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ミクロコスモス







 毎日、毎日同じ夢を見る。
 視界に映るのは幼い頃の自分の小さな手。周りに何もない寒々しい風景。一面に広がる純白の雪景色。
 そして、降り続ける深紅の―――。



「――――っ!」

 びくりと一際大きく身体が揺れて、ぐんっと引き戻されるように目が覚めた。厭に高鳴る鼓動と震える呼吸。額に触れると冷や汗でしっとりと濡れていた。
 ここ最近毎日のように見る夢――まるで悪夢だ。それを物語るように、額に添えられた自分の手が、小さくカタカタと震えていた。

(――これは夢、夢だ…)

 何度も己に言い聞かせ、もう寝付けまいと思いスルリとベッドから抜け出し、隣のベッドで眠る戦友を起こさないように物音を立てずに部屋を後にした。

 ぺたりぺたりと素足で石畳を歩く。靴を履くと音を立ててしまうかと思って素足にしたが、外気で程よく冷えた石畳は存外心地良く、素足にして正解だったな、と小さく笑みを零した。
 夜も更け辺りはしんと静まり返って、物音すらしない。時折聴こえるのは風が葉を揺らす音と、虫の音だけだ。空を見上げれば、煌めく小さな星々が夜の闇の中主張をしていた。
 は、と小さく息を付く。ここ最近毎日のように見る夢のせいか、眠りが非常に浅い毎日を過ごしているテイトは、身体の至るところに異変を伴っていた。身体全体を覆う倦怠感。冴える思考も鈍くなり、食欲も低下。日々蓄積されていく疲労も解消されるどころか、悪夢のせいで悪化していく。

(こんなに、ヤワな身体じゃなかったのにな…)

 ぺたりと噴水の縁に腰を置く。夜が更けた今では噴水の水は止まっていた。この場にいつもいる人魚も今は就寝中なのか、とても静かだった。

(ちょっと聴きたかったかも…)

 彼女の優しい透き通るような歌は好きだ。彼女ならば眠れない今も、歌を聴けば寝れるかもしれないと少し期待をしていたのだが。

(……図々しいな)

 今更子守歌を聴いて寝れるかも判らないのに彼女を起こすわけにもいかない。自嘲を含ませテイトは縁に仰向けに横たわった。

 静まり返る一帯に、視界に広がる星空。それは余りにも遠く、手に届かない場所。空を切る自らの手を引っ込め、今この世界には自分独りしかいないのかと、嫌な錯覚をもたらした。胸の奥が空虚に痛んみ、間を置かず目頭が熱くなる。つんと痛む鼻を啜り、泣くものかと目を頑なに閉じ、涙が引くのをひたすら待った。

「―――オイ、」

 途端にぺちんと額を叩かれる。突然現れた気配と、その聞き慣れた声に何よりも驚いて目を見開いた。

「こんな所で寝てると風邪引くぞクソガキ」
「………フラ、ウ」

 普段の司教服とは違い、漆黒の服を身に纏い煙草を平然と吹かす男に一瞬絶句したが、すぐさま飛び起き隠すように目元を拭った。鼻をひと啜りしてフラウに振り返る。服装からして狩りの後なのだろう。首輪の契約がある為定期的に話しかけてくるものの、最近忙しいのかこうして二人きりで逢うこともなかったので、酷く懐かしく思えた。

「……なんだよ」

 じいっと見つめてくるテイトに焦れて、怪訝な目で返すと、別に、と素っ気なく返された。
 いくら月明かりで明るいといえど闇夜だ。昼間に比べて暗い視界では表情もなかなか掴めない。互いにどんな心中なのかも判らない。だがそれを訊くのも気が引ける。互いが互いに言い留まり、沈黙が流れた。

「……眠れないのか」

 最初に沈黙を破ったのはフラウだった。テイトは開きかけた口を一度閉じ、小さく聞き返した。

「なんで…?」
「お前、今ひでぇ面してるぞ」

 フラウのその言葉に口を噤んだ。何でもお見通しだと告げているような蒼眼にばつが悪そうに眉を顰めた。夜目は相手の方が利くのか。

 フラウは少し何かを考えた後、長い溜め息を付いてテイトの手を取った。

「来い」
「な、何…」
「いいから」

 怪訝に何だと訴える目を一蹴してフラウはズカズカとテイトの手を引っ張り石畳を歩く。歩幅の違う二人では足音も異なり、素足のテイトはペタペタと小走りにフラウの後を続いた。
 教会の廊下を二人の足音だけが響く。見覚えのある道にテイトはフラウの手を小さく握り返した。そしてたどり着いたのは――フラウの自室。

「入れ」

 半ば押し込まれるようにして入ると、勢いのままベッドに投げ捨てられた。丈夫な造りのベッドだが反動で少し軋む。

「何するんだよ…っ」

 抗議しようとベッドから降りると、フラウは啣えていた煙草の火をを灰皿へ押し消し、上着をバサリと床へかなぐり捨てた。 その行動にテイトは言葉を失って、フラウを凝視した。フラウがこちらに歩みを寄せる。手が伸ばされたかと思うと、その手は頬を通り過ぎ、首根っこを掴まれ、引っ張られるままベッドに背中から倒れ込んだ。

「ちょっ、フラウ!?」
「…眠い」
「はあ!?」

 寝るのならばいつものように棺桶に入ればいいものを、いそいそと布団に潜るフラウにテイトは唖然とした。すると、バサリと布団がめくられ、するりと手を掴まれて、そのまま強引に布団の中へ引き込まれる。

「お、おい!フラ…」
「寝るぞ」

 言葉尻を奪われ、抱きしめられる形で制された肢体に胸が高鳴った。

「お前、身体が熱いな」

 からかいを含んだその声に顔に熱が籠もる。
 離れようと抵抗すると、まるで離さないとばかりに抱きしめる力が増した。その行為に今度は当惑していると、するりとフラウの手がテイトの髪を梳いた。久しぶりに触れられる髪に、弄ぶように触れるその手に目を細めると、不意に睡魔が襲ってきた。
 あれほどまでに眠れなかったのに、今は安心仕切ったかのように瞼を閉じる。今なら、悪夢を見ずに寝れるかもしれない。飛びそうになる意識の中、その居心地の良さに小さく笑みを見せた。

「…そうそう、ガキはちゃんと寝ないとな」

 頭上から聴こえる優しさを含んだからかいの声に、こつんと胸に小さく頭突きをし、そのまま額を埋める。

「……ばかふらう」

 腕の隙間から見えた窓の外、煌めく星はまるでフラウの瞳のように綺麗だ。たゆたう微睡みの中、クスリと笑みを零して、その腕に手を添える。
 ぽん、ぽん、と背中に規則正しく伝わる振動に、くすぐったい気持ちになるもそのまま夢の世界へ意識を飛ばした。

 フラウは心地良く眠るテイトの額に唇を落とし、小さく囁いた。


「良い夢を」





ミクロコスモス



(この星の下、出逢えたことに感謝して)

(さあ、おやすみ。愛しい子)










元拍手小説。



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