悲哀に揺れるアレクサンドライト
愛しいと想うことが罪ならば、愛すことは罰なのだろうか。
(どうか、どうか、そばに――)
きっと、この言葉は届かない。
悲哀に揺れるアレクサンドライト
その日は月が紅かった。
紅く染まった下弦の月は、まるで血の雫のようだった。
こびり付いて取れない過去の残像が脳内を震わせて吐き気がした。殺めて来たヒトの断末魔の叫び声の残響がまだ鼓膜に残っているようで、何度も耳を叩いて、両手で塞いだ。
無性に、泣きたくなった。
涙なんて出ないのに、顔を膝に擦り付けた。こうすれば、少しは泣いている気分になれるからだ。
自分の罪を贖うには、幸せなどいらないのだ。
そう思う度、心のどこかで自分を哀れむ声が聞こえて、自らの手で殺めたヒトが、その真後ろで見下ろしながら大声で笑うのだ。
“ああ、かわいそう”
“構ってほしいのかい?”
“人殺しなのに?”
(おれは、)
“そのまま死んでしまうのかい?”
“この、偽善者!”
「おれ、は…―――」
その言葉が最後まで続くことはなかった。
翌日の同時刻、自室の窓からまた空を見上げた。
昨日のように紅を帯びた月は、また少し細くなっていた。
新月が来るように、自分の涙も無くなってしまったのだろうか。
頬に触れたが、枯れ果てた涙はやはり出ることはなかった。
(月なんて見るんじゃなかった)
胸焼けを起こしているように気分が悪くなった。
気持ちが悪い。
吐き気がする。眩暈がして、テイトは思わずその場にしゃがみ込んだ。
(外に、出よう)
ここでは気分が更に悪くなる。そう思い、机に置いてあった燭台に火を灯し、その光を頼りに部屋を出た。
人の気配がしない廊下は、しんと静まり返っていて、冷気を纏った暗闇が背筋を撫でた。
唯一聞こえるのは、ぺたりぺたりという、情けない自分の足音。行く先も考えずに、ただ、逃げるように歩を進めた。
闇が、得体の知れない何かが、追い掛けくる気がして、後ろは振り返れなかった。
どれくらい歩いていたのだろう。燭台の小さな灯りを頼りに殆ど勘で進んでいたが、少し開けた場所に辿り着いた。そこは初めて来た場所だった。
上の階と、地下を繋ぐ細い階段、その踊場にテイトは静かに佇んだ。
小さな窓枠から零れる小さな光が、影を作っていた。その影を消すように、影の上に燭台を置いて、そのまま腰を下ろした。
何も聞こえない。別に何かを聞き取りたい訳でもないが、無意識に音を探してしまうのだ。この無音に耳鳴りを起こし、自分の鼓動がやけに大きく聞こえた。予想を反して速い鼓動が余計に不安を煽って、無意識に震えた吐息が零れた。
膝を抱えて、訳も分からない苦悩に額を膝に擦り付けた。
こうしている間も、脳内では言葉の羅列に苛まれる。
“どうして生きているの?”
“キミは幸せになりたいのかい?”
まるで耳元で囁くように、己の幻想は呟いた。
(幸せ、しあわせ?)
贖罪の為なら、なんだってしようと思った。例え、自らの幸せを欠いても。
「―――――――……」
燭台の灯が微かな風に揺らめいた。
その微々たる気配に、テイトは顔を上げた。
黒い革靴を静かに鳴らして、闇に溶けるような漆黒の装束を身に纏った男が、いつの間にか目の前に佇んでいた。
それは、よく知る人物で。その男の双眸は、テイトの顔を見た途端細められた。感情を読み取れないその双眸に、テイトは動揺して思わず目を泳がせた。
「どうして、ここに」
フラウ、と。小さく開いた口で名を呼んだ。
語尾が震えているのが分かった。それは、不安からくるのか、それともこの男に出会えた安心感から生まれたものなのかは解らなかったが、ただ、目を合わせることが出来なかった。
全てを見透かしているようなその蒼眼が、今はただ怖かったからだ。
「湿気たツラしやがって」
「………」
呆れたような溜め息が一つ。
(そんなに酷い顔してるのか、今)
確認すら億劫で、テイトはただひたすらフラウの足元を見ていた。
今この場所にいる理由を訊かないのは、気遣ってくれているからなのか、それともただ無関心なだけなのか。
フラウからしたら、どっちつかずなのだろう。ただ、こんな時間に人気のいないこんな場所にいることに、不安などないと言えば嘘になる。この子供にも思うところがあるのだろう、と様子見だけにしていたが、ここ最近のテイトはどこか様子が変だった。
どこか虚ろな双眸が、それを物語っている。
普段気丈に振る舞ってはいるが、自分が思っているよりもまだ繊細なのだ。この子供は。
微動だにしないテイトに、フラウは小さく舌打ちをした。
「…ほっといてくれ」
小さな、本当に小さな反論。
どこか投げやりで、悲哀を孕んだ言葉。
テイトとて、本心からすれば傍にいてほしいのだ。ただ、くだらない意地が邪魔をする。自分は平気なのだと、一人でも大丈夫なのだと思わせたいのだ。
自分は、そこまで弱くはないのだと。
そんなテイトに見かねて、フラウはテイトの前にしゃがみ込んだ。顔を覗くように首を傾げれば、テイトは表情を見せまいと膝の間に顔を隠してしまう。
束の間の沈黙。
燭台の蝋燭が、ジジ…とはぜる音を微かに上げ、炎が揺らいだ。
その沈黙を先に破ったのは、くぐもったテイトの吐息と、掠れた声だった。
「夢を、見るんだ」
途切れ途切れになりそうな言葉を必死に繋げて、くぐもった声は弱々しく続く。 フラウはその言葉の一つひとつを取りこぼさないように拾いながら、何を言うでもなく静かに耳を傾けた。
「寝てるときだけじゃなくて、起きてるときも、常に。誰か頭の中に居るんじゃないかって、思うくらいに、人の声がするんだ」
テイトの小さな手が、膝を抱き締める。
「それから、それ、から…」
――泣けないんだ。
蚊の鳴くようなか細い声がして、ゆっくりと、テイトは顔を上げた。
「凄く、すごく辛いのに、悲しいはずなのに。 なあ、フラウ――――今、泣けてる?」
そう呟いた、その顔は悲痛に歪んで、涙を流しているようには到底思えなかった。燭台の灯りを取り込んだ翡翠の碧眼は朱を滲ませて、それが更に悲痛さを物語った。
惨めに見えた。
ただ、愛しいとも思えた。
フラウが応えにあぐねいていると、テイトがフラウの首目掛けて手を伸ばした。
「テイト」
何の真似だ、と視線で語る。
テイトは、フラウの首を柔く絞めた。その冷えた手の温度が、死した躯の体温と溶けていくような感覚に、フラウは微かな心地よさを感じた。
「フラウ、フラウ、フラウ」
どうすれば良いか自分でも判断つかない様子で、テイトは助けを懇願するような瞳で訴えた。
「テイト…」
「フラウ、ッ…おれ、おれ、最低だ…っ」
小さな手に力が篭もる。
「、テイト」
「ミ、ミカゲが死んで、悲しくないはずないのに、泣けないんだ…、親友が死んだのに、前みたいに涙が出ないんだ…っ」
贖うならなんでもする。でも、親友を、大切な人を思う気持ちは、涙は奪わないで欲しい。
長い間溜め込み、溜め込み過ぎた感情は、一気に崩壊して当て場もなく溢れ出ていくようだった。
「テイト、落ち着けテイト、」
酷く混乱して揺れる瞳は、確かに助けを求めていた。
フラウは首を絞めていたテイトの手を優しく外し、テイトの頬を両手で包み込んだ。
「落ち着け、テイト」
揺れる双眸。震えた吐息。
今にも泣きそうな、泣けないと悲痛に歪んだ顔。
磨耗した心を必死に隠す姿。
どれをとっても、愛しいと思った。
ふつふつと、沸き上がる感情に、フラウは一つ息を漏らした。
(ったく、困ったもんだ…)
淡く火を灯す蒼眼に見つめられ、テイトは平常を取り戻しつつあった。今し方自分がしていた事に気づき、ふと我に返る。
「…あ、っあ、」
手形状にくっきり赤く鬱血したフラウ首に目をやり、テイトは取り乱した。
「ご、ごめ、っごめん、フラウッ」
フラウの手をすり抜け、震える手で首の痣に触れる。
これを自分がやったのだと思うと、罪悪感に苛まれた。なによりも、自分に。
(なんて、ことを)
フラウは関係無いのに、己の身勝手な感情で、傷付けた。この躯に。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「おれ、…おれ、っ」
「テイト」
困惑した面持ちでいるテイトに、フラウは名を呼んだ。
そのまま腕を小さなテイトの躯に回し、身を引き寄せ、その躯を腕に閉じ込めた。
(、え…)
何が起こったのか、判らなかった。
ただ、首筋に掛かった吐息に、馴染みの香りに、視界一杯に広がる金に、拘束された躯に、全てを悟った。
「テイト」
自分の名が、耳元で、どこか甘く響く。
途端に、躯を強ばらせた。
躯に回された腕に力がさらに篭もり、自然と躯が密着する。
「フラ、ウ」
しかしそれは、どこか安心し、そして懐かしく思った。その優しさに、涙が出そうになった。それなのに、泣けない自分が堪らなく憎かった。悔しかった。
悔しくて、テイトはフラウの背中に腕を回して、唇を噛み締めた。
「フラウ、ごめん、フラウ」
ごめん、と繰り返すテイトの髪を優しく撫でながら、フラウは諭すように、テイトの名を呼んだ。
首筋に額を押し付けて、縋るように自分の名を呼んでくるテイトに、堪らなく愛しさが募った。
泣けないと、そう言った瞳は未だに涙が出ないけれど、いつか素直に泣ける時が来ると、そう祈りを込めて、この小さな子供を抱き締めた。
「テイト」
そして涙を流すその時、受け止めるのは自分であれと、そう願ってやまないのだ。
「フラウ、見つけてくれて、ありがとう」
そう零した腕の中の子供に、フラウは一つ笑みを零した。
(ほら、おまえのはなしをきかせておくれ)
情緒不安定なテイトくんでした。
フラテイというよりフラ→テイ。
情緒不安定で精神ズタボロなテイトを構うフラウを書きたくて。のっけからシリアスに書くぞー、と意気込んだら長々となりました。
しかし書いててわかる。病んでるキャラ書くの好きだな私!(笑)
前向きキャラを後ろ向きにしたくなるのはある意味そういう性癖なんでしょうね。
せめて最後にほんのりと優しい場面を書こうと頑張ったのですが、うーむ。どうでしょう。
なんにせよ、書いてて楽しかったですっ\(^o^)/
お読み頂きありがとうございました!
2011.1.14
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