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Zill O'll infinite2
花園の王女
 ティアナの部屋へ向かう道すがら。
 色とりどりの花の咲き乱れた空中庭園に足を踏み入れ、エリスはふと歩んでいた足を止めた。

 思い起こすのはあの新月の夜の出来事。
 闇に堕ち、ヒトでない者へと変貌を遂げた、憎しみの権化たる男。
 彼が牙を向けた先は、先の戦争で英雄となったゼネテスと、男の従弟であるレムオンとその妹、そして二人の王女、ティアナとアトレイアだった。
 ゼネテスが負傷するという事態に陥ったものの、レムオンと彼の妹の活躍により大惨事だけは免れた。
 その一部始終を見ていた自分は、この時目撃したある事実を利用しようと、策略を張り巡らせた――結局その計画は頓挫してしまったのだが――あの夜の出来事が鮮明に脳裏に蘇ってくる。

 しかし現在はあの日の騒ぎが嘘であったかのように、華やかな雰囲気を醸し出している。
 艶やかに咲き乱れた花。塵一つ落ちていない石畳。眩しい陽光がそれらを鮮やかに照らし出している。
 石畳に反射した陽光の眩しさにふと目を細める。

 その時、カツン、カツンという小さな足音が静かな空中庭園に響いた。
 目を凝らし、足音の先に視線を向けると、珍しい光景が視界に飛び込んできた。
 色とりどりの花に目をやり、眩しい陽光に目を細め、優しい微笑を湛えているのかの人物は――かつて「忘れられた王女」と呼ばれていた、あのアトレイア王女だったのである。
 卑屈に思えるくらい控えめで、劣等感に苛まれ心を閉ざし続けている――というのがエリスの抱いていた印象だったが、今目に映るアトレイアの姿は、そんなエリスの印象を覆すかのように明るい笑みをその顔に湛えている。
 別人か、と一瞬疑念を抱いてしまったが、自分がアトレイア王女の顔を見間違える筈も無い。
 そうして戸惑いを隠せないでいるうちに、彼女の方もエリスに気付いたようだ。
 顔を上げ、真っ直ぐこちらに瞳を合わせ、ふわりと、まるで花が咲いたかのようにアトレイアは優しく微笑んだのである。
 ――盲目の筈の彼女が何故、自分と瞳を合わせる事が出来るのだ――しかしその疑念を吹き飛ばすかのような、アトレイアの朗らかな微笑み。
 多少面食らったエリスの様子に気付いていないのだろう、笑顔のままアトレイアはエリスの元に歩み寄ると、優雅な動作で会釈する。

「御機嫌よう、エリス様。今日は、とてもいいお天気ですね」

 にこり、と。今まで見たことのない眩い笑顔を見せる少女。
 綺麗な笑みだ、というのが正直な感想だった。

「ああ、そうだな……そなたも元気なようで、何よりだ」

 ありがとうございます、とアトレイアは小さく会釈する。
 この暖かな陽気で彼女も気分が良くなっているのだろう、以前の様子からは想像も出来ないような饒舌ぶりで、明るく喋り始める。

「今日はいいお天気でしたから……部屋に飾る、お花を摘もうと思ったのです。とてもいい香りの花ばかりで、どれから摘もうか迷ってしまいます」
「部屋に飾る花を、か……」
「はい。イリア様が、花を飾ったら部屋も明るくなるだろうと、そう仰ってましたから」


 イリア。彼女の名前を聞いて、エリスはアトレイアの変貌の原因を悟ったのだった。
 イリア・リューガ――政敵エリエナイ公レムオンの妹で、ノーブル伯の称号を持つ少女。
 公式ではイリアはレムオンの異母妹とされているが、それが事実でない事はエリスも良く知っている――彼らは一滴の血も繋がっていない、赤の他人だ。色々な打算から、政敵の弱味をエリスは周囲に伏せてはいるが――
 政敵云々という事を差し引けば、イリアという人間をエリスは気に入っている。無限の可能性を秘めた、輝いた瞳を持つ少女――冒険者としての腕前も相当なのものだと聞いているし、先の大戦での活躍もエリスは評価している。彼女がリューガの人間でなければ、是非とも自分の手元に置いておきたい存在だ。
 そんな彼女が、娘のティアナやアトレイアと親しくしている事も良く知っている。ティアナなどはイリアの事をかなり気に入ったようで、個人的に開催したお茶会などもよく誘っているようだ。
 そしてアトレイア。イリアはロストールに帰還した際には、必ずと言って良いほど彼女に会いに行っている様子である。
 どんな経緯があったのかは良く知らないが、アトレイアが明るくなったのもイリアの影響なのだろう。過程がどうであれ、アトレイアが明るくなった事実はエリスにとって喜ばしい話だ。

「……そうか、ノーブル伯がそんな事を言っていたのか」
「はい。イリア様はとても私に良くして下さいます。他にも色々な事を教えていただきました。お料理の仕方から、お掃除、洗濯など……その、将来嫁いだ時に、役に立つように、と仰ってまして」
「貴族の娘らしからぬ物言いだな……まるで庶民の娘のようではないか」
「で、でも、そこがイリア様のいい所なのだと思います!」
「フフ、そうだな。使用人に傅かれているだけの、ただの貴族の娘よりはよほどいい……。そうは言っても、兄であるエリエナイ公にしてみれば大変だろうがな」
「ふふ、イリア様もそう仰ってましたわ。『兄様ったらいつもいつも、貴族らしくしろって煩いのよ』と……」

 くすくす、と鈴の転がるような可愛い声でアトレイアは笑う。
 その笑顔を見て、イリアは確実にアトレイアに良い影響を与えたのだ、と確信する。
 アトレイアとこうして笑顔で会話を交わせる日が来るとは思いもしなかった……エリスがどんなに気を配ろうとも、彼女は自分の殻に閉じこもるばかりだったから。

「あ、お引止めしてすみません……何処かへ行かれる途中だったのですか?」
「ああ。久し振りにティアナの様子を見に行く途中だった。……母親でありながら、最近は顔すら合わせていない有様だったからな」
「ティアナ様の所へ……」

 一瞬だけ、アトレイアの表情に影が落ちたのが分かった。
 その様子を見逃さなかったエリスは軽く眉間に皺を寄せる。

「……ティアナが、どうかしたのか?」
「い、いえ……ただ、少しだけ良くない予感がしたのです……。す、すみません、こんな事を言ってしまって」
「いや、構わぬ。最近あの子の様子がおかしいのは、私の耳にも届いている」
「そ、そうですか……エリス様、くれぐれも、ティアナ様の事を、よろしくお願い致します」

 何故、彼女がそんな言葉を口にするのかが分からなかった。
 ただ、アトレイアの真剣な様子は、エリスに疑問を投げかけるのを躊躇わせた。彼女なりに何か思うところがあるのだろう。ティアナの事を気に掛けてくれているのは、エリスにとっても喜ばしい事であるから。
 少しだけ胸中に不安を残しながらも、アトレイアに別れを告げ空中庭園を後にした。
 ティアナはどんな顔をしてこの母を迎えるだろうか……そう思うと、何故か、少しだけ胸が痛んだのだった。
 それはこれから起こる転機を、無意識に予感したからなのかも知れない。



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