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Zill O'll infinite2
疑念
「――ご報告申し上げます。アトレイア様の様子に異常はありません。ノーブル伯と面会されてからは、落ち着いた様子で居室にて待機なさっています」
「そうか。ご苦労だったな。……して、ティアナの様子はどうだ?」
「ティアナ様も今は居室にいらっしゃいます。以前のように黙って抜け出そうとする様子はありませんでした。ただ……」
「私に遠慮せずとも良い。ありのままを申せ」
「……はい。戦争の控えたこの状況でありながら、一切臆した様子がありませんでした――いいえ、私の目からはむしろこの状況を、楽しんでいる様にさえ……」
「…………」
「ぶ、無礼を申し上げました。どうかお許しを」
「……いや、構わぬ。続けてくれ」
「恐らく気付いているのは私だけでしょう。ただ、ノーブル伯は何か勘付いている様子でした」
「そうか、ノーブル伯が……あれもなかなか聡い娘だ」

 タッチストーンのもたらす報告に動揺を隠し切れない。
 腹心の部下の表情にも若干戸惑いの色が見え隠れしている。自らが見聞きした事実が信じられないといった様子だった。否、信じたくないというのが本音だろう。それはエリスも同様だった。
 アトレイアに関しては心配は要らないだろう。最初こそ怯えた様子を見せていたそうだが、ゼネテスやイリアの訪問で大分勇気付けられたようだ。あの空中庭園での事件以来、ゼネテスも何かとアトレイアを気遣っているらしい。女性に対しては抜け目がないと思う反面、その細かい気遣いがありがたかった。

 ……問題はティアナだ。この状況を楽しんでいるとは一体どういう事なのか。
 タッチストーンの洞察力は優れている。彼女の見立てに間違いは無いだろう。だからこそ謎は深まるばかり。あの聡い娘が祖国の窮地を知らぬ筈があるまい。
 やはり自ら出向いてティアナと直接話すべきなのだろうか。しかし悪戯にティアナを刺激するのも得策ではないように思えた。
 先日の逢瀬を回想し臍を噛む思いだった。またあの時の様に平静を失ってしまうかも知れない……情けない話だが、ティアナに関しては冷静でいられる自信が無いのが本音であった。

「……ご苦労だった。すまぬが、引き続き任務に当たってくれ」
「はい。異常があれば、直ちに知らせに参ります」
「頼む。私の事は構わぬ、二人の安全を最優先してくれ」
「……畏まりました。王妃様も、身辺にはくれぐれもお気をつけ下さい。……エリエナイ公が、いつ行動を起こすか分かりませぬ故」

 その男の名を口にした途端、タッチストーンの表情が僅かに歪んだ。
 彼女はエリエナイ公の出兵拒否に激しく憤っている。以前、ノーブル伯を人質にしてでもあの男を抑えるべきです、と進言された事がある。
 だがエリスは彼の覚悟を知っている。先の戦争では有効だったが、今回もその手は使えまい。むしろ彼の逆鱗に触れる可能性すらあるだろう。そうなれば、エリス一人の命では済まないかも知れない。それは何よりも恐れる事態だった。

「卿も早急に行動を起こすほど愚かではあるまい。だが用心は怠らぬ。心配は無用だ」
「……お望みとあらば、今すぐエリエナイ公の首を獲る事も厭いませんが」
「それはならぬ。そなたの身が危険だ。あの男は、今や野に放たれた獣と言っても過言ではない」
「…………」
「そなたの憤る気持ちも分かる。だが堪えてくれ。私は、そなたを失いたくないのだ」
「ありがとうございます、エリス様……」

 常にエリスの傍らで支えとなった彼女も、また守るべき大切な人間だった。
 家族の愛情に些か餓えていたエリスにとって、タッチストーンやヴァイライラ、ヴィアリアリ達はかけがえのない存在だった。優秀な部下である以上に大切な娘のような存在。
 感極まったタッチストーンの表情に笑顔が灯される。愛する人間の笑顔という物は何物にも代え難いものだ。エリスの口許にも自然と笑みが浮かんでいた。

「そろそろ任務に戻るが良い。二人の事、くれぐれも頼む」
「畏まりました。では、失礼致します」

 足音も立てずエリスの前から姿を消す。彼女はエリスの宝石達の中でも特に優秀な諜報員だ。ティアナとアトレイアの身の安全については差し当たり心配は要らないだろう。警護の兵も通常より増やしてある。
 ……但し、ティアナについては「監視」という意味合いも込められていたが。母としては心苦しく思うが、今この状況で所在を眩まされては堪らない。
 それに、以前彼女が溢した「友人」の存在も気になっていた。ティアナは親友のノーブル伯以上に信頼している様子だったが、かの人物が娘に害を為さぬとも限らない。ティアナが無断で行方を眩ます原因となっているならば尚更だ。
 観念したのかは分からないが、ティアナもこの状況下で外出は自重しているようだ。それで良い。せめて一連の事件が落ち着くまでは、可哀想だが大人しくしてもらおう。

 戦地から届いた伝令によれば、ゼネテス率いる傭兵部隊は数で圧倒されながらも善戦しているとの事だった。策を張り巡らし着実に敵軍を追い詰めているという。
 また、英雄イリアの参戦で兵達の士気も格段に上がったようだ。彼女がいなければここまで戦えなかったに違いない、と半ば興奮気味に伝令の兵士が言っていたのを思い出す。やはり彼女には感謝せねばなるまい。

 ロストール部隊がカルラ軍を打ち破った時こそが、エリス達にとっての正念場かも知れない。恐らくこれを機にレムオンは動き出す。先程タッチストーンに告げたように、あの男は今や野に放たれた獣に同じ。どのような手段を講じるか分からない。まずは王女達の安全が最優先だ。
 夫セルモノーの周囲にも選り抜きの近衛兵を配置している。油断は出来ないが、レムオンの狙いがファーロス家である限り夫に危険が及ぶ可能性は低いだろう。仮に夫を廃したとしても後が続くまい。国王に害を成した反逆者と謗られるのが落ちだ。彼もそのくらい心得ていよう。

 境遇、というものが時にこの上無く疎ましく感じられる。
 もしもエリスが何の権力も持たぬ普通の女であったなら、或いは人並みの幸せを得られていたのかも知れない。夫と娘と三人で、温かい家庭を築けていたのかも知れない。そして自慢の手料理を毎日振る舞うのだ。腕前にはそれなりに自信がある。きっと二人は美味しいと言ってくれるに違いない――

 勿論、全てを境遇の所為にするつもりは無い。立場を抜きにしても、自分が母親として不器用なのは百も承知だ。だからこそ、この戦いが終わったら全てをやり直してみたいと思った。
 イリアに言われたように、自分達にはまだ未来がある。時間は掛かるだろうが、これから親子の絆を育む事だって出来る筈だ。そして彼女が羨むくらいの睦まじい間柄になってみせよう。



 ――しかしエリスの展望とは裏腹に、狂いし運命の歯車はついに崩壊の時を迎える。
 ゼネテス傭兵部隊、カルラ率いる青竜軍を撃破――届けられた吉報は、しかし彼女達にとって終焉への引き金。
 運命の時が、訪れる。


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