泡沫と化す
自分が侑士を苦しめた。
そうわかったのは神様からのお告げか、悪魔の知らせか。
どちらにせよ、彼のそばにいてあげなアカンと思ったのは妻としての責務でも義理でもなかった。
「行くな梓!傷つくのは梓なんだぜ!?」
『……』
「それが目に見えてるのになんで…!忍足の裏切りを許せるのか!?」
跡部くんの言いたいことはわかる。やって、決して侑士の浮気を許せたわけではないし、傷が癒えたわけでもない。
それでも――
『心配してくれてありがと。でも…』
「梓の思考、俺には理解できねぇ。」
『してくれんでええよ。』
「なんでだよ。裏切られ、傷ついたのに…」
『……』
跡部くんに言って理解してくれるかわからんかった。やから、躊躇した。
でも、言わんと侑士の元へは行かせてくれへん気がした。
『――――…から、』
彼は引き留めるために掴んでいた手を離し、脱力した手はあるべき位置へと戻っていった。
『ありがとう、跡部くん…』
なにも返事しない彼と向日くんをその場置いて、居場所が保証されていない侑士のマンションへと向かった。
「跡部。梓はなにも知らなかったみたいだぜ?」
「……世の中、知らなくていいこともあんだよ。」
「信じらんねぇ。人妻寝とろうって考えたその頭が。」
「なんで忍足なんだ……」
「俺、梓の弟の金太郎から連絡もらって今回のこと知った。まさかお前が元凶だったなんてな。はっきり言ってがっかりしたぜ。」
「言い訳にしか聞こえねぇだろうが…それだけ俺は梓を愛してた。寝とろうとしたが出来なかった。本当に梓を思ってたからな…」
「ごめん。やっぱ俺…誰が悪いなんて言えねぇ。」
自分が真実を聞く事なく、ことは終末へと向かう。
極度の緊張から手が震えはじめ、鼓動が乱れて呼吸が苦しくなる。
『…侑士。』
まず、どんな風に声をかければいい?
“久しぶりー!元気〜?”
“反省したんかボケナス”
“医者が体調不良なんて笑えるわ”
浮かぶすべての言葉はピンと来なくて…答えが出る前に自分は住んでいた家の中に入り、侑士を前にしていた。
「……梓のそっくりさんがおる。夢か?いや…夢でもええか。」
『……て、本人やアホ!』
見るすべてに驚愕していた自分はワンテンポ遅れてツッコミを入れた。
そのツッコミに侑士はヘラッと笑った。
「ええツッコミや。」
表情が疲れきっていて、見ていると辛くて…俯いたとき、床に滴った雫を見て自分が涙を流していることに気付いた。
「…泣いてるんか?」
不安と心配した声が聞こえて顔を上げたら、そこにはすでにひょろひょろになった侑士が立っていた。
「泣いたらアカンで。後で目が腫れるし。」
自分だって体調が悪くて辛いやろうにそんな状況でも私を優先にする優しさは変わらなかった。
ただ、今はその優しさは嬉しくない。
『なんで…なんでやの!?』
「…俺が聞きたいわ。」
『え?』
「なんで来てくれたん?」
侑士の問いにどう答えていいかわからなかったんは…きっと、事実を知らないから。
「俺が浮気したと思って怒って出て行ってたんやろ?跡部のところに、」
最後の一言は胸に深く突き刺さった。
侑士が本当に浮気していたなら自分もなんら変わりないことをしていたことになる。
それでもどうか許されますように。
『侑士のこと…向日くんから聞いて、心配で……』
「なんで心配してるんや。」
どうか――許されますように。
『侑士、私…侑士のこと愛してんの。』
また泣きそうになりながら震えた声で伝えた言葉に侑士は応えてくれはしなかった。
「嘘や、」
『嘘やない!』
「今、なにか余計なこと考えとった。」
『そんなこと…!』
「なら…なんで俺の目を見て言うてくれへんのや。」
『……私に侑士を愛してると言う権利はないから、』
「アホ!!」
滅多に怒らない侑士に怒鳴られ、過剰に反応した私は俯いたまま目をぎゅっと閉じた。
「愛してるなら…それでええやん。」
『でも、』
「でもはなしや。それ言うたら俺に梓を愛する権利あるんか?」
『……侑士、ホンマのこと言うて。裏切った行為をしたのは私やんな?』
彼はなにも返事してこない。
言葉を選んでいるとき、彼は目を反らしてため息をつく癖があるからすぐにわかった。
「もうええやん。」
『よくないで。』
「これから、ずっと一緒にいてくれるんならな。」
優しく抱きしめられて胸は痛んだけど、やっぱり彼しかいない、幸せやと感じた。
こんなにも愛されていたのに信じてあげられへんかった自分を責めていると上から頭を叩かれた。
「今も変わらず俺を愛してるなら、なにも問題ないで。」
そう言った彼に私はこう言った。
『変わってもうたん。』
私の言葉に侑士は目を伏せた。
それでも私を手放そうとは思わなかったよう。その腕に一層力が入って抱きしめていたから。
『侑士…私、前以上に愛してるよ。』
「!」
涙流れてても、心からちゃんと笑えてる?
「幸せやわ、俺。」
『ホンマに…ごめ「それはええ。聞きたない。」
侑士はごめんとは言わせてくれなかった。
次にそういう問題に遇ったとき、同じ過ちを犯さないようにだろう。
きっと胸の痛みはひかない。
それは一つの侑士からのお仕置きなわけで、愛する人を疑ってはならないという教訓。
「なんで誤解したんか金太郎に聞いてな。誰かに謀られたってわかったから梓は悪ない。」
『でもな…?』
「大切なのは俺を信じることなん違う?」
侑士は私の髪を優しく撫でてから屈託ない笑顔を見せてこう言った。
「帰って来てくれておおきに。」
一滴の涙が頬を伝い、それを彼の唇が受け止めた。
『侑士…ありがとう。』
「なにがや?」
許してくれたのは侑士の優しさなんやろうね。
それやから余計思う。
二度と、そう二度とあなたから…
離れたりせぇへんと――
「せや。久しぶりに梓の手料理食べたいな。…まさか腕落ちてたりせぇへんよな?」
『私の腕、なめたらアカンで?』
「梓はバ怪力やからまな板ごと切ってまいやるからな〜」
『気ぃ付けるもん!』
「(愛情こもってたらなんでもええけどな。)」
『なに笑うてるん!?』
「梓、俺にはやっぱりお前しかおらんわ。」
『……さて!料理、料理ー』
「無視かいな!」
泡沫と化す
儚いものでもこの手で掴んだ
** END **
2008.8.15 完結
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