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●楼座と真里亞










 声にならない悲鳴をあげて楼座は目を開けた。
 

 肩を上下させながら驚いて目を大きく開けている。凄い速さで流れる感情にゆったりと思考が追いつくまで楼座は怖い気持ちでいっぱいだった。
 がたん、と揺れた体と、線路を走る音と、無数に見える背凭れと、背凭れから覗く人の頭を見て、今、自分が置かれている状況を理解する。思考が追いついた。
 暫くしてようやく此処が汽車の中だという現実を思い出す。
 手を握り締めると若干、湿っていた。
 呼吸は酷い。片側に感じた重みと温かみで楼座は濁った瞳をそちらに向ける。
 自分が作ったへたくそなぬいぐるみを抱えた娘が寝息を立てて寄り添っている。
 
 現実、現実だ。
 
 再び深い安堵の息をついて楼座は両手で額を支えて俯いた。

 怖い、酷い、最悪な夢を見た。

 腕時計に目をやると最後に時刻を確認してからそうそうたっていない。
 僅か15分ほどで悪夢に誘われたのだと把握。
 新鮮な空気が吸いたくて片手で窓をあけようとする。
 予想以上の冷たい空気と音が隙間から流れこんできて慌てて楼座は窓を閉じた。そのさいに真里亞が傾いてしまった。
 しまった、と思った時には遅くて真里亞がゆっくりと落ちる。
「ま、り」
 名前を呼ぼうとしたとき、真里亞はぴたりと止まる。止まってゆっくりと楼座を見た。
「ママ・・・うー・・・・」
 寝惚けているのか、その目はどこか、空ろだった。
 楼座はほっと胸を撫で降ろしながら真里亞を見る。
「真里亞、ごめんね。もう少し寝ていていいわよ」

 真里亞は小さく首を横に振る。そして次に何を思い出したのか怯えた目で楼座を見た。
「な、なに?」
「・・・・まっ・・・・ママが、さくたろ・・・・を破いた」
「はぁ?」
 楼座は眉を寄せる。その後で苦笑。
「さくたろうは真里亞が持っているじゃない、寝惚けているの??」
 真里亞はきょとんとした顔を見せた後で自分が掴んでいるものが何か理解したらしい。
 ほっと、胸を撫で降ろした後でぬいぐるみを抱きしめた。
「ママが・・・さくたろ、びりびりに破いて、綿を出して、踏んづけて、脅して、そして、殺した」
「・・・あんた、時々、酷いことを言うわよね。・・・ママはそんな酷いことしません」
 楼座がため息交じりに告げて肘を窓枠につける。気分を少しでも回復するために外の風景を眺めていた。雪がちらほらと降っている。車内は暖かかったが窓ガラス付近は冷たい。
 トンネルに入った。窓ガラスから真里亞が楼座を見ているのが鮮明に写った。
「なによ、その目」
 窓ガラス越しに楼座は声をあげる。
「きひ・・・・・そうだね。ママはそんな酷いこと・・・しないよね?」
 真里亞はそういった。「そうよ」と、言った後で楼座は暫く考える。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、でも・・・わからないわね。・・・・・・・あんたが、よっぽど、我侭だったら、するかも・・・・・・・」
「ママは正直」
 いつもの、きひひ、という不気味な笑いではなく「くす」っと真里亞は笑った。
 楼座はそれを横目で『気味が悪い』と睨み付けた。
 視線を窓から前に座る人々の席に戻した。
 そのうちの一つの席からのぞいた女性の横顔に楼座はびくりと肩をあげて怯えた。
 姉の姿に見えたのだ、よく見れば別人。
 しかも全然似ていない。姉のよく着るような服をきていただけだ。
『・・・・・まぎらわしい・・・!!』
 楼座は心の中で悪態をつく。苛苛が止まらない。

 暫く、ごとごとごと、と動く電車の中で揺られていた。

 その状態が延々続くのではないか、と楼座は錯覚に陥りそうになる。
 そこで、ふと気づく。
 気づいた後で、しかし、それは可笑しい、と自問自答をしだす。
 母のその様子に気がついたのか真里亞は薄く笑いながら楼座を見る。
「・・・・・・ね、ねぇ、真里亞・・・あのね、その・・、」
「なに。ママ?」


「・・・・真里亞、その・・・私たち何処に・・・向かっていたんだっけ??????」



 真里亞はゆっくりと口を開く。

「・・・・・・忘れちゃったの?」
 楼座はごくりと喉を鳴らした。
「だから・・・聞いてるんじゃない」
 変な話だ。真里亞と汽車にのっている事は理解できる。
 ただ、真里亞と何故汽車にのっているのか。汽車にのるのは何処かに行きたいからだ。
 なのに、楼座はなんの目的にそれにのったのか、また、その汽車が何処に向かっているのかも分からなかった。

「ここ」

 真里亞が言うと汽車が汽笛を鳴らしてゆるやかに停車した。

 


 真里亞と手を繋いで、遠くなっていく汽車を見送った。
 なんてことはない、前に真里亞が行きたがっていた海辺近くの遊園地前のホームだった。
『場所はわかったけど、私がなんでここに真里亞と来ているかは思い出せない』
 楼座は静かに考えながらも一人ぬいぐるみを抱えて走り出す真里亞の背中を見つめていた。
『約束をした覚えもない』
 最初は海に行きたい。そう告げて崖に近づく。
「危ないから、一人でいっちゃ駄目よ、真里亞」
 追いかけて、記憶を頼りに海まで降りる階段を探そうとする。
「崖は危ない?足を滑らせて落ちたら大変だから?」
「ええ・・・そうよ」
「真里亞みたいなひらひらした服じゃ危ない?」
「・・・・そうね、あなたみたいな服だと危ないわ」
「足を滑らせて落ちちゃう?」
「・・・ええ。だから」
「足を滑らせて落ちて、頭わって、死んじゃう?真里亞みたいなふわふわしたレースがついたお洋服着た人だと死んじゃう???」
「しつこいわよ!!!!!!!」
 楼座が叫ぶと真里亞は表情を歪めて小さく「きゃっ」と叫んだ。
 それを見て楼座はすぐに「ごめんなさい、」と短く呻く。そして誤魔化すかのように背中を向ける。その後ろで真里亞が
「そんなの、真里亞でも分かるのに、ママ、馬鹿なんじゃなぁい?」
 と、姉のような口調で呟いたのが分かった。
「・・・・・っ!!!!!!」
 手を振り上げて振り返った。が、楼座はその手を静かに下ろす。
 真里亞は酷く冷めた目で楼座を見ている。

「ママ」

 ゆっくりと、真紅の唇が言葉を紡ぐ。

「・・・・・・・・」
「海に、行こう、遊園地にいこう、」
 そう言ってゆっくりと崖から足を出そうとしたので楼座は短い悲鳴をあげて慌てて真里亞にかけて抱きしめた。そのさいに足を滑らせそうになったが、なんとか踏ん張る。真里亞の靴が片一方落ちていく。その遠い落下音を聞いて身を震わせながら、
 真里亞を抱きしめたまま地面に倒れこんでしまった。

「なにを考えてんのよぉおおお!!!!危ないっていっているでしょ??!!」
 楼座が叫ぶと真里亞は楼座を押し倒す形でぐるん、体を回して見下ろした。
「な、なに」
 真里亞は愛おしそうに楼座の髪を一房手にして口につける。そしてゆっくりと唇を横に広げる。楼座はその仕草が彼女の父親と同じであったのを思い出し、ぞっとする。かつては、胸をときめかせたはずの、その仕草に。ゆっくりと手を伸ばして楼座の頬に触れて滑らせる。

「ママ、あいしてる」

 愛の言葉を囁いてゆっくりと口唇をつける。ふんわりと漂う甘い匂い。
 小さな手がマフラーを解いてコートのボタンを外す。
 スカーフを鈍い動作でといてゆく。素肌が寒い気温の中で露になり楼座びくりと怯える。
 真里亞は気にせずにそこに顔を近づけて素肌を小さな舌で舐めた。
「・・・っ・・・ま、」
 その後で両手でブラウスを掴み左右に引っ張った。縫いつけがしっかりとされていたのと、真里亞の力が弱いため、布が張っただけでボタンはついている。しかし、何度か繰り返すと、音を立てて破れた。
 破れて肌が外気に触れる、レースがついた白いブラに手をかけて上に捲くりあげる。零れるように乳房が震えて露わになった。乳房の先端の薄桃色がはじかれる。
「ちょ・・・ちょっと」
 楼座が正気にもどり真里亞に静止を呼びかけようとする、その前に真里亞の手が柔らかな乳房を鷲づかみにする。電撃が走ったような痛みに呻く、楼座を無視して真里亞は口を近づけて乳房の先端を齧る。
「ぃたっ」
 楼座が身を捩った、すきに真里亞は足を楼座のスカートの中にもぐりこませて、足の指で楼座の下半身を這わせる。下着越しに敏感な場所をぐりぐりと踏まれる。
「・・やっ・・!・ちょっ、・・・・」
 楼座が顔を真赤にして身を捩る。真里亞は両手で楼座のわき腹をしっかりと握って、愛撫を続ける。
 屋外で、しかも観光地の横で!!!誰に!!!自分は何をされている!!!!
 真里亞が声を低くしてもう一度つぶやく。
「ママ、あいしてる」
 それが引き金、楼座は怒りで真里亞を跳ね飛ばした。
 真里亞の小さな体が地面に倒れこむ。
 楼座は息を荒くして慌てて破れたシャツを寄せて立ちあがる。
 外はこんなにも寒いのに顔が熱くて溶けそうだ。
 ゆったりとした動作で起き上がってくる真里亞を心底気味の悪い目で見る。

「いたずらが・・・・すぎるわよ???!!!真里亞!!!!!」

 真里亞は起き上がり楼座を変わらず冷えた目で見ていた。
「だって、ママの愛しているはこういうことじゃないの?」
「な、」
 楼座はそこで真里亞が自分と自分が家に連れ込んだ男の誰かとの行為を見られていたのだと察知した。だから何か勘違いをしているのだとも。
 恥ずかしさと、鍵を確かにかけたはずだという後悔と、気まずさに顔を青くさせる。
 穏便に、なんとか誤魔化そうと乾く口を開く。

「あのね、真里亞、それは違うの、あれと、貴方への愛は違って、ね??その・・・ね」
 ばかっ  ・・・しんじゃえっ!!!!と誰に向けての言葉か分からない言葉を心の中でも繰り返しながら呟く。目の前に向けての娘か、自分か、家で見つかったらまずいから、とあがりこんできた男か、それとも鍵は必ずかけるからと押し掛けてきた男か、真里亞を見てから考えると結婚をダシにしてきた男か、ぐるぐると考えながら楼座は真里亞に近づこうとする。
 

汚いところを剥ぎ取っていけばいつかは、
いつかは、綺麗な部分が見えてくるはずなのだ。
だから、ここを誤魔化せば、綺麗な母親像が戻るわけで。

「あ、愛してるわ、真里亞、あの人たちとは違った形で、そのね、」
「真里亞を置いていくのが?」
「お、お仕事だから、でも参観日には参加してるじゃない、ほら、愛してるわ」
「真里亞を一人にしてご飯をつくってくれないのは?」
「で、でもお金はいつもおいていっているじゃないの、それは愛してるから、よ、ね?」
「真里亞を殴るのは?」
「あ、あいしてるから、顔を傷つけないようにしてるじゃない、愛してるから、女の子に酷いことしないようにって、愛してるから」
「真里亞のさくたろを引き裂いちゃったのは?」
「教育のため・・・貴方が現実世界でも友達ができるようにって、愛してるから、貴方のために・・・・って、あれ?」
 自分は何をいっているのだろう、と真里亞が落ちているさくたろうを拾って砂を払っているのを混乱する頭で見ていた。
 真里亞はぬいぐるみを片手に楼座から一歩距離をとり

 楽しそうに可愛らしく微笑んだ。


「わかった、よ、ママ。私はママに愛されてる。よって私は愛されているママのためにもっともママが喜ぶ形でその愛に答えようと思う」


 ゆっくりと楼座の方向を向いたまま、崖から、落ちた。


 楼座は唖然とした様子で今度は止める暇さえなく、空中に消えていった彼女を見つめていた。
 海辺の方から悲鳴があがった。こんな寒空の中で海辺に人がいたのだろう、などと考えた後で、 呆然としたまま「ははは」と乾いた笑いを落とす。下が騒がしくなるのを聞きながら楼座は微笑んだ。

「よかった、真里亞、ようやく私の愛を理解してくれたのね」

 楼座は笑おうとして失敗して、顔を醜く歪めて声にならない悲鳴と嗚咽こぼして絶叫した。





「違うでしょう違うでしょう???!!!でも、そうじゃないのよ!なんでわかってくれないの!!!間違ってるわ、違うのよ、なんで伝わらないの!そうだけど、それが正解だけど、それも違うのよ真里亞、わかってよ、わかってよそうじゃないの、!!言葉で言い表せないのよ仕方ないじゃないの!違うのでも、違うのぉおおお!!!!」


 楼座がよく分からない悲鳴をあげていると、後ろから抱きしめられる。
「違うの?」
 先ほど目の前で消えた娘の言葉に楼座は馬鹿みたいに首を何度も縦にふった。
「じゃあ、これが正解?」
 ゆっくりと柔らかい体温で真里亞が楼座の頭を撫でる。


 楼座は馬鹿みたいに左右に首を振る。

「・・・違うのぉおおお・・・・違うちがう!!・・それは、ある意味正解だけど・・・・・それも違うのぉおお!!」

 真里亞はため息をついた。


「じゃあ、ママはどうしたいの?何に正解と判を押すの??真里亞とどうなりたいの??」

 呆れたような口調に楼座はえっと、えっと、えっと、と嗚咽に混じりながら言葉を紡ぐ。

「悪い・・・ところを・・・・少しずつ、剥いていきたい・・・・私も、貴方も・・・悪いところは少しずつ捨てていきましょう・・・・それで、それで・・・・それを繰り返していけば、いつかは腐ったところがなくなって・・・・綺麗な実がでてきて・・・だから・・・その・・・私たちの悪いところを捨てていきましょう、削ぎ落としていきましょうよ・・・真里亞ぁ〜〜〜・・・・・」
 楼座はぼろぼろと泣きながら真里亞にまわされた手を握りしめる。
 その温かみを感じながら離すまいと、自分の生きる意味である娘を失ってなるものかと力強く。

 かの高名かつ、これより千年を生きる偉大なる母なる魔力を持つ原初の魔女であるマリアは深い溜息をついた。
 

 それでも愛してると喚く彼女を酷く冷えた目で見続けながら大好きだったと魔女は言い放ちどうせまた目が覚めるまでの間だと彼女を抱きしめかえす。
 どちみち、人間としての生はもう生きられまい。あの男がどのような形で決着をつけようがこれは残された余興なのだと。










 
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