考えたら、しょうがないと言えばそれまでだけど」 森田が足を組み替え、身を乗り出した。 おれの心拍数が、また上がるのを感じた。 「でも、ある日高宮が急に手術を受けるって言い出したんだと。今までどんなに親が説得しても『嫌だ』の一点張りだったのに」 森田が顎に手を当て、不思議そうに考えこんだ。 「それで、手術をするために“転校”って名目で、学校を離れたそうだ。…まあ、全部後から聞いた話だけど」 だんだんと声がか細くなる森田。おれは、息を呑んだ。 「それで、手術は…?」 森田の顔が、一瞬にして崩れた。 「そんなの、わかんだろ」 そうか。 高宮は、もう─── 森田は少し怒ったように唇を噛み締めていた。 「俺がその事を知ったのは昨日だった。昨日だぞ、昨日。おふくろから聞いたんだ。高宮、友達の誰にも言わなかった。連絡をとりさえしなかったんだ」 森田は泣いてこそいなかったが、声が悔しそうに震えていた。たぶん、森田も高宮の数多い友達の一人だったのだろう。 「ありがとう、森田」 おれが頭を下げると、森田はゆっくり立ち上がった。 「…高宮に、高校の友達がいたとは思わなかったよ」 森田は穏やかにそう呟き、おれに背を向け歩き出した。 ひとりきりになった屋上で、おれは森田から渡された高宮の手紙を開いた。 真っ白な封筒に真っ白な紙。そこには初めて見る高宮の文字で、こう書いてあった。 泉水へ お前が何と言おうと、 俺はお前が好きだ。 きっと、また泉水に会いに行くから、その時はもっとたくさん話をしよう。 俺は、お前のために生きるよ。 短く、簡潔だったが、高宮の気持ちが形として残り、痛いくらいに伝わってきた。 秀一、 おれは、お前が─── 高宮の手紙を読んだ瞬間、おれに、この時の状況にはそぐわないであろう感情が生まれた。 悲しみに浸り、泣いてもいいだろう。 いや、泣くべきだ。 それなのに、俺が感じたのは、高宮に対する確かな怒りだった。 どうしてだ、秀一。 涙より怒りが、 悲しみより憎しみが、 鍵をかけたはずの一ヶ月前の思い出から、止まることなく溢れ出してくる。 どうして何も言ってくれなかったんだ。 お前が何も言わなかったおかげで、おれはお前との時間を大切にすることが出来なかった。 お前が何も言わなかったから、おれがこんな思いをしているんだ。 “綺麗な思い出”なんかには、決してなりはしない。 たった一週間となりにいた、それだけの存在。 でも、それでも。 その時のおれは、ただただ、高宮を責めるしかなかった。 何かがじわりと、おれの瞳にひろがった。 あれから一年。 高宮のことを考えない日は、なかっただろう。 何度も自分自身に問いかけた。彼奴のしたことは、おれを悲しませるだけだったのだろうか、と。 高宮がおれに話さなかったのは、もし手術に失敗した時、おれを悲しませないため。 「さよなら」を言わなかったのは、また会える、と信じていたから。 それがわかった今でも、いや、だからこそ高宮への怒りは、薄れはしても消えることはなかった。 高宮は確かに、自分の生きる意味を探していた。 毎晩、ベッドに入ると、高宮のことを考える。 彼奴の生きた意味を。彼奴と生きた時間を。 おれは今でも高宮を感じ、想っている。愛という、憎しみのまたの名を。 end [*前へ] [戻る] |