小さな恋心
「真衣となに約束したん?」
仁王にそう尋ねられた。
それがわかれば俺もこんなに悩まずにすむ。
「昔の約束って言うてたぜよ。それで試したって。それを覚えてなかったら跡部に答えを伝えに行くって。」
「……なんだろ。」
「ケーキ作りするんに真衣からの注文じゃから自分のことを思って作ってくれるだろうって。もう、それだけであの時の思いは十分報われたって言うてたのう。」
昔の約束がいつのことかがわからない。
ただ、その約束は今だ果たされていないことは確かだ。
「夕日が沈んだぜよ。ブン、急がんと真衣が跡部に持ってかれるんよ。」
「なんでそう焦らすんだよ!」
「逆に聞く。なんで焦っとるん?」
「…焦るのに理由があるとすれば、真衣が兄離れするから。」
「それだけか?」
なにを期待してるのか仁王はそれ以上のことを追究してくる。
イライラしている俺をさらに追い詰めて楽しんでるわけではないにしても、仁王の表情が気を悪くさせた。
「るせーな!真衣が大事だからに決まってんだろ!?」
「ブンは大切ななにか忘れとう。真衣は自分から離れるわけがないと思い込んどう。」
「だって真衣は――」
そう言いかけて大切なことを思い出した。
なんで忘れていたのかわからない。
もしかするとそんな約束を宛てにしてる自分がバカバカしく思えたから無理に忘れようとしていたのかもしれない。
「…ブン?」
「仁王車っ!早く!」
「…はいはい。」
必死な様子の俺に仁王も笑ってすぐに対応してくれた。
仁王が聞いたという待ち合わせ場所に車で向かい、着くなり俺は車から飛び出した。
「ありがとな!」
「ドアくらい閉めんしゃいよ。まったく、世話のやけるヤツ。」
鉄砲弾のように飛んで行った俺を見た仁王は車から降りて開けっ放しにしていたドア閉めた。
そして、その場にいた誰かに言葉を投げているなんて俺は思いもしなかった。
「ほら、やっぱり俺ん勝ちじゃ。」
「勝敗に根拠なんかなかっただろうが。」
「何年も二人を見てたん。わかるに決まっとう。」
「たいした自信だな。」
仁王が俺を試すために発破をかけていたことも、手を組んでいた人物がいたことも知らなかった。
「真衣!」
『ブン太お兄ちゃん!?なんでここに!?』
「話あってよ。跡部はまだ?」
『うん。まだ約束時間まで5分あるし。』
「5分以内に終わるかな?」
『大事な話?』
次の機会では遅い。
跡部が来てしまう前に話を終わらせる必要があった。
「かなり大事だから今話す。俺、思い出した。」
『なにを?』
「前回も今日も、真衣に会えるのをすげぇ楽しみにしてたこと。なのに仁王に揺すられて動揺してた。知らない間に真衣は跡部から告られてたしよ。」
なにを言いたいかわからない真衣はただ黙って話を聞いていた。
「それだけ、真衣が成長するの待ってたんだな俺。」
真衣が小学校1年生の思い出に書くよう学校から渡された文集用の原稿の中にプロフィールがあった。
それを自宅に持ち帰り、拙(つたな)い字で書いていた真衣の将来について翌日、登校中に尋ねた。
「昨日のプリントに将来の夢を書く場所あったろぃ?なに書いたんだ?」
『およめさんになる!』
「お、お嫁さん…?違うのに出来ねぇの?」
『なんで?』
「真衣が誰かのお嫁さんになるなんて考えたくねーもん。」
当時7歳だった真衣にしては高度な解答だったと思う。
それに関連して10年後に叶えてやると言った約束の10年はすでに過ぎてしまったが今からでも遅くなければ、と思う。
「……真衣が言ったんだろ?俺、約束守りに来た。」
『私、ケーキの約束はちゃんと守ってもらったよ。』
「小1の時に書いてた真衣の夢。将来の夢はまだ叶えられそうにないから、先に10年後の約束を叶えに来た。」
『……もういいよ、そんな昔のこと。義務感だけで叶えられるものじゃないし。』
「俺は約束が実現すんの心のどこかで楽しみにしてたのに?」
両手を広げて俺はこう言った。
「今すぐ叶えてやる。」
『…でも、』
「あの時の真衣は絶対叶えてねって言ってたぜぃ?あの時の約束思い出せたんだ。忘れたとは言わせないっつの。」
真衣は控えめに笑って駆け寄ってくるなり、子犬のように懐に飛び込んできた。
昔とあまり変わらない小さな彼女を抱きしめた今、当時のことをより鮮明に思い出した。
『じゃあ、ブン太おにいちゃんのおよめさんになる!』
「お嫁さんの前にならなくちゃいけないものがあるんだよ。」
『なに?』
「恋人。」
『じゃあまい、こいびとになるー!』
「恋人ってなにか知ってんのかよ…」
『うん。おててつないで、いっしょにおさんぽするの!』
「今と変わらねぇじゃん。」
『いつこいびとになれる?』
「話聞いてたか?…たく。」
『いつこいびとにしてくれる?』
目を輝かせて俺を見上げてる真衣があまりに可愛くて、その場に屈みこんだ。
デレデレな顔を見られたくなかったからだ。
「10年だな。」
『10ねん?まい、なんさい?』
「7足す10は?」
『えっと、17?17さいになったらこいびとにしてくれる?ぜったい?』
「あぁ、約束してやるよ。」
『やった!じゃあ、まいのしょうらいはアンタイ!』
「誰から教わったんだよそんな言葉。」
『あ、こいびとになったらチューできるんだよね!』
「だ、だから誰から教えてもらうんだよそんなこと!」
こんな幼い妹の小さな恋心を忘れていたなんてどうかしてた。
その恋をずっと育て続けていた彼女と自分に気づかなかったなんて最低だ。
『恋人にしてくれるの?』
「俺のこと好きならな。」
『私のこと好き?』
「……」
『なんで黙るの!』
「好きじゃなかったらこんなことまでして真衣のこと引き止めねぇっての。」
腕の中で嬉しそうに笑う顔が見えた。
それだけで幸せだった。
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