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7話







知らないこと






《奈々視点》


階段から落ちた時に打ち所が悪かったのか。左肩を痛めた。

それだけでなく、全身を強打したせいか――。


『んっ、』

「奈々?…目覚めたんか。よかった。」

『…侑士。』

「あんな?」

『赤ちゃん…赤ちゃんは!?』


白い壁と白いカーテンで仕切られた広い部屋。見たことがない窓から見える外の景色。自分が今いる場所が病院だとすぐにわかった。

お腹の子になにかあったのかもしれないと瞬時に悟った。


「……流産してん。」

『嘘……嘘っ!』

「階段から落ちて全身強打したから、子供に影響してんて。」

『…っ、景吾…景吾ぉっ!』


苦しかった。悲しかった。

大切にしてあげたいと思っていた小さな命を私は簡単に手放してしまったから。

それに私はまたあなたを失ったから。


「奈々……」

『うっ、うわぁぁぁあ!』


私があなたに依存するただ一つの理由がなくなった。

私はあなたを忘れなくてはいけない。


「辛いな。苦しいな。」

『ごめ…ごめんなさいっ、ごめんなさい!!』


ただ泣いた。

君がいなくなった空っぽのお腹を抱えて――。





涙が止まり、少し落ち着いたとはいうものの、なにも考えたくなくて窓の外を呆然と見ていた私に侑士はこう言った。


「大阪行くんやめよか。」

『…え?』

「流産したんならもう大阪行く理由ないやろ?もともと、跡部に知られないために行くって言うてたんやし。」


寂しそうな目をしていた。

私は妊娠について景吾に明かしてしまったから、その時点で大阪に行く必要はなくなった。

しかし、侑士が言いたいのはそういうことではないと理解した。膝にかかっていたカーディガンのネームを見たのか、あの場に私一人でいたわけではないことを知られたのかもしれない。

侑士は私が景吾に未練があることを思って――だったとしても、この話の続きを私は聞きたくなかった。

跡部と二人で親の反対を押し切れば、なんて言われたら……怖かった。


『私は侑士といられるなら大阪、行きたいよ。』

「せやけど…」

『私が今好きなのは景吾じゃなくて、侑士だもん。』


初めの決意を変えるわけにはいかなかった。今まで支えてくれた侑士を一人にしたくはなかったから(――いや、私が独りになりたくなかった。と、いう表現が正しいかもしれないけど)。

侑士には恩を返したかった。そんな気持ちだけのことではないけど。今の私には侑士が必要だった。


『未来のお嫁さんなんでしょ?私。』

「奈々。」


なくなったものをいつまでも見てたら前に進めない。あるものを大切にしなければまた失う。

そう思った私は侑士に左手を延ばした。


『ここに私の心がある。』

「後悔せぇへんな?」

『しないよ。』


見せたのは左手薬指の婚約指輪。正式なものではない。でも、侑士を思うこの気持ちに変わりはなかった。





それから数日後――。

流産について、病院での出来事を景吾には伝えられなかった。自分のせいだと責めてほしくなかったから。(責めるかどうかもわからないのに、)


「あれ?奈々だー。」

『ジロー、景吾呼んでくれる?』

「…りょーかい。あとべー!」


ただ、東京を出る前、最後にあなたの顔は見たいと思った。あの子が生まれて来れたなら、景吾に似た顔立ちだったかもしれない。なんて思ったから。


「なんだ?」


景吾を見て胸が痛んだ。あの子の顔を二度と見れないと思ったから。


『これ、』


私は借りた服を畳んで持ってきていた。それを差し出すと景吾は受け取ると思っていた。私の膝にかけてくれた記憶は最近のものだから自分のだとわかったはず。

しかし――


「俺は知らねぇ。」


受け取ろうとはしなかった。


『でも、景吾が――』

「知らない。そんなもの捨てればいいだろうが。」

『……』


全く知らない振りをして教室の中へと消えていった。

それを見ていたジローが気を遣ってなにか言おうとしていたけど、なにを言えばいいのか言葉を探しているようにも見えた。


『ありがとうジロー。』

「え?いや…なんもしてないC。」

『最後だったから。』

「最後?」

『会いたかったのに会えなかったから。』


ジローにはなんのことかわからなかったかもしれない。でも、知らなくていい。私の勝手だから。

お腹の子が成長した後の顔を見に来ただけだから。


『またね、ジロー』

「え?あ、うん。」


ジローに別れを告げ、私は階段で待たせていた侑士の元へ向かった。

階段まで来ると侑士は座り込んでいた。

私は静かに後ろから近付き、そっと抱きしめた。


『お待たせ、侑士。』

「もぉええんか?」

『うん、』


私たちは校舎を後にし、空港へ向かうことにした。今日は氷帝学園最後の登校日でクラスと先生たちに挨拶だけしに来た日だった。

ついでに景吾に返そうと思ったカーディガンは鞄の中にまた帰ってきたのだった。


「返されへんかったん?」

『いいんだ。いらないって言ってたし。』


校門を出る前に立ち止まり、校舎を最後に見ようと振り返った。


『……ねぇ?』

「なんや?」

『屋上に……』


見上げた空と校舎の間に人が見えた。


「……あ。」


それがテニス部のメンバー、ジローや向日くんや宍戸くん、鳳くんや日吉くんだとすぐにわかった。

二人で手を振ってみた。


『(……やっぱ景吾はいないか。)』

「行こか。」

『うん。』


私は知らない。彼が私を見送るために一人、音楽室へ来ていたこと。窓から私に手をあげて別れを告げていたことを。


「幸せになれよ…奈々。」






あきゅろす。
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