.
●天草と縁寿

おかゆ








 ぐわんぐわんと頭の中に響き渡るは残響音。もそりもそりと頭に掛かっているのであろう毛布から縁寿は手足を使い這い出た。頭が動き出していないせいか。此処が何処だか分からない。最後に意識を失う前の事を思い出そうとする。
 低くて悪意の篭った数人の男達の声だとか床に無理矢理抑えつけられて前髪を引っ張られて顔をあげられただとか、酷い状況だった気がする。
 その視界の先にくすくすと気分が悪くなる女の鼻にかかった笑い声。
 女の真赤のルージュを引いた赤い唇が動いて声を出す様まで覚えている。
 では、その後の事は?

「はい、お穣」

 焦点の合わない視界の中でいきなり目の前にお碗を出された。縁寿は条件反射でそれを受け取った。
「・・・・・・なにこれ」
 ぼんやりと声に出す。
「七草粥です、胃が弱っていると思うんで、それぐらいのものから食べた方がいいですぜ」
 縁寿は受け取ったお碗の暖かさと中を覗き込んで白い白湯に緑が浮かんでいるのを確認する。
「・・・・七草粥って一月七日でもないのに?」
「ヒャハハ、まぁ、確かに確かに。一月七日に食べるものですけど、一月七日以外に食べたらいけないって言う決まりもないですよ。春の七草粥ってのもあるわけですし」
 へぇ、春の七草粥。と縁寿は言葉を落とした後で木のサジを受け取った。
 受け取った後で、そのサジを受け取った手が見覚えのない男の手だったので縁寿は顔をあげた。
「・・・・・・なんであんたが目前にいるわけ??」
「なんでって、そりゃ、此処が俺の家だからですわ」
 縁寿の頭はその言葉でようやく覚醒した。
 目前にいるのは絵羽の護衛の天草十三だ。いつも被っている帽子を脱いでいる。切れ味の鋭い目に整った顔立ち。黙っていれば顔はいいが、にへら、と軽薄そうな笑みを直ぐに浮かべるので台無しになる。
 縁寿はお碗を持って毛布を被ったまま、辺りを見回した。
 
 見慣れない景色のはずだ。こんなところ今まで見た事がないのだから。
 簡素なマンションの一室だと思われるそこは家具などほとんど置いてなくて奥の部屋に小さなテレビが一台置いてありあとは服などがだらしなく脱ぎ捨てられてある。所々カップ麺の空容器などが転がっているが、
 恐ろしく生活臭がしない空間であった。
「なんで、私があんたの家にいるわけ??」
 縁寿が天草から距離をとりつつ聞く。
「そりゃ、捨てられてたお穣を俺が拾って帰ったからですわ」
 天草の言葉でようやく縁寿は気を失う前の事を思い出した。

 縁寿は熱を出して数日寝込んでいた。
 看病をしてくれるものなど誰もいない広い屋敷の中で一人熱に魘されていた。そこに、絵羽が訪れた。なんの気まぐれだろうか。多忙な彼女が自分の時間を割いてまで訪れるなんて。縁寿が不思議に思っていた時に、女はゆっくりと口を開いたのだ。

『そういえば、縁寿は十数年前のあの日も寝込んでいたらしいわよね』
 にやにやと笑いながら彼女は言葉を続ける。
『季節の変わり目にはいつも体調を崩すって・・・霧江さんが言ってたのが懐かしいわ』
 香水臭い顔を近づけて火照って動けない縁寿の頬をかさついた指でゆっくりとなぞりながら頚動脈まで落とす。耳元でそっと『大丈夫?』と、囁いた。

 頭に血がのぼった。ぜーぜーと荒い息をはいて縁寿は隠しもしない剥き出しの感情で絵羽を睨んだ。白々しい!!!お前が殺したくせに!!!!人殺し、お前がお兄ちゃんやお母さんやお父さんを殺したのだろう?この人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人 殺  し  人  殺  し、

たまらなかった。
 近くにあった鋏を手に取り起き上がり様に女のその細い首に突き立ててやろうとした。

 結果、
 縁寿は彼女の護衛の男達に床に抑え付けられてしまった。

 女がその様子を暫くじっと見ていた。突然の縁寿の行動に少し驚いたような顔はしてみせたが。縁寿は涙目で女を睨む。でたらめに人殺し!人殺し!!と叫んだ気がする。熱に魘されていたからよくこのへんは覚えていない。彼女が自分のそう言った行動を喜ぶ節があるからここ数年は彼女の前で感情を露にするなどなかったというのに。

 絵羽は口を開いたのだ。

『可哀想に、あの時も寝込みさえしなかったら・・・・ちゃんと家族で死ねたのにね?』

 くすくす、げらげら。絵羽は、あーおかしい、と大声で笑った。
 
 今、思い出しても腹がたつ。その後で絵羽は男達に命じて縁寿を右代宮の屋敷の倉庫に連れていった。
 寒い、冷えきった倉庫の中で絵羽は護衛の男達に甘く囁く。
『この子、好きにしていいわよ』
 男達は戸惑ったように顔を見合わせていた。
『生娘で物足りないっていうなら、殺すだけでもいいわよ』
 殺せという明確な命令に男達が動き、縁寿に伸ばされた。もとより数日間寝込んでいた縁寿に抵抗できる術などない。服を乱されて乱暴に髪を引っ張られて足を引き寄せられたとこまでは覚えている。
その時、絵羽の護衛の一人の男が絵羽によって何かを伝えて、男達の動きが止まって、
 それから、それから・・・・??


「私・・・・・」
 縁寿は毛布の下の自分の体を確認する。服など乱されたままだが、別にこれといった異常はない。
「なんで生きているの??」
「伝言が来たからですかね」
「意味がわからないわ」
「今、あの人が贔屓にしている宗教団体からだったらしくて、すぐに絵羽さんが向かわないといけないってことになったんですよ。で、そのまま縁寿さんを放り出して向かわれたみたいで」
「あら、じゃあ絵羽叔母さんは殺したい程憎んでいる私よりもよくわからない宗教団体を選んだのね。妬けるわね」
「ヒャッハッハ、まぁふられてよかったって話ですな。まぁ、そこで放っておいたら死にそうだったから拾って帰ったんですよ」

 そう言いながら天草は鍋ごと自分の七草粥にさじをいれて食べはじめる。がつがつと食べた後で縁寿に視線を向ける。
「粥、」
「え」
「冷めちまいますぜ」
「・・・・・そうね」
 縁寿は天草にならってサジで白飯を掬い口に運んだ。
 熱い、久方ぶりにする食事が喉に通った時、自分の空腹に気がついた。素朴な美味しさだった。なるほど、これなら胃に優しいな。などと考えながら啜るように食べた。
「天草、でもあなた、また勝手な事をして絵羽叔母さんに怒られるんじゃないの?」
 縁寿の言葉にもう食べ終えた天草が鍋を横に置きながら笑う。
「いんや?ちゃんと許可はとってますぜ?」
「よく許したわね、あの叔母さんが」
「そのままここで殺すなんて簡単な方法でいいんですか、って聞いたら渋々と連れて帰れと言われましたね」
 人の命のやりとりを実に軽々しくする連中である。縁寿は溜息をついた。
「その際に、」
 天草がぽつりと言葉を落とす。
「お穣を好きにしていいって、俺も言われたんですけど」
 縁寿が透明な目をゆっくりと天草に向けた。天草は縁寿の様子を伺うようににやにやと口元を緩めている。
 縁寿は暫くその天草を見た後で「それで、」と呟く。
「どうするつもり?」
 天草はそこでいつもの軽薄そうな笑みを向けた。
「まぁとはいえ、お穣は俺の趣味じゃないんで」
 命令でないなら特に何もしようとは思いませんね、と笑った。
 縁寿は質の悪い冗談をいうその男を睨みながら残りの粥も食べきった。そして辺りを見回す。
「それにしても、殺風景な部屋ね」
「まー、こっちにいるのは。絵羽さんに雇われている間だけですからね・・・。荷物はいつも必要最低限だ」
 
 毛布と、器具と、お湯が沸かせる器具
 手で指しながらそれらがあれば事足りる。と天草は笑った。 

 器具と指した方向には無線機やスタンガンや警棒、はたまた銃らしきものもダンボールに突っ込まれていた。
 なのに、調理器具はしっかりと整頓されて小さな台所のキッチンに収まっている。
 ふ、とそこで思いあたった。辺りをもう一度見回して毛布が一枚しかないのに気づく。そして起き上がった時に額から落ちた布切れを見る。
「ひょっとして・・・看病してくれたの」
「まぁ、そりゃ。病人ほったらかして横でぐーぐー寝てられんでしょう?」
 きょとんとした顔で当たり前だと言わんばかりの顔で天草は言った。縁寿は慣れない親切にどう返したらいいのか分からずに消え入りそうな声で「ありがとう」と一言呟いた。天草はそれぐらい別にいいですよ、軽く流すが。この部屋に毛布は一枚しかない。もう春の中旬とはいえ夜は冷え込んだだろうに。
 天草は腕時計を確認して立ち上がる。
「飯も食えたし顔色もよくなった。熱は下がったみたいですし、じゃあ、そろそろ屋敷に戻るとしますか?」
 大きな欠伸をして伸びをする。
 感謝ぐらい、すべきなのだろう。そう縁寿が財布から札束を出して天草の前に差し出す。
 天草はその札を見てまた軽薄そうな笑みで「縁寿さんはこういう所が気前よくて好きですぜ」とけらけら笑ってそれをしっかりと受け取る。
 誰も信じない期待しない、そんな年月をずっと重ねてきた縁寿にとって天草とて例外ではない。しかし、天草は縁寿から金をもらわなくてもその倍を絵羽からもらえるはずだ。ようは、金には困っていない。ならば、金以外に何か理由があるのかもしれない。ぼんやりと思いながら乱れた服装を直す。治した後で毛布から這い出た。

「どうして、あんたはそんなに私を見てくれるの?」
 なんとなく聞いてみた。
 天草は暫く無言。上着を着て、床に落ちていた帽子を最後に拾って「猫とか」と呟く。
「あんまり、拾ったりしないんですけどね、昔から、猫とか拾ってくると最後まで世話するタイプの人間でね」
 好きだとか、可愛いからとかそういう理由ではなく。ただ、拾ってしまったものは仕方ないから、と淡々と世話をし続けるらしい。
 例えが捨て猫だったので縁寿は微妙な顔をしていた。

「だから、お穣が本当に絵羽さんに四肢を切り取られても、男に慰みものされて打ち捨てられても、俺はちゃんと面倒みますぜ」
 
 天草は縁寿に顔を近づけて、全く顔色を変えずににこりと答えた。


「それは、安心ね・・・・・」

 縁寿はやけに近くにある天草十三の顔を見てぼんやりと答えた。
 四肢が切り取られて芋虫のようになった自分のもとに今日と変わらずけらけらと軽薄な笑みを浮かべて粥を作ってきてくれる目の前の男を想像する。毛布の中でもぞもぞとしている自分を抱き起こしてくれて手もなくなっているだろうから、口元まで運んでくれて、世話を淡々と続ける男。もう、それは狂気の沙汰以外のなんでもないと思うのだが。

 改めて、殺風景な男の部屋を見る。
 まぁ、それでも男がそうしてくれるというならば、自分の未来は少なくとも安泰だ、と吐き捨てるような気持ちで縁寿は思った。
 そして、立ち上がり、玄関の扉を開けてエスコートと言わんばかりに笑顔で待っている天草の下へと向かった。










「好きにしていいわよ、」
 絵羽がゆっくりと言った言葉に天草は抱き抱えた縁寿を見た。
「やー・・・と、いいましても」
 縁寿にそういう感情がわかないもので、と言い訳をしようとした時に、絵羽の唇が吊りあがった。
「だって、天草、あなたその子の事が好きでしょう?」
 にっこりと微笑まれた言葉に、天草が言葉を失った。その様子を見て絵羽は可笑しそうにまた笑った。

「分かっていると思うけど、あなた、もういらないわよぉ?」

 解雇宣言をゆっくりと絵羽は天草に出した。
 そして立ち去っていく。
 残された天草は縁寿を抱き抱えたまま、乾いた笑いを零して「あーあー、これからどうしますかねぇ」とただ静かに呟いたのみだった。






 お か ゆ 




090425





あきゅろす。
無料HPエムペ!