俊太は玄関に向かって歩くと、後に歩美がつく。 帰る支度を済ませ、俊太は二人を気遣って早めに退散することを決めた。 【俊太】 「悪いな、こんな話をしちまって」 後悔が少し滲む。しかし、これを機に何か進展して欲しいと願っていた。 並べられた白のタイルに、靴の外郭色のコントラストがはっきりしている。 【歩美】 「ううん、ありがとう俊ちゃん。話してくれて」 微笑むが、悲しみはやはり消せない。 俊太は、そんな彼女になんと言えばいいかを考えた。ずっと押さえ込んでいたが、ここで切り出すしかないと、彼は心の踏み切りを越え、決心の道を辿る。 【俊太】 「歩美ちゃんは、辰也のことをどう思ってる?」 【歩美】 「……どうって……優しくて、いろいろと面倒見てくれて……」 唐突な問いに動揺しながら、思うことを述べていく。 俊太は納得していない。 【俊太】 「もっと根本的に。歩美ちゃんは、辰也のことをどう思ってる?」 【歩美】 「え、えぇと……」 言葉に迷った。当たり障りの言い方で、なんとか答えを返すが、やはり俊太は納得しない。 そんな歩美の代弁のように、彼は答えを出した。 【俊太】 「辰也のこと、好きなんだろ」 【歩美】 「……そ、それは当たり前だよ!家族なんだから」 俊太は苦笑し、もっともらしい彼女の答えをはっきりと打ち消した。 【俊太】 「家族じゃなく、個人として、だろ?」 歩美は反論しようとした、が、その言葉は出ずに濁ってしまう。 彼女の顔が上気し、赤く染まる。そして、何も言わず、頷いた。 【俊太】 「なら、話は早い」 一段降りて、靴を取り上げて紐を解く。そのまま足に運び、取り付ける。 【俊太】 「あいつも薄々気づく時が来るだろうが、それじゃあいつは気づく前に死にそうだからな」 履き終わり、最後に詰めるようタイルに打ち、扉に向かう。 振り向き、歩美に言葉をかける。 【俊太】 「その気持ち、先にぶつけてやれよ。家族とか関係ないんだぜ、好きな気持ちは」 言われ、歩美の心は次第に揺れ始めていた。が、突然のことに、表情は困惑と戸惑いで曇っている。 やはり無理があるか─と俊太は考えたが、一瞬の希望の濁りをかき消し、佇んだ歩美に近寄り、力強く肩を掴んだ。 【俊太】 「もう歩美ちゃんにしか、あいつは……辰也は救えないんだよ!」 いつもと違う俊太の表情に、歩美は圧倒された。 その表情には、僅かな焦りも感じられ、そして苦しみを感じた。 俊太は、幼なじみで親友である辰也に、どうしてやることもできなかった。 喜びや怒り、楽しみや哀しみ─喜怒哀楽をずっと分け合ってきた、兄弟と言ってもいいほど、俊太は辰也の気持ちもわかる。 それでも、彼は断念してしまった。 兄弟に『生』を与えることを。 兄弟の『孤独』を消すことを。 その代わりに、気づいたことはある。 歩美こそ、辰也にそれを出来る存在であると。 だからこそもう一度言う。 【俊太】 「辰也を救ってくれ。歩美ちゃん」 歩美の眼には、確かな決意が見られた。 巴と別れた後、少し遠回りして、家に帰り着いたのはちょうど日にちが変わった時だった。 玄関の灯りは消えていたが、リビングに繋がる扉から光が漏れている。 (親父たち帰って来たのかな) そう思い、リビングを覗く。が、誰もいない。 付けっぱなしだと思い、リビングに入り、電気を消そうとスイッチに手をかけた。 【歩美】 「う〜ん……すー……すー……」 ソファーの上で、眠っている歩美を見つけた。 ため息が自然と出た。 何でこうも無防備過ぎるのか、それがわからない。 (やっぱり家族だからだよな) 当たり前の解答であるにも関わらず、考えてしまったことに、またため息。 とりあえず起こそうかと、体を揺する。 【歩美】 「うん……ん〜ん……すー……すー……」 起きる気配が感じられない。 何度か揺さぶったがまったく同じ反応だった。 【辰也】 「ったく……仕方ねぇな」 そのままにしておくわけにもいかず、辰也は歩美を部屋まで連れて行くことにした。 右手を山なりになった両膝の間に通し、左手で背中を支え、持ち上げる。 【辰也】 「うおっと……」 予想以上に軽く、勢いで投げてしまいそうになった。 リビングはとりあえずほうっておき、二階へと向かう。 階段の幅は、一人と半分くらい。自分の背中を壁で擦りながら、歩美を起こさないように運ぶ。 階段を上がりきると、部屋の扉が二つ。 手前側、可愛いらしい猫と犬のイラストに、縁取られた板に書かれた『歩美の部屋』。 辰也は正直、この部屋だけには近づきたくなかった。 あの日以来、全く入ることを拒み続けているその部屋には、いい思い出もなければ、嫌な思い出もないのだ。が、辰也の妹『有紀』にとっては、そこに思い出がある。 辰也はそれに後ろめたさを感じ、今でも近づくことはしていない。 (……仕方ない……か……) しかし、現状は歩美を運ばなければならないのだ、この部屋に。 歩美を落とさないように、抱えていた左手をギリギリまで伸ばし、ドアノブを回した。 目の前に広がったのは、あの時と何も変わらない光景だった。 素朴なベッドの上に、可愛らしい掛け布団。可愛らしいぬいぐるみ。机の上にある整理された本達。 歩美が引っ越して来たあの日から、まったく変わっていなかった。 (あの時もおれは……見てるだけだったな) 忙しく動く歩美を見ながら、何か懐かしいものを感じたあの日。 歩美をベッドに寝かせ、掛け布団を被せた。 優しい寝息に、少し安堵感を覚える。たが、それと同時に寂しさを感じた。 何故かはわからない。 ふと、机の上にある物に眼がいった。 (これは……) 日記帳。写真を貼り付けることが出来る物だ。 パラパラとめくり、あるところで止まった。 『11/14(水):天気(晴れ) 今日、私は前の家を離れて新しい家に引っ越しをした。お母さんが再婚して、新しいお父さんが待っていた。何だかちょっぴり恥ずかしくて、最初は何を話せばいいのかわからなかった。それよりも、気になったのは、辰也っていう男の子。』 自分の名前が出てきて、思わず苦笑してしまう。 『何だか……寂しさを隠してるようで、どうしても気になる。あと口調とかも悪いし、行儀も悪いし、料理も不味いし』 何だかだんだんと腹が立ってきたが、読み続ける。 『けど、とても優しい……。私は、初めて弟を持ったようで嬉しかった。だから決めた。私は、良い姉として辰也を見守ってあげようって』 貼っていた写真は、家族揃って撮った集合写真。 ここから始まったのかと、再びめくり始めた。 そこからはこっちでの生活を綴ったものだった。 初めて行った澄空デパートや買い物、料理のことや学校のこと。すべてが書いてあった。 それをめくりながら、ある事に気づいた。 (おれの名前が……ほとんどある) 行事には、必ずと言っていいほど辰也の名前があった。 めくる度に、一枚一枚に必ず。 そして、あるページにたどり着いた。 そこを読み、辰也は急にページを閉じてしまった。 (……そんな……馬鹿な) 驚愕の表情をしながら、歩美を見る。 安らかに眠る彼女を見て、辰也は─ 【辰也】 「……本当に……そうなのか?」 ─と呟き、これ以上居てはいけないと、部屋を出て、自分の部屋へと入った。 ベッドに飛び乗り、うつ伏せ寝の状態になる。 (本当に……歩美は……) そのページに書いてあった一つの言葉。 『私は、たっちゃんを好きになってしまった』 【辰也】 「ぐぅっ!?」 突如、胸が刺されたような痛みが走った。 苦しく、心臓が止まったように。 【辰也】 「歩美……おれは……」 満月の隙間光に照らされる中、辰也はゆっくりと深い眠りに入った。 翌日の放課後に、辰也はある場所に立ちすくんでいた。 辺りには、広い敷地を埋め尽くすような墓標の数々。 目の前には、『未来家の墓』と掘られた墓標があった。 綺麗に掃除され、綺麗な花を添えられた墓標は、対照的に美しさを持ってるかのよう光を反射し、輝く。 【辰也】 「有紀……お前を亡くしてからもう三年だな」 その場に、妹がいるかのように語りかける。 【辰也】 「あの時のこと……おれを恨んでるだろ。お前を助けられなかったおれを」 そう言い、空を見上げる。 今にも降り出しそうな曇り空。 【辰也】 「あの時も……こんな空をしていたな。雨が降って、傘持ってはしゃいで……っくっ!!」 思わず、両耳を塞いでしまった。 あの日の野次馬の声やサイレンの音、何よりも重々しく響いたブレーキ音が今にも聞こえそうだったからだ。 手を耳から話すと、辰也は苦笑する。 【辰也】 「お前が亡くなってから、新しく来た義理の妹がいるんだ。歩美って名前でな……ちょっとドジなこともあるけど、料理上手くてな。お前と似て……」 言って、はっとなった。 【辰也】 「お前に似てる……だからおれは……」 手のひらを見る。 赤々しく染まって見えた手のひらが、薄くなっていくのがわかった。 【辰也】 「こんなおれを、あいつは好きになったって書いていた……」 目から、自然と涙が溢れた。 その場に崩れ、膝を着き、声を漏らして泣く。 【辰也】 「おれはどうすればいいんだ……有紀……おれは……」 ─歩美が好きだった─ そして、 ─歩美を好きでいていいのか─ その自問が頭の中で繰り返され、答えは自ずと返って来た。 【辰也】 「もう……家族なんだ。それに、おれに歩美を愛する権利なんかない」 そう勝手に決めつけ、去ろうとしたその時だ。 同じように、墓標の前に佇んでいる人の姿に気づいた。 同じ澄空学園の制服で、哀しい眼で、しかし優しい眼で墓標を見ていた。目の前に大切な物があるかのように。 辰也は、その人物を知っていた。 【辰也】 「三上……智也」 名前を呟かれたことに気づいたのか、辰也の方を見た。 【智也】 「おう、確か……未来辰也だったけ?同じクラスの」 【辰也】 「あぁ、そうだ」 素っ気ない返事に、智也は少し不機嫌な表情を見せたが、辰也は気にしない。 【智也】 「お前も墓参りか?」 智也が尋ねると、辰也は軽く頷き、目の前にある墓標を確認した。 『桧月家の墓』と刻まれていた。 【辰也】 「他人の墓なのに、墓参りなのか?」 【智也】 「まぁな。桧月彩花……俺の幼なじみで、俺の大切だった人だ」 中学二年の時か。 俺は、その前に学校サボってゲーセン行ってな。その後日にそのことで学校に呼び出されて、罰を受けていた。って言っても、ただプリントを纏めるだけで早く終わったんだけどな。 それが終わった頃に、雨が降り出して、俺は彩花に電話したんだ。 『もしもし、彩花?雨降ってきたんだよ。傘持って来てくれないか?』 『うん、いいよ。五分くらいでそっちに行くね』 だけど、彩花はいつになっても姿を現さなかった。 遠くでサイレンが聞こえて、悪い予感だけが頭をよぎって、俺は雨の中を走っていた。 そして、事もあろう事に、救急車が走り去っていってな。 その場には白い傘が転がってた。 白い傘……彩花が気に入っていたその傘が、その場所にあったんだ。 そして、彩花は事故で亡くなったと、知らされたんだ。 【辰也】 「………事故で……雨の中で……」 幾つもの共通点に、辰也は驚愕した。 こいつも、おれと巴のように─そう感じた。 【智也】 「ははっ……なんでこんなこと話したんだろうな。誰にも話したくないことだったんだけどな」 智也は、曇り空を見上げて、口を開いた。 【智也】 「雨はいつ上がる?」 【辰也】 「えっ?」 急にそう言われ、辰也は戸惑った。 【智也】 「俺の悪友が、俺にある事を気づかせた一言なんだ」 【辰也】 「……なんでおれに?」 【智也】 「何でかな。俺と同じような匂いがしたから……なんてな」 智也はまるで冗談のように、辰也に笑って見せた。 【辰也】 「なんでだ?」 【智也】 「ん?」 【辰也】 「なんで笑ってられるんだ?大切な人が、自分のせいで死んだのに……その時自分が、何も出来なくて悔やんだんじゃないのか?」 巴も智也も、過去を振り切って前に進んでいた。 辰也だけが、過去の自分に締め付けられ、進めないでいる。 智也は、ふと墓標を見て、呟いた。 【智也】 「そうか……」 智也は、その気持ちが痛いほどわかった。 今の辰也のように、自分の無力に打ちひしがれ、今までずっと無力だと勘違いしていたあの日までを思い出し、口を開いた。 【智也】 「お前、今大切な人いるか?」 そう問われ、歩美の姿を辰也は脳裏に浮かべた。 【智也】 「俺に、もう一人幼なじみがいるんだ。同じクラスの、今坂唯笑。彩花と違って、いろいろと世話焼かせるやつだけど─」 苦笑し、その光景を思い浮かべながら淡々と話す。 【智也】 「ずっと俺を見ていてくれて、ずっと俺を好きでいてくれたんだ。彩花を亡くして、自暴自棄になった時も」 遠い日のことを、懐かしく思い出しているようだった。 【智也】 「さっきの悪友の言葉で、俺は自分の中でそいつが大切だって、気づかされてな」 『雨はいつ上がる?』 辰也の脳内で、その言葉が繰り返された。 【智也】 「そして、きっと彩花も、俺が唯笑を幸せにすることを望んでいるって……気づいたんだ」 辰也の鼓動が、一気に弾んだ。 以前とは違う……苦しみはない。 (そうか……おれはわかってたんだ) それは、自分の本当の気持ちに初めて気づけた合図。 【辰也】 「話の途中で悪い。用事で帰る」 辰也は、走り出した。 そして、心の中で智也に感謝していた。 その場に残った智也は、もう一度墓標を見て、呟いた。 【智也】 「彩花。お前が伝えたかったこと……これであいつも飛べるかもな」 『きっと飛べるよ』 墓標の前に、一人の姿が見え、微笑んだ気がした。 |