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二つの弱さ


明良が自然と笑うようになるのがいつかはわからない。

でも、最近無理に笑おうというぎこちなさはない。


「明良、今日は出張なんだ。」

『うん、わかった。』

「浩亮、いい子にしてろよ?」

「わかってるっつの!いつまでもガキあつかいすんなよー」

「十分子供だろうが。」


浩亮の頭をひと撫でして資料がどっさり入った鞄を持った。

ドアノブに手をかけると明良が口を開いた。まるで引き留めるように。


『景吾…!』

「どうした?」

『…っ、』


俺には明良がなにか言い躊躇っているように見えた。

再び鞄を床に置き、明良を抱き寄せて肩を抱いた。すると彼女は俺に身を委ねた。

しばらくの間、沈黙が続いた。それを打ち破ったのは明良だった。


『いってらっしゃい。』


その一言が“なんでもないよ”と言っているようだった。なにも言えなくなった俺は仕方なく家を出るしかなかった。

出張先であった大事な会議のさなか、俺は明良のことが気掛かりでならなかった。

出張中、空いた時間に電話しようと思い、携帯を取り出すと邪魔が入った。世の中、そんなもんだ。


「…明良。」


呟いた言葉は俺以外、誰もいない部屋に静かに響くだけだった。

自宅を出て数日後、帰宅してまず一番に明良のことを使用人に聞いた。しかし、俺が求めていた返事は返ってこなかった。


「明良!」


今まで明良と浩亮が生活していた部屋のドアを開け放った。悠長にノックなんてしてられない。


「明良…?浩亮…?」


またも俺の声は寂しく、情けないものとなった。そして、誰もいない部屋に静かに溶け込んでいった。


「おい!明良はどうした!」


使用人を呼出し、事情を話させた。一通り話を聞いた俺の手には一枚の白い紙が渡された。


“今までありがとう”


その言葉を見た俺は手中で握り潰し、すぐに走り出した。仕事をするまで気持ちが回復していない明良が浩亮を連れて行ける場所なんて実家くらいしかないと判断した俺はすぐに明良の実家に向かった。

呼び鈴を押し、中から人が出てくるのを待ってるのもじれったかった。


「はーい。あら、景吾くん。」

「明良…明良いますか?」

「ええ。明良ー?」


明良の母親が出て来て明良を呼んでくれた。明良が出てくるまでの短い時間でも内心、ハラハラしていた。実家に帰った理由は聞いてなかったからだ。


『…景吾、』


明良の声を聞いて俺は冷静ではいられなかった。気がつけば力任せに明良の肩を掴んで揺さぶりながら問い尋ねていた。そのため、彼女を怯えさせてしまった。


『ごめんなさい…!ごめんなさい!』


手から伝わってきた振動は間違いなく明良が震えているせいだった。すぐに反省した俺は次に優しく抱きしめた。


「怒鳴って悪かった。帰ったら明良がいなくなってて怖かったんだ。」

『……』

「話、聞かせてくれないか?あの手紙はなんだったんだ?」


静かに優しく問うと明良はこう言った。


『もう、景吾にお世話になる必要ないかな?って…実家に帰ればいいと思ったの。』

「それで?」

『景吾に言おうと思ったんだけど…反対されるかもしれないとも思ったから言えなかったの…』


出張前のあれはこのことについてだったのかもしれない。察して聞いてやれなかった自分を少し責めた。


「明良。俺は宍戸とも約束した。明良を養うと。」

『でも、あれは私が元気になるまでって意味なんじゃないの?』


宍戸。お前は俺のなにを知ってたんだ?どこまで感づいていたんだ?


「違うと思うがな。」

『じゃあ…』

「明良に宍戸と同じ愛情を注ぐのは無理でも、浩亮に父親のような愛情を注ぎつづけることは出来る。」


“逃げんなよ。らしくねぇの”


いつか宍戸に言われた言葉をふと思い出した。それがあまりに鮮明だったから、まるで近くから声が聞こえたように錯覚した。

逃げる。

俺は宍戸の約束がないと明良のそばにいられない人間だ。口実がないと浩亮と遊んでやれない立場だ。


『怖いの。』

「?」

『景吾は私たちのためになんでもしてくれる。浩太郎が死んだ後、亮が私たちにしてくれたみたいに。』

「当たり前だろうが。」

『……それはなぜ?』


そう明良に言われてすぐに答えられなかったのは自分が弱かったせいだろう。

どれだけ答えを待たせたかわからないが明良は苦笑して俺の胸を手で押して遠ざけた。まるで突き放すように。


『十分だよ。私たち、こんなにしてもらえて幸せだったもの。』

「なら、なんで泣いてる?」

『!』


明良はすぐに涙を手で拭った。俺が口を開こうとするとタイミングよく家の中から浩亮が明良を呼んだ。


「ママー?」

『っ、今行くよー……そういうことだから。今までありがとう。』


明良が踵を翻して浩亮の元へ行こうとする。

俺は手を延ばしかけて引っ込めてしまった。


“俺は必要なくなったのか?”


そんな疑問を抱いたから。今までみたいに毎日、明良と浩亮に会えなくなることになった。

もちろん、後悔した。





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