act.39…進まない過去
目をつぶれば、あのときの状況すべてを思い出すことが出来た俺はなんて汚い男なんだろう。
これが有る限り、仁王を苦しめるのに。
「なぁ、跡部。」
電話越しに聞こえた仁王の声で現実に引き戻された感じがした。
目を開ければいつもと変わらぬ景色が俺を待っていた。
「俺は今でもユエが好きかもしれん。けど、今はこももがおるん。」
「そうだな、」
「俺も前に進んどうよ?」
「……あぁ、」
「跡部が前に進めたようにな?」
フッと聞き慣れた優しく笑う声が聞こえると安心した。
また明日な、とだけ言うと仁王は電話を一方的に切った。
「みんな進んでるのか……」
確かにそうかもしれない。
*
あの事件の翌日の話だ。
仁王にはなにも聞かないと思ったが、聞かずにはいられず、神奈川の立海大附属まで足を運んだ。
まだ仁王が立海にいたんだからこれはそう遠くない過去の話だとわかるだろう。
「なんで泣かせんだよ。」
「……ユエか?」
「ほかに誰がいんだよ。」
「言い訳にしか聞こえんやろうから言わん。」
ふいっ、とそっぽ向いた仁王の態度に苛ついて、気がつけば殴り飛ばしていた。
中等部時代あまり親しくなかった人間を殴り飛ばすなんて礼儀にも程がある。
「言え!」
「っ、……」
「言え!仁王っ!!」
「わかった言うけぇ。」
この時、仁王はよく知りもしない俺を優先した。
コイツは女に執着心がないのか、と疑うほどあっさりユエを手放した。
それは俺の物だと知ったからというだけではない。
破局した理由が自分にあったなんて思いもしなかった。
「ユエな?一緒におるときも跡部ん話よくしちょるん。聞いてて楽しいぜよ?じゃけえ、おまえんちに転がりこんだ日、跡部もユエん話ばっかし。」
仁王は汚れた服の砂埃(すなぼこり)を払いながら立ち上がった。
殴ったところ――頬の色が見る見るうちに変わっていくのが目に見えた。
「下らん話でも、俺にはわかったん。ユエには跡部が必要で、跡部にはユエが必要ってことを。それを俺ん都合で引き裂くんもよくないってな?」
「別に俺は「嘘言いんしゃいよ、ヤキモチ妬きんくせに。」
性格を知り尽くしているかのような言い方に腹が立った。
仁王はなにか誤魔化すように苦笑しながら俺の頭を撫で回した。
「ま、それだけやのうて…うちの可愛い姫さんがヤキモチ妬くん。そっちのが大きな理由じゃけ。」
仁王はそれだけ言うと立ち上がり、歩きだした。
こももを理由にしていたが俺の気持ちを優先したのが主な理由だっただろう。
だが、仁王は決して俺を悪くは言わなかった。
「傷つける結果になって悪いと思うとうよ?跡部にも謝らんとな?」
「いや、俺こそ…殴って悪かった。」
そう言えば仁王はあっけらかんとして笑って言った。
笑う理由がわからなかった俺は目を真ん丸くしていただろう。
「いいん。友情の印じゃけ。」
このときの仁王の表情は今でも――いや、きっと死ぬまで忘れない。
俺がそれから仁王を慕うようになったのは言うまでもないだろう。
仁王も俺を認めるようになったのはこの時だろうと思う。
「ところでよ?どこでユエと知り合った?」
「……言うたら怒るじゃろ?」
「怒んねえよ。」
「ナンパじゃ、」
俺の表情をうかがいながら仁王はそう言うと半端な気持ちじゃなかった、と付け足し、笑った。
知らなかっただけなんだ。
仁王も俺と同じ人間だったということ。
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