物語【永久編】 優しい戯言[前編] “待っていて欲しい”と言ったら。 貴方は、優しい拒絶をした。 “攫いに来てくれたらいいのに”と言えば。 貴方は、優しく笑った。 そして。 “また来る”と… 貴方は、優しい声を残して行った―… 〜優しい戯言〜 飛影が魔界へ戻ってから、三ヶ月近く。 …少し…、平和だ。 魔界の大統領が決まり、昔に比べて魔界の均衡が保たれているのだろう。 人間界での騒ぎも、大きいものは見られない。 予定通り義父の会社へ就職して。 その業務に慣れるのに時間を費やして。 慣れてからは、業務の繰り返し。 気付けばもう、三ヶ月近く前、だ。 彼の…飛影の顔を見たのは―… 不安じゃないと言えば、嘘になる。 淋しくないと言えば、嘘になる。 けれど。 胸元に在る彼の生まれた証拠が。 朝には眩しい陽を受けて。 夜には月明かりを受けて。 常に光ってくれるから… 例え、明かりが無い時であっても。 光を見せてくれるから… 乗り越えられる、逢えない時間も―… 只こうやって、持ち帰ってまでやらなければならない仕事が無く、自由に過ごせる久し振りの休日は。 飛影がどうしているのか、普段の倍は、深く考えてしまうものだ… 本当に。 「…何だか、平和だなぁ…」 平和である事は、決して悪い事では無いのだけれど。 本当の人間の様に暮らしている事が、今更不思議で。 平和惚けし始めているのが否めない訳で。 ―ダメだ… 考え過ぎるのは止せと自分に言い聞かせる。 珈琲でも飲みながら、休日を満喫すればいい。 引越し先も、この時間を利用して決めてしまえばいい。 そう思うのに、小さな溜め息が口をつく。 生きる場所が違う事を。 その場所の時間の流れが、きっと向こうの方があっという間なのだろうと… ダメだ、考え過ぎるな。 きっと彼なら、“下らない”と言う筈だ。 自分に心底呆れて、珈琲を入れようと、眺め過ぎた窓に背を向けた。 右手は自然に、胸元の氷泪石に触れていた。 あの時から治らない、癖だった。 ―リン… 風鈴が、鳴った。 約三ヶ月振りに、その音色を聞いた―… 「飛影っ」 慌てて振り返って出た台詞は、訪問した人の名。 そのまま、落ち着きの無い呼び掛けになってしまった。 「何だ、そこまで酷い傷じゃない。」 オレが慌てた理由を違う意味で捉えたらしい。 彼は傷を拵えていた。 あ、平和では無い人が、此処に居た―… 「時雨…ですか?」 放って置けと言う飛影の台詞を綺麗に無視して、雑に巻かれている包帯を直す。 「よく分かったな。」 「見事な切り口ですからね。で、また何で?」 「奴とは勝負がついてなかったからな。」 「…そう。」 前以て知っていたら、オレは止めていただろうな… 時雨と闘って無事に済む訳が無いと、そう思っただろうから。 けれど、目の前の飛影は傷一つ。 きっと圧勝だったのだろう。 短期間に、また腕を上げたのだ、飛影は。 オレの予想を遥かに超えて―… 巻き終えた包帯を少し眺めてから、飛影は体勢を変えた。 オレの膝を当たり前の様に枕にして、横になる。 急な事だったから、一瞬にして心臓が高く音を立てた。 けれど、飛影の目が閉じられているのを確認して、僅かだがホッとした。 下から見上げられては、どんな顔をしたらいいのか…逢うのは久し振りで正直分からないからだ。 飛影の艶やかな黒髪が、無造作にオレの膝の上で広がっている。 その艶やかな髪に指を絡めたい衝動に駆られたのに、オレの何かがその衝動を隠した。 「少しは落ち着いたのか?色々と環境が変わったんだろう?」 目を瞑ったまま、形の良い飛影の唇が動いた。 彼なりに心配してくれているのだ。 それが素直に嬉しかった。 けれど、その台詞が。 余りにも、身を置く環境が違うのだと…改めて思い知らされた。 環境が変わった…? オレの環境の変化なんて、たかが知れてる。 彼はいつでも命を懸けている。 高みを目指している。 それに比べてオレは…? 平和惚けして、やってる事と言えば会社と家の往復だ。 彼に心配される様な事なんて、少しも無いのだ。 こんなにも。 彼とオレが居る世界は違うのだから。 「…大丈夫ですよ。こちらは、平和だから。」 少しの間を置いて答えた台詞は、飛影にどう聞こえただろう。 余りにも今の自分の感情を込めてしまった気がして、心配してくれて有難うとどうして素直に言えなかったのか、直ぐに後悔した。 飛影ならば、きっと気付いてしまう。 上手く整理が出来なくなった、オレのこの感情を―… オレは未だ、飛影の髪に素直に触れられない手の行き場を、見付けられないでいた。 (後編へ…) [*前へ][次へ#] [戻る] |