いつかの恋を
ある休日のこと。
珍しく気持ち良く目覚め、時計を見てその時間に驚いた。まだ7時半だったのだ。
目覚めがよかったのはきっと夢のせいだろう。
「懐かしい夢だったな。」
身を起こしてカーテンを開けると清々しい太陽の日差しを浴び、スズメたちが鳴きながら道路に出来た小さな水溜まりで水浴びをしていた。
「よし。出掛けるか。」
散歩がてら歩いて近場のテニスコートにでも行こうと身支度を始めた。
「行ってきます!」
テニス用具一式が入ったバッグを肩にかけ、家を出て目的地を目指した。その途中にあった公園で俺は足を止めた。思い出深い一本の木を見つめ、夢で見たことと過去の記憶を照らし合わせながら当時のことを思い出していた。
部活に行く途中、急いでいることを理由に公園を突っ切ろうと考え、園内を走っていた俺は泣いてる女の子を見つけ、ついつい足を止めた。
「こんなところで泣いてどうしたの?」
『木にふーせんが…ひっ、かかったの…』
見ない振りが出来なかったから尋ねると女の子はそう言った。それで女の子から目線を木に移すと確かに赤い風船が木に引っ掛かっていた。
しかし当時、中学2年で185センチもあった俺にしたらなんの問題ともならなかった。
幸い、風船は木の枝や葉によって空へ飛んで行かぬところにあったのだ。
「とってあげるよ。」
『え?ホント!?』
たった一言で女の子の表情がパァッと明るくなり、その顔は喜び溢れていた。
俺は手を延ばして風船の紐を目掛けて飛び上がった。
「はい。」
『おにいさん、ありがとう!』
小学生くらいだろうか。麦藁帽子を被り、大きなヒマワリがプリントされた淡い色のワンピースを着た彼女の笑顔はまるで太陽ばかりを見ているヒマワリのように輝かしかった。
「もう手放したらダメだよ?」
『(テニス部?)』
その子とはそれっきりだった。部活に遅刻しかけていることに気付いて慌ててその場を後にしたからだ。結局、遅刻したのだが…
「あのあと、部活に遅れて宍戸さんにお人よしって言われたっけ。」
俺は今、社会人になっている。思い出とは今だから微笑ましいものであり、当時は必死だった、ことに気づきふと笑った。
俺はその公園を横目に再び目的地を目掛けて歩きはじめた。
テニスコートに着くとすでにラケットが置いてあり、先客がいたことに肩を落とした。
「(グリップの太さからすると女の人のかな?)」
立て掛けてあったラケットや置いてある鞄やジャージを見て、コートの先客が女の子、それも自分の母校である氷帝学園高等部の女子テニス部であることがわかった。
『すいませーん!』
「うわ!」
不意に上から降ってきたテニスボールに驚いた俺は頭上からの声に近くにある木を見上げた。
『驚かせちゃったみたいで、』
「なんでそんなところにいるの?」
声の主は木に上っていたのだった。ボールが木に引っ掛かったなんてどれほどのコントロールなんだろう、と疑問を抱いた。
『ちょっと引っかかったんで…きゃあ!』
「っ、」
木の枝がミシミシと悲鳴を上げはじめ、彼女は木から滑り落ちた。しかし、さらに近くの枝に掴んだため、落下は免れた。というものの、その高さから下りれば怪我をする。
「受け止めてあげるよ!」
『私…重いんです!』
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
泣く泣く彼女は枝を手放した。その枝も悲鳴を上げていたし、手に限界が来たのだろう。
落ちてきた彼女を受け止め、俺はそのまま転倒した。
『お世話かけてすいません。お怪我は――ああ!』
「え?」
『鳳さん!』
「なんて、俺の名前知ってるの?」
俺の言葉で彼女は慌てて口を手で塞いだ。どこかで会ったことがあるのかもしれない、とひたすら記憶の中を巡っていた俺は彼女を抱きしめたまま立ち上がってその顔を見ていた。
見覚えはあるが誰かがわからなかった。
『鳳さんの代は有名でしたから。氷帝テニス部OBで。』
「それなら跡部さんのが有名なんじゃ?」
『個人的な理由です。私が鳳さんを特別視してるのは…』
彼女はそう言ってラケットを手にした。それでテニスボールを拾い、俺に一礼した。
『ありがとうございました鳳さん。』
その姿を見て、俺は彼女が誰か気付いた。でも、言えなかった。
「一緒に打たない?」
『え!いいんですか!?』
「引退して長いから現役には負けるけどね。」
『そんなことないですよ!鳳さんのサーブなんか永久不滅です。』
一目惚れしたこの子が高校生になっていたあの日の麦藁帽子の女の子だとすぐにわからなかったことが恥ずかしくて。
「名前聞いていい?」
『あ。すいません!早苗明良です。』
「明良ちゃん、風船は手放したらダメだって知ってる?」
『(覚えてたんだ…)』
「風船だけじゃないけど。」
『え?』
いつかの恋を
もう手放すことはないだろう
** END **
20080923
來恋、一目惚れしたことないんですよね(聞いてない)
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