世界は狭い方がいい
彼女―明良と付き合いだしたのは中等部3年の夏。
それからの毎日が楽しくて、月日の流れを忘れていた。
高等部3年の半ば、大学に上がるための試験勉強を始めなければいけないことに驚いたくらいだ。
成績が悪かったわけではない明良が必死になって勉強をしていたことを初めて疑問視したのはそのときだった。
『あぁ、もぉー!わからないから明日にする。』
「また、明日かよ…(呆)」
彼女は“明日”と言うと俺をジッと見つめ、目を潤ませた。
その時はよほど勉強が嫌いなんだ、くらいにか思っていなかった。
『ねぇ、景吾?世界って狭いよね?』
「狭いとか言うんじゃねぇよ。広いんだよ!この広い世界の上に立つのは誰だと思ってやがる。」
その時の明良の表情など俺は知りもしなかったし、想像もしなかった。
『そうだよね…世界って広いよね!!その上に立つなんて景吾はやっぱりすごいんだね(笑)』
他愛もない話だと思っていた。
しかし、季節が冬から春に傾き始めようとしていたとき、彼女が必死に勉強し、“世界が狭い”ことに同意を求めてきた理由を知った。
『……フランス。親の仕事の都合で行かないといけないの。』
俯いていた明良はようやく顔をあげると俺の腕を掴み、激しく揺さぶりながら言う。
『別れるとか言わないよね!?』
明良は俺を真剣に見ていたが、なにも言えない俺を見て不安が募り、溢れ出した涙が頬を伝って地面に滴った。
俺は突然この話を聞かされ、柄にもなく動揺していた。
「……はっ、そんなことで別れるって言えるくらい俺の気持ちは安っぽいものだと思ってんのか?」
この言葉を聞いた明良は安心したのか、泣き崩れた。
聞けば、日本を出ていく日にちは高等部卒業式の翌日。
過ぎた時間は戻せないのか?と非現実的なことで無駄に思考を巡らせ、頭を悩ませた。
気付けばその日を明日に控えていた。
フランスに行く明良に持たせてやれるものがうまく思いつかない俺は最後の最後まで悩んだ。
それは付き合い始めてから一通り(ネックレスや指輪など)贈り物をしてきたからだ。
悩んだ末、これだ!と確信できたものが決まり、適当に封筒に入れて封をした。
俺は彼女と過ごせる最後の夜、ご両親の承諾を得て一晩ともに過ごした。
そのとき、明良が俺を信じてくれると思えるものを手渡した。
飛行機の中で見ろ、と条件付きで。
翌日、明良は“行ってきます”の言葉を残し、フランスへ旅立った。
俺は見送った飛行機が雲に隠れ、見えなくなった今でも明良のことを思って空を見ていた。
別れ際、明良が言っていた言葉を一字一句として間違いがないように思い出していた。
『世界が狭かったらいいのに、』
前の俺は広い世界の頂点に立つことを目的としていた。
だが、今思えば違う。
狭い世界だったら、明良が例え遠くに行ったとしても少し手を伸ばせば触れられるくらいの距離だったのかもしれない。
そんなことを悶々と考えた。
だが、くじけない。
明良を思う気持ちは広い世界を包み込めるくらいデカいと確信してるから。
「だから明良、安心しろよ?」
世界は広い?
それとも、狭いのだろうか?
『(景吾、なにくれたんだろう?)』
俺からの贈り物、最高の愛の証を今ごろ、飛行機の中で見てるんだろうな。
『うそ……』
“戻ってくる前に明良の名前書いておけよ?”と書かれたメモ書きと、
世界は狭い方がいい
跡部景吾、と名の書かれた婚姻届けを――
** END **
#2007.6.14
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