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注・露骨な表現があります。
●マモンと縁寿と天草








 縁寿が身動ぎをしたのでマモンはうっすらと目を開けた。
 杭の少女はいつものように縁寿が一人で寂しがらないようにと彼女の近くに寄り添って、そして柔らかい熱源を求めて肌を摺り寄せる。心地がいい太陽の匂いがするベッドのシーツの上に包まる少女。心地がいい人間特有の甘い香り。前に寝惚けて彼女の肌に噛み付いた事がある。実体化できないマモンの甘噛みは痕にすら残らなかった。その時、マモンは純粋に勿体無いなぁなどと思っていた。
 彼女の白くて柔らかい肌。きっと強く唇で吸い付けば綺麗な赤い痕が残るだろうに。マモンは思い出しながらもまだまどろみの中にいた。
 次に、目が覚めたのは彼女が自分の横からいなくなっているのに気がついた時だった。
「縁寿さま・・・・?」
 ぼんやりとした声で彼女の名前を呼び、目をこすりながら身を起こす。
 彼女ら姉妹は何気ない、こういう人間のぶりが好きだった。
 縁寿は上半身だけおこしてまだベッドの中にいた。
 両手で顔を覆い隠しながら、何か嘆いているように見えた。
 泣いているのだろうか、少し気を遣いながらも声をかけようとした。
 その時に彼女が動く。片手で前髪を乱暴に掴んで、心底吐き捨てるように息を吐き出していた。呆れたような、怒っているような、そんな顔だった。  何が、彼女の心境を揺るがしている。
「縁寿・・さ、」
  再び声をかけようとしたとき、マモンはぎょっとした、縁寿が怒った顔のままぼろぼろと泣き始めたからだ。
 




「・・・・・・卑しい夢を見たわ」



 彼女は心底自分に嫌悪するような低い声音でそう呟いた。
「卑しい?」
 その言葉の意味が理解できずにマモンは単語を鸚鵡返しに聞いた。
「お兄ちゃんと抱き合っている夢だったの」
「それの、どこが」
 卑しいのだろう、と聞こうとすると縁寿は腕に回した手にぎゅっと爪をたてた。
「抱き合って、キスをねだって、た」
 縁寿は顔を下げて「いやらしい」と呟いた。マモンは縁寿の落ち込みように慌てる。彼の兄とはもうこの世にはいない右代宮戦人自分達が遂行した惨劇の被害者の一人、もっとも彼の場合は自分達が最初の主であるベアトリーチェが直接手を下した形跡があるのだが。確かに、彼は彼女の兄である。彼女のいう卑しいには当て嵌まるのだろうか。
「でも、夢の話ですよね」
 尋ねるように聞いたが縁寿は何も答えない。
「それに、キスぐらい可愛らしいもんじゃないですか、」
 縁寿はゆっくりと首をふる。
「汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず、ですよ。その、縁寿様はちょっと潔癖すぎるぐらいなんですよ、別にいいじゃないですか、むしろそう言った欲望を持つ事こそが正しい本来人間のあるべき姿なのですから、むしろ深層心理とはいえ己に忠実な縁寿様は立派に我らが主です」
 マモンは彼女を讃えるように言い、彼女の手を握って微笑んでみせた。
 縁寿はその微笑を今にも死にそうな顔でじっとりと見たあとで口先だけで「ありがとう・・・」と言葉を返した。
 その後に一人にして、と呻くのでマモンは悲しくなりつつゆっくりと姿を消した。


 結局、縁寿の後ろをただただ浮遊しつつ時計は午後を回った。
「お穣、どうしたのですか」
 屋敷の廊下で縁寿にその日初めて声をかけた自分以外の存在は絵羽の護衛のうちの一人天草十三という男だった。
「急になに、」
 縁寿はぶっきらぼうに声を返した。
「いえ、顔色がすぐれなかったのでどうしたのかなぁと、思いまして」
「天草には関係ないんじゃないの」
「まぁ、そりゃそうだ。でもお穣が鬱々していたから気になったんですわ」
「私が鬱々した顔をしているのは何も今にはじまったことじゃないわ」
 縁寿の言葉に天草は何かを言おうかと一瞬考えた顔をした後に、
「まぁそれもそうですか、」と一言言葉を落とした後で「笑っているお穣は可愛いいんですがね」などという言葉をサラッという。
 縁寿は一瞬驚いた顔をして、
「減らず口ね。天草」
 と、そこで呆れたように笑った。

 なにそれ、 

 後ろで彼女に見えないところで控えていたマモンは、整い均整のとれた顔を大きく歪ます。たかが人間風情が彼女に馴れ馴れしく話しかける様も、自分の時とは違い普通に反応する縁寿にも苛立った。
 自分は術者である縁寿の命令に従わないといけないから、いまだ彼女を一人にするためこうやって声すらかけられないというのに。立場が違うからなど関係ない。強欲の彼女にはその立場と権利すらほしいと思っていた。
 それと同時に、朝の自分の立ち位置がこの男だったら、縁寿に「一人にしてほしい」などと言われずにすんだのだろうか。それとも自分が異性の姿をしていれば彼女はまた違った反応をしたのだろうか、異性だから先ほどの言葉には意味があったわけだし。考えながらマモンはふらふらと空中を泳ぐ。
 縁寿と男が喋っている姿などみたくなかったのだ。

 その夕方、マモンは手紙を書いた。
 何かの干渉を受けていないこれくらいの物質になら触れる事ができる。
 その手紙を天草の部屋の前に置いた。
 天草は暫く気がつかなかったらしいが、同僚に言われてその手紙の存在に気づき、目を通す。 

『私は、右代宮縁寿を慕うものです。彼女のことを何よりも理解したいと思っている。今日の朝、貴方も気がついたように彼女の気分はとても優れなかった。原因は朝、彼女が見た夢にある。彼女はそれを卑しいといい自分を責めた。私にはその彼女の気持ちが少しも分からなかった。そのせいで余計彼女を悲しませてしまったようだ。私にはそれが辛くてたまらなかった。貴方ならそれをどう説くか』
 天草は暫くじっと手紙を見た後に考えるように黙りこくる。
 主の命令なしにこんな事はルール違反だ。しかしこの男なら、縁寿のことをどう思うのか、あの時の縁寿にどういう反応をしたのか、それが気になって仕方がなかったのだ。
 同僚がその手紙はなんだ、と天草に話しかけた。
「さぁ、誰かしらの悪戯じゃないんですかね」
 天草はあっさりとその手紙を丸めて近くのゴミ箱に捨てた。

 毒素の強い男には書面が見えなかったのだろうか。
 マモンがそう思いながらも再び天草の部屋に手紙を置きに行くと部屋の中から声がした。
「昼間、俺の部屋の前に手紙を置いた人ですかい?」
 マモンは慌てずにそうだと答えるように扉のドアをノックした。
「屋敷に仕えている・・・執事かなんかってところですかい?まぁ絵羽さんの手前、こういった相談が出来る人間がいないってのは、察しがつきますけどねぇ、俺が相談に乗れるかどうかわからんですよ?」
 【それでもいい】と紙にかいて扉の下から差し出した。
 天草は「それで、夢の内容は?」と聞く。
 マモンは【右代宮戦人と抱き合ってキスをする夢】と簡素に書いて天草に渡した。
 扉の向こうで「ぶっ」と天草が噴出した音がした。暫く何か咽ていた。飲み物でも飲んでいたのだろうか。
「えー・・・・・と・・戦人っていうのは、確か、お穣の、」
【腹違いの兄。12年前の六件島の被害者のうちの一人】素早く紙を送る。
 扉の向こうは暫くの無言、何か考え込んでいるようだった。
「いや、よくわからんですけどね、縁寿さんはお兄さんを実体化させたくないんでしょうよ」
【どういう意味?】
「だから、そこは聖域みたいなもので、」
 死者が強い原因の一つだ、と男はいった。
 右代宮縁寿にとって右代宮戦人という存在は自分を支えるための柱なのだと。
 自分を愛していてくれた人物、優しくて大好きな兄。それは尊敬であり純粋な恋心だったはずだ。それを無意識だったとはいえ成長した汚い自分のエゴで汚してしまった事に酷く嫌悪を抱いたのだろう、と。卑しいとは行為そのものではなく、右代宮戦人という自分にとっての汚されない思い出と聖域を自ら壊した、そういう意味なのではないか、と。
 男は語り終わった後で、まぁお穣らしいと付け加えた。
「境遇が境遇なだけありますがね、お穣は右代宮戦人がいないこんな現実なんて大嫌いですからね。お穣の現実に住む俺やあんたがいくら彼女を思って彼女を慰める言葉をかけたってちぃっともあの人の心には届かないし、お穣を慰める事なんてできやしませんぜ?」
 だから、どこの誰か知らないけど、あんたがいくらお穣を思っても無駄だと男は言う。 
「俺達がせいぜい彼女に出来ることと言えば見届けることぐらいですかね」
 マモンは頭にきて扉を強く蹴った。その憤怒が扉を震動させて扉の近くにいたであろう天草にも怒りは伝わったらしい。
 マモンは【そんなことはない】と送った。
「そんなこと、ある。あんた、お穣の近くにいてそんなこともわからないのかい?」
 ひゃっはっは、と男は声に出してマモンを馬鹿にするように笑った。
 マモンの心臓はどくりとはねた。

 この男!!!!大嫌い!!!!!!!!!

 再び扉を蹴った後、マモンは怒りと屈辱で細めた目で扉を睨んだ後、駆け出した。


 その後、日が落ちるまでずっと空き室の窓からぼんやりと空を見ていた。
 前の主人である黄金の魔女であるベアトリーチェに喜んでもらうことは簡単だった。適度に人間を貫き、自分があるべき思うべき言葉をただ口にすれば、それはよい、とケラケラ笑ってくれたものだ。寧ろ、自分はそうであるべきだと、その為に生まれて欲望のまま生きるものだと教わったのだから。
 しかし、縁寿の場合はそうはいかない。彼女が望んだのはただ、友達なのだ。これは勝手が違って仕方ないとは思っていた。しかし、それでも彼女の為に自分達はなっていると思っていたというのに。
 彼女の現実の自分の言葉が彼女に届かないのは当たり前だと男は言う。それではこの存在意義さえないではないか。あの男は見届けるという立ち位置でも別に構わないだろう。しかし、自分たちはそれでは駄目なのだ。彼女に使役するという立場から、彼女に干渉で出来なければいる意味すら定義すらなくしてしまうのだから。それだけはだめだ。絶対だめだ、と首を振った。
「おい、マモン」
 後ろから声があがる。彼女らの長女であるルシファーがたっている。
「・・・・・はぁい、なんですか。我らが麗しのルシファーお姉さま」
「いちいち嫌な言い方をするな。それより縁寿様がお呼びだぞ」
「・・・・・・はぁい」
「どうした、何か考え事か?」
 凛々しい声が少しマモンの調子を尋ねるように聞く。姉妹の心配など、この姉も随分と人間の真似が上手くなったものだ。
「別に、なんでもありませんよ、お姉さま」
 マモンは口元だけ笑った。 




「朝は、悪かったわ」

 縁寿のもとに行くと開口一番に謝罪された。
「え、いえ、縁寿様は何も悪くないですよ、私がただ貴方の望む言葉を知らなかっただけで」
「・・・・違うわ、貴方は本当に悪くない」
 縁寿があれは只の自己嫌悪なのだから、気を遣わなくてもよい、と言葉を落とす。あれ、本当に自分は彼女の中に入れ以内。
 マモンは益々なきたくなった。強欲である自分がその立場に甘んじているのが何よりも信じられなかった。
「・・・マモン、どうしたの」
 縁寿が気遣う声をかける。
 なにせ、そう強欲なのだ。自分の気に入ったもののためなら惜しみなく何でも捧げたいのだ。それが縁寿なのだ そして自分は男の型の方がきっとしっくり来た。マモンは静かに思った。
 彼女に触れたい、干渉したい。この欲望を心身共に身をもって刻み付けたい。独占するなら、やはり、魔女と悪魔(自分はただの一介の家具にすぎないが名は悪魔である)の契約だ。そう契りを交わすべきだ。
 マモンは手を伸ばして縁寿の頬に触れた。とはい、お互い感触はないのだけど。
「マモン・・・・・・?」
 彼女の綺麗なきらきらとした、舐めたらとても甘そうな目がマモンを見ている。喉に触れる、体に触れる。感触はないけど。手に触れた。
『すべすべの手』
 魔女と悪魔の契約。
 彼女を犯す大義名分。
 この白い肌にかぶりつきたい。くらくらする、甘い香りに。
 赤い、綺麗な髪を見る
『水につけて、そのまま飲み込みたい』
 悪魔の欲望は人間のように何十も包まっていない、だからそれをそのままぶつけたい。本来自分達は欲望そのままなのだから。自分に男性器があったのならば感情のまま彼女と繋がりたい。無理矢理に彼女の中に捻り込み入れてやった後に動いてやりたい。彼女の柔らかい乳房を揉みながら下半身に手を伸ばして彼女の子宮をたっぷりと自分の体から出た白濁で犯してやりたい。兄の事しか考えないその頭に自分という存在を叩きこんでやりたい。泣き叫ばせたい。現実を感じさせてやりたい。処女だろうから、太股と伝い流れる赤い血を舐めとってやりたい。

 犯してやりたい、えぐってやりたい、犯してやりたい、犯してやりたい、犯してやりたい

 最初は痛い痛いと泣いていてもそのうち抜き差しする己が欲望に魔女は恍惚の笑みで答えてくれそうな気がするのだ。
「縁寿様が元気になられたのならよかったです」
 マモンは目を細めて笑った。
 
 しかしそれも出来ない。実体化できないせいではない。自分は彼女に仕える立ち居地の存在なのだから。
(彼女が大声涙目で否定し続ける現実での住民でも白昼夢と罵られてしまえば消えてしまう立場の危うい存在でも)













 彼女が魔法を使った。自分達は実体化し、露と黒服たちを貫き殺した。
(それが、たとえ、幻想世界の話であっても、これが彼女の中の現実である)
 そして、1998年に右代宮縁寿は死んだ。
(幻想世界で彼女が死ぬ原因はない。ゆえにこれは彼女の嫌う現実世界での干渉である)
 そう、縁寿さまが死んだ。マモンはそう呟き、人間のせいでぶらされた自分の感情で視界をゆがめさせた。涙がぼろぼろと落ちる。彼女が死んだなら彼女が現実で抱いた幻想の自分も消え入るのだろうと静かに思っていた。しかし、彼女に仕える立場の自分なら本望だ、と思ったのだ。
 船を動かしていた男と天草十三が、発砲の音に気がついてこの場にかけてきた。
「こ、これは・・・一体なにが・・・縁寿さん」
 船長が驚いた声をあげていた。彼にとっては右代宮の、再びの帰らぬ生還を出してしまった事をこの先また悔やむ事になるだろう。
 そして、見届ける立場であったこの男はどういう終わりを彼女とするのか、それが気になった。
 
 天草は横たわり、ぴくりとも動かない縁寿を見た。唇が、少し震えた。
 私は強欲なのだから、彼女の傍にいて、今度こそ彼女のやくに立てた自分を誇っている。悔いなどないが、男は別だろうと思っていた。

 天草は縁寿を抱きあげる。
 そして頬についた泥と返り血をゆっくりと拭いてやっている。そして髪をよけて縁寿の額にゆっくりと口付けを落とした。
「お穣・・・・・・・・・」
 男は口元を穏やかに緩めた。
「おやすみなさい、お穣、」
 ゆっくりと優しく声をかけていた。


 なにそれ。

 マモンは不満そうに呟いた。なに、貴方はそれで満足なのか人間?
 そう、聞けば、彼は満足だと言ってしまいそうで怖かった。だったら、本当に自分も彼も変わらない。
 彼女に仕えるもの、
 彼女を見届けるもの。
 
 いずれも干渉できないのだ。 
 だったら、それら全てが欲しかったなど、やはり傲慢の自分にならではの感情だというのに、まるでそれが人間の感情みたいでひどく嫌だった。 
 男は自分と違って泣きもしない。ただ縁寿を見届けただけだった。
 それなのに男と同じ気持ちでずっと縁寿を見ていたなどと今更わかってしまった。


 そう、私達がどんなに彼女を愛そうと、彼女が答えてくれないことを私達は理解していた。
 そして、それでもやっぱり私達は、彼女が好きだった。



 好きだったんだ。
 






こっちを向いてよハニー




090430


あきゅろす。
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