泡になろうなんて
あれから時が流れ、侑士と連絡を取ることも会うことなく、私は跡部くんの家でお世話になっていた。
「その本、おもしろいぜ?」
『ドイツ語やん。』
「読めねえのか?日本語に訳して読んでやってやらなくもねぇが?」
『お願いします。』
嫌なことが忘れられるように、と言ってくれたのは彼の優しさで跡部くんに時間があれば、気を紛らわしてもらった。
今日はのんびり過ごそう、という結論に至り、本を読むことにした。
「景吾様、向日様が見えられました。」
「岳人?」
『向日くん、なにか用事かな?私、別の部屋にいてるよ?』
「ああ、そうだな。」
自宅を飛び出して1週間が経過したその日、侑士の友人の向日くんが跡部邸を訪れた。
理由はわからなかいけど怒りのうちに彼がやってきたことはすぐ気づいた。
使用人たちを押し退けて部屋まで進んできているのかその人たちが向日くんに落ち着くように頻(しき)りに言っていた。
彼が部屋に入ってくるなり、
「おまえ!なに考えてんだバカ!!」
拳が飛んでいった。
跡部くんは避けきれず、頬を殴られ床に倒れた。
『あ、跡部くん…!』
「梓!おまえもふざけんな!」
跡部くんを助けようと近づいた私に向日くんは声を上げた。
びっくりして立ち止まると向日くんに襟刳りを捕まれた。
「本当は一発くらい梓も殴っておきてえんだけどな。」
見ただけで彼の目が尋常ではない怒りに燃えていることがわかった。
こんなに肌で人の怒りを感じたことはない私にしたら恐怖やった。
「岳人、なんの真似だ。」
いつになく低く、威嚇するような声で向日くんに跡部くんは尋ねた。
しかし、その問いに対して鼻で笑い、愚問だ、と彼は答えた。
「自分のせいだろうが。」
『む、向日くん。なんで?』
そう尋ねれば、彼の恐ろしい目が自分に向いたのだが、その恐ろしさ故に冷や汗が吹き出た。
「なんで?俺が聞きてぇよ!」
『?』
「なんで侑士ばっか辛い目に遭ってんだよ!!なんでおまえら、自分が原因のくせして平気な顔して生きてんだよ!!何度、説得してもアイツ“待つ”の一点張りで、医者のくせに体調崩しやがって、病院での腕も落ちて、田舎の診療所の方に転勤だとか言いやがって、俺もわけわかんないけど、すんげぇ辛い思いしてるのだけはわかる!!だから侑士の気持ちも考えろバカアホ!!侑士の代わりに不幸になれっ!!」
一気に言い切った向日くんは怒りが落ち着いたのか、その場に縮こまった。
侑士がこの1週間どうしていたかを知ると同時に彼が侑士のそばでどんな思いをして見ていたかがわかった。
『侑士……体調崩したん?』
「…3キロ痩せて、脱水症状起こした。」
『腕落ちたん?』
「体調崩したせいでまともに手術できるか不安だからって患者の手術延期させたらしいぜ。」
『なんで転勤なん?』
「患者の手術延期させたせいで患者の容態が悪化したらしいんだ。予定がさらに延期になって、……はっきり言えばクビ。」
ああ、侑士。
私は間違ったことをした。
話あえば、こんなことにはならなかったし、辛い思いさせんくてすんだのにね。
泡になろうなんて
考えた私がバカやった
** END **
#2008.5.21
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