act.86『約束と誓い』
(こもも視点)
雅治に置いていかれ、こももは景ちゃんと一緒に跡部邸に戻った。
話を聞けば、2日眠っていたらしい。
景ちゃんの体も限界点を越えていると思うと彼になにかしてあげたくなる。
「何か食べない?」
事件前は返答がなかったけど今は違う。
元に戻った彼を見ていると嬉しくなった。
「……フレンチトースト。」
「甘さ控えめで作るね?」
フレンチトーストは雅治に毎朝作らされていたから手際よく作る自信があった。
颯爽とキッチンへ向かい、材料や道具を出した後に戸棚からエプロンを引っ張りだした。
『リョウちゃんのかな?』
こんな綺麗な柄のエプロンをするのは自分にはもったいない、と呟いた。
『さーて、作りますか。』
ボウルに卵と牛乳を入れてかき混ぜ始めた時、ドアが開いた音がした。
見れば景ちゃんが突っ立っていた。
『まだ出来ないよ?』
そう言いながら作業は続けていた。
バニラエッセンスを数滴―ぽちゃん、ぽちゃん、と―垂らした瞬間、衝撃を感じた。
「……リョウ、」
いつもの跡部景吾からは想像も出来ないような弱々しい声が頭上から聞こえた。
先の衝撃が抱きしめられたせいだとわかるのに時間はかからなかった。
「…リョウ、帰ってきたのか…?」
胃が縮むような痛みが走り、心臓を捕まれるような思いをした。
まだ、今の彼はリョウちゃんが生活の一部なんだろう。
こももは深く息を吸って、静かに言った。
『景吾さん、大丈夫。一人じゃない。…独りじゃない。』
そう聞いて安心したのか、彼は力が抜けるようにその場に崩れていった。
「け、景ちゃん!?」
慌てて声をかけたがすぐに口を閉ざした。
寝ているみたい。
「……心配、かけちゃったもんね。」
彼の髪をひと撫でし、額にキスをした。
ごめんね、と呟いてから近くにいた執事さんを呼び、彼をベッドへ運んでもらった。
「明日で……いいか、」
作りかけていたものを投げだし、こももはエプロンをゴミ箱に投げた。
そして近くにあったイスに座り、考えた。
彼が彼女を忘れる日はくるのだろうか?
かけがえのない存在だった人が突然にして目の前から姿を消したなら、こももは耐えられるだろうか?
「……結局、…なにもしてあげられないんだ。」
そう言って、テーブルに突っ伏した。
それから時計の針はどれだけ動いただろうか。
一人の使用人さんがこももの肩を掴み、軽く揺すった。
「風邪をひかれますよ?」
「…す、いません。」
「ベッド、ご用意いたしますが?」
親切に言ってくれた使用人さんの言葉を断り、こももは景ちゃんの自室に向かった。
部屋に入ると小さな寝息が聞こえた。
こももは彼の手を握り、ベッド際の床に座った。
『景ちゃん、こももがずっとそばにいる。だから…はやく元気になってね?』
そう伝えてからこももはいつの間にか眠りについていた。
あれは彼に約束をしたというより、自分と約束しただけだった。
そう、辛いことにも立ち向かう、そういう約束と誓い。
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