Zill O'll infinite2 二人の英雄 「……そなたは、今の状況をどう見る?」 「有体に言えば最悪だな。運命って奴を呪いたくなっちまう」 冗談めかした口振りと顔に浮かんだ軽快な笑み。まるで緊張感の無い甥の姿にエリスの口許も自然と綻ぶ。 勿論彼女は知っていた。見せかけとは裏腹に、この青年がかつてない程に焦燥と緊迫に苛まれている事を。 しかしそれを決して表に出さないのがゼネテスという男だ。どんなに過酷な状況でも努めて快活に振舞い、その場の空気を和ませる。 エリスにはそれが頼もしく、また同時に少しだけ悲しくもあった。彼は強い。しかし強いが故に周囲に弱味を見せる事を是としない。例えそれが信頼を寄せる相手であったとしても。 「しかし勝機はある。ツェラシェル達の流した偽の情報が結構効いてるらしく、ディンガル軍は大分動揺してるって話だ。カルラの暴挙に反発した付近の住民からも兵が集まりつつある――勝てる見込みは、全くのゼロって訳じゃない」 「打てるだけの手は打った、という事か。……勝てるのか?」 「負けないように最大限の努力はするさ」 勝てる、とは言わない。心許ない話だが、切迫した状況でそう言ってのけるだけ上等だ。ゼネテスが言うのならこの戦争は負けないだろう――この戦争に限って言うならば。 ゼネテスの表情はあくまで飄々としている。しかし覚悟は決めている筈だ。この戦いが収束した先こそが正念場なのだ――彼にとってもエリスにとっても。 その時、不意にゼネテスの目が驚いたように見開かれた。何事か、と声を上げようとしてエリスも気付く。 カツン、カツンという足音。迷いの無い足取りで二人の下へ歩を進める人物。彼女の姿を認めたゼネテスが相好を崩し、エリスもまたその口許に蠱惑的な笑みを浮かべた。 「……おいでなすったぜ、可能性の女神様が」 「それは新手の口説き文句なのかしら?」 そう言って嫣然と微笑むイリアの姿は勇ましかった。可能性の女神とは言い得て妙だ――彼女の姿を少し気障に形容するならば、正しく戦場に舞い降りた戦女神といった所だろう。 白銀の胸当てと腰に吊るされた一振りの剣。ノーブル伯イリア・リューガの戦装束。その出で立ちの意味することは一つ。 「俺と一緒に来てくれるのか?」 「ええ。私もロストールを守る為に、戦うわ」 「……そっか。ありがとな、イリア」 イリアの力強い眼差しに感じる覚悟と決意。だからゼネテスは敢えて問わない。本当にいいのかと。 彼女なりに葛藤もしたのだろう。だがそれを乗り越えたからこそ此処に来た。改めて聞き質すのも無粋な話だ。共に戦ってくれる。それだけで十分だ。 「私からも礼を言おう。そなたの力添えに感謝する」 「……私は、私の大切な人達の為に戦うだけ。お礼なんて要りません」 「フフ……相変わらず手厳しいな、ノーブル伯」 視線がぶつかり合った。無限の可能性を感じさせる目の輝きに思わず息を呑む。よくよく退屈させぬ娘だ。 「叔母貴、さっきの台詞は撤回するぜ……この戦い、勝てる」 「ほう。そなたはノーブル伯を随分評価しているのだな」 「何てったって可能性の女神様だ。この不利な戦局だって、きっとひっくり返せるさ」 「過大評価しすぎよ。私にそんな力は無いわ」 「大切な人の為に一生懸命な乙女の底力は、それはもう強いもんなんだぜ。お前さんの実力は俺が保障する。心配するな」 「もう、本当に口が巧いんだから」 全くイリアの言う通り、この男は口が巧い。緊張で幾分張り詰めていたイリアの表情が和らいでいくのが分かった。 ファーロス家当主とリューガ家の姫君。肩書きだけを見れば相容れぬ両者だが、実際の二人はそうでは無い。先の戦争で共に死線を乗り越え、また冒険者としての付き合いも長い彼らが、強固な絆で結ばれているのは想像に難くない。 然りとて無粋な輩が邪推するような艶めいた間柄でもない。彼らは純粋に友人として相性がいいのだ。そして、それは戦場という場に於いて、この上なく頼もしい絆。 この二人がいれば、勝てる。最悪だった状況に光明が射した瞬間だった――少なくとも、この戦争に関しては。 「……叔母貴。一応聞いておくが、あんた一人なら生き延びる手はあるんだろ?」 「私には守るべき夫と娘が居る。そなたこそ、一人なら生き延びる手立てもあろう?」 「俺にも、守るべき色んなものがあるんでな……それじゃ叔母貴、天国で会おうや」 薄々勘付いてはいたが、やはりこの男は死ぬつもりなのか―― 自ら進んで散る気は無いだろう。だがゼネテスにしては珍しく、生への執着心が以前までのように感じられない。 自分の身も、守るべき大切なものも、全部守ってみせる。以前の彼ならこれくらい言っていただろう。 戦いに勝つ自信が無い訳では無い。理由は分かっている。彼は、エリスと心中する事もやぶさかでは無いのだ。その先に待ち受ける最悪の事態を想定しているが故に。 だが、それは御免被る。 エリスとて覚悟は決めているが、むざむざ死ぬつもりなど微塵も無かった。 生き延びる為に出来るだけの手は打つ。それは一国の指導者というよりは、一人の妻、一人の母親としての決意。矜持をかなぐり捨てたっていい。愛する者達の為ならば。 だが、最悪の事態を想定したとして――自分達の行き着く先は、恐らく。 「……図々しいものだ。地獄こそが、私にもそなたにも相応しかろう」 「分かっちゃいないな、叔母貴。愛する誰かの為に一生懸命な人間の魂は、天国へ行くんだぜ?」 「フフ、先程ノーブル伯にも同じような事を言わなかったか」 「叔母貴もイリアも悲観しすぎるなって事さ。運命ってヤツは、思ったほど無慈悲でも無いらしいからな」 二人のやりとりをイリアは黙って見守っていた。 少しばかり不自然な会話に幾分の疑問は感じただろう。だが敢えて彼女は何も聞かない。琥珀色の双眸を真っ直ぐこちらに向け、静かに佇んでいるだけだった。 「それじゃあ、そろそろ行こうぜイリア。叔母貴、達者でな」 「武運を祈る。ゼネテス、イリア――無事に戻って参れ」 「ええ。エリス様も、お気をつけて」 優雅な動作で一礼し、謁見の間を後にする二人の足取りは勇ましく。彼らと共に戦う兵達の士気は跳ね上がるだろう。彼らこそが勝利を導く勇者であると、きっと誰もが讃えよう。 武運を祈る。もう一度だけ心中で囁きかける。二人がもう一度、無事に祖国の地を踏めるようにと。 そして再び笑顔で相見えようぞ――全てが終わったら、あの日の約束通りイリア達をお茶会に招待しよう。ゼネテスも誘ってやらねば拗ねてしまうな。レムオンはいい顔をしないだろうが、そこはイリアの采配に期待するとしよう。賑やかな顔ぶれだ。夫もティアナもきっと喜ぶだろう――ああ、その日がとても楽しみだ。 立ち去ってゆくゼネテスとイリアの背中を見送り、エリスは小さく嘆息する。 この時は誰もが、これが今生の別れになるとは知る由も無かった――運命は斯くも残酷なシナリオを、その先に用意していたのだった。 [*前へ][次へ#] |