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●縁寿と戦人






むかし、兄の首を絞めた事がある。



 縁寿はその理由は忘れたのだけど自分が一生懸命で、兄の上にのっかってその首に手をのせて体重をのせていた事は覚えている。冗談の類ではなかったと思うのだけど、やっぱり彼女は理由を思い出せない。
 兄の手には自分がこの前の兄の誕生日にプレゼントしたラケットが握られていて。それがなぜか壊れていて。それを壊したのは兄だという事まで縁寿は覚えていて。
 兄はというとその小さな手を大きな手で掴んでそして、
 口の端を吊り上げて笑うのだ。

「それが、ただしい、」

  兄が呟く。意味が、わからない。




むかし、いもうとに首を絞められた事がある。

 戦人は理由を今でもはっきり覚えている。というよりも戦人にとってみればつい数ヶ月前の話なので覚えている。縁寿が大きな目でぼろぼろと涙を落としながら小さな手で爪を首に食い込ませて嗚咽交じりに兄の首を絞める。冗談の類ではない。戦人が笑う中、彼女は最大限に表情を歪ませてただ泣く事しか出来ない。

「わたし、でも、」

 妹が呟く。いい子だから納得しろ。












「・・・・兄さん、聞いているの」
 少し声に怒りの成分を含ませた。
縁寿は廊下を足音をたてながら歩く兄を見た。兄はその言葉に返事を返さず、足を速めるばかりだ。
 冷静を装いつつも縁寿は兄の背中が怖い。最後に見た彼の姿と夢の中で何度も手を伸ばして絶望を味わってきたからだ。兄にとってみれば自分との再開など二日、三日の話なのだろうが。
 こっちは十数年ぶり、更に言うならもう二度と会えないと知っていたのだから。

「にいさん」

 焦りと恐怖が思わず声を荒立てる。その言葉にようやく兄は足を止めた。
「もういいぜ」
「・・・・なにがよ」
「帰ってもいいぜ、縁寿」
「はぁ?」
 縁寿が整った顔を険しくさせる。戦人は振り返りため息をつく。
「これは、俺とあの魔女の戦いなんだ。ちゃんと、お前のもとに帰ってやるから、お前はもう家にでも現代にでも帰ってろ」
「・・・・それが出来てないから私がここにいるんでしょう」
「もう少しなんだ」
 戦人は小さく呟く。縁寿は苛々とした心境のまま戦人に詰め寄る。
 目の前の男は確かに尊敬し、憧れて大好きな兄にかわりはないのだが、話せば話すほど、行動をみればみるほどその理想像が形を変えていってしまうのがわかる。
「兄さん、一人じゃ無理だっていってるの」
 縁寿が戦人の目にいっぱいにうつった為、戦人は焦った顔をして一歩距離をとる。
 暫く縁寿の胸のあたりを見て考えこむかのように顔をそむけたり捻ったりしている。
 なんだというのだ。

「いや・・・ここは、しかし、おっぱいソムリエとして・・・・でも、こいつは・・・」
「はぁ?!おっぱいソムリエ??!!」
「いや、縁寿さん、お前の聞き間違いだ。うんうん」
 戦人は一人でうなずきながら縁寿の肩をぽんぽんと叩く。その兄の行動を見ながら、現実世界の戦人が横で紗音に対してコミュニケーションという名のセクハラを行っているのを絶対零度の瞳で見つめていた。

「へぇ。あれが兄さん流のコミュニケーション」
「うをっ、いや、あれはだな、そのな」
 縁寿は呆れと落胆から大きな息をつく。
 しどろもどろの兄の大きな手を掴み、縁寿は「すれば?コミュニケーション」と冷えた声で呟く。
 戦人が「え」と言葉を落とした後に自分の胸に戦人の手を置いた。
 現実世界の兄がちょうど、触れる前に朱志香に殴られているところをこちらの世界の兄は手をそこにおいている。妹 の 。

 戦人が、口をぱくぱくと上下しているのに対して縁寿はこんな事なんてないだろう、という風に暫く兄の手を押し付けていた。

 押し付けていたのだが、
 戦人の手が思ったより体温があったとか、戦人が顔を真赤にして口をあんぐりあけている様とか、また、目の前の人物が恋焦がれて焦がれた兄のだという現実を少しずつ理解したと同時に、縁寿の心の底からじわりじわりと羞恥が湧き上がってきた。
 そのような羞恥自体、初めての感情と経験。
 に上昇していく自分の頬の原理に意味もわからず、縁寿は思わず「・・・・あれ?」と呟き、真赤になって仕方ない顔を見られまいと下に向けた。しかし、手が動かせない。戦人も完全に引き際も突っ込みも遅れてしまったため。タイミングが計れず、以前手はその位置に、やがて、縁寿は自分の手が汗で湿っていくのを感じ、それを戦人に気づかれず気まずさを思い浮かべ、慌てて手を離した。

 戦人も万歳をするような形で手をどけた。
 お互い、気まずい沈黙。 
「これで」
「え」
「コミュニケーションはとれた?」
 縁寿が苦し紛れに言葉を呟くと戦人は「えっと」と言葉を落とす。

「兄と妹のスキンシップよ、私達、十数年ぶりとはいえ、仲のいい家族だったわけだし」

 縁寿は誤魔化しに誤魔化しを重ねるように戦人に呼びかける。
 戦人はそこで少し、表情を硬くする、その後で少し口の端を皮肉気に吊り上げた。

「仲の・・・・いい・・・・家族ねぇ・・・・」

 その少し縁寿を馬鹿にしたような皮肉そうな笑いに縁寿は怪訝に眉を寄せた。

「なに?変なことをいったつもりはないのだけど」
「いや・・・・いっひっひ、相当美化されたもんだなぁってさ」
 戦人は縁寿へと歩き、距離をとる。長い通路の廊下の真ん中、戦人が近づいたため、縁寿は壁に背をつけた。戦人は壁に手をつき縁寿を逃がさないようにその瞳をじっと見た。 

「俺はあんな家族、好きじゃなっかたぜ」

 縁寿のいつもの冷静な表情が一瞬崩れる。目が大きく開いて戦人を見ていた。

「美化っていうか、そうか、お前は気がついてなかったのかもな、まだ小さかったからな」
「・・・・どういう意味? さっきから、兄さんは私を落胆させてばっかり。私のことそんなに嫌だったっていうの??」
「ああ、嫌い・・・というよりも苦手だよ。お前も、霧江さんも親父も」
 縁寿が過去形で喋る事柄を、戦人は現在進行形で今の事と捉えて語る。
 縁寿にとって十数年前の事でも彼にとってみれば最近の事なのだ。

 戦人は縁寿の髪を一房手にとり手の上でさらさらと流す。縁寿は戦人から目を離すまいとじっとその様子を見ている。
「霧江さんが、どんな目で俺の事見ていたかわかんなかったか???」
「お母さんが」
「俺の事を」
「兄さん・・・・を?」
 縁寿は必死に母の姿を思い出そうとするのだが、聡明で綺麗で優しかった母は当時、体があまり強くなかった自分の看病を必死にしてくれて、縁寿が好きだった絵本を何度も繰り返し聞かせてくれた記憶しかない。
 戦人と母は確かに親子という関係ではなかったが、二人で楽しそうにチェスをしていたじゃないか。

「あの人、時々、俺の事を殺しても殺したりないって目でみてたんだぜ」
「うそ」
「正確には・・・・俺のおふくろを、だと思うけどな。前の事でしったんだけどさ、あの人、あのクソ親父がおふくろと結婚する前から付き合っていたみたいだしな??」
 残った髪に戦人は口唇を落とす。上目づかいで縁寿をみる。

「そんなんで仲がよかった家族とかいえるのかよ?なぁ縁寿」

 戦人は縁寿に顔を近づける。吐息がかかる程度、縁寿の中で長年自分の寂しい気持ちを支え続けていた、元は愛されていた、愛してくれる人がいたという家族の思い出が薄れていく。
 兄の愛しそうに自分を見て笑う姿が、目の前の濁った目でやらしく笑う男の像で塗りつぶされてしまう。
「でも、俺は霧江さんのこと好きだったよ。頼れる姉貴みたいな人だったし、美人だったしな・・・・だから縁寿」
 霧江さんに似てくれてうれしいぜ、と囁いて顔を近づけてきたので縁寿は両手を突き出して静かに距離をとる。

 こんな男のために、わざわざ世界を捨ててきたわけじゃない。
 未練など、ない惜しくもない世界だったが。

「縁寿、美化するのも大概にしとけよ」
 縁寿は戦人を睨む。
「でも、私は家族を守らないと、家族を取り戻すために」
「ああ、ああ。その言葉、昔も聞いたな。まぁ。それは俺がやってやるっていってんだろう?」
「でも、兄さんだけじゃ」
「じゃあ、その前にお前は俺の家庭を返せよ。妹なんていらねーよ。母さんをかえせ。俺の家族をかえせよ」

 戦人の言葉に完全に縁寿は言葉を失う。
 それと同時に11時をなる鐘がなった。
 戦人が顔を真っ青にして慌てて現実世界の方向へと向き直る。
 残った親族は残り6人、戦人が必死に「魔女なんていない魔女なんていない」と呟きながら蹲っている。
「っち・・・・こんなところでくだらねぇ話してる場合じゃねーんだよ」
 早く証拠を、何かみつけなければ、と戦人は再び長い廊下を歩き出す。
 縁寿はそこから動けない。一度、戦人は振り返った。が、後は気にせずに一人で歩きだしてしまった。

 縁寿は、自分から人が自分の意思で離れていくことに慣れきってしまっている。裏切りだって、なんだって。悲しいなんて感情もうとっくになくなりきっていた。
 ただ、ただ、
 それが家族となると話が別だという事に縁寿は今気づいた。

 最後の時が近づいている。
 それをぼんやりと聞きながら、また世界が終わるのだと世界の残響の音を聴きながら救えなかった世界をゆっくりと最後まで見届けてやろうと眺めていた。
 最後まで残った親族があわてふためいている。
 兄は、先ほどの精神世界の兄がいったように、確かに、霧江や留弗夫が死んだ直後は悲しんでいたが、すぐにケロっとした顔をしているのだ。
 本当に・・・・・・・・好きじゃなかったのだろうな。というのがわかる。


「馬鹿みたい、」
 幻想だったのだ、所詮。
つぶやいて、疲れたので座って眺めていた。
現実世界の、兄はひどくあせった顔をしている。

 少し、十数年前の事を思い出した。
 
 兄の首を絞めた時の話だ。
 親族会議より半年ほど前、兄が自分達の家族になって数ヶ月たった頃の話だ。
 子供だった縁寿は大好きな、優しい兄と一緒に住めることになったのをそれは大変喜んだ。
 今まで1ヶ月に一、二度しか会えなかった兄とずっと一緒なのだ。
 それはいっつもくっついて後ろを歩いていた。兄も楽しそうに接してくれたはずだ。
 

 ああ、そうだ、でも。
 何年か前に兄に誕生日プレゼントとして渡した、家族の写真が入るラケットの首飾り。
 兄の寝室に置いてあったのを見てなんとなく開いた。
 そこには、見知らぬ女性と幼い兄と父の姿があった。
「ねぇ、兄さん。この人誰??これは家族の写真を入れるためのものだよ??どうして私とお母さんの写真が入っていないの」
 戦人は、写真を勝手に見た、縁寿を咎める事なく近づいて、そして顔を近づけて笑う。
「それはお前なんて俺の家族じゃねーからだよ」とか「俺はお前たち家族が壊れてしまえばいいって思ってるぜ??」とか。幼い縁寿に怖く、傷つく事をたくさんいってきた。
 縁寿は、そいつが悪者だという事はわかった。
 とっさに家族を守らないと、と思い兄に体当たり、ゆっくりと倒れた兄はその小さな手を掴んで、自分の首に手をかけさせた。


「俺は、お前なんてだい嫌いだからよ、お前も嫌えよ、縁寿??」


 兄が意地悪そうに笑った。



 悲鳴があがり、縁寿は我に返った。
 現実世界の中で、最後の仕上げといわんばかりに親族達が殺されていく。もう、どうでもいいとおもった。
 兄にあれだけ言われても兄を嫌いきれないであろう自分も。
 また、この永遠に殺され続ける資産家右代宮の悲惨な運命も。



縁寿が少し、目を離そうとしたとき。

「えんじぇぇええええええ!!!!!!!!!」
 そう、叫ぶ兄の姿が見えた。

「え」

 縁寿が言葉を落とすと、その現実世界で、6歳の自分がよたよたと歩いていた。後ろには黄金の蝶たち。逃げているようだが、足に怪我をおっていて早く走れないらしい。

「・・・・・?」

 あれ以来、この六軒島には縁寿が存在する。それは、縁寿が未来から参入したため、過去を変えてしまったために。
 兄が縁寿に走ってゆっくりと抱きしめている。

「??兄さんは私が嫌いで??」

 戦人は縁寿を抱きしめて動かない。現実世界の兄に思わず声をかける。届くわけもないのに。

 兄に魔法や幻想の類は一切、きかない。代わりに自分は強い魔法を持つので兄に自分は守れない。

「ベアトリーーチェェエエエエエエエエエ!!!!俺はお前を信じる!!!!信じるから!!!!!!」
 兄がそう言い自らを守る最大の結界を自分で壊す。兄の眼に、黄金の蝶が見えて、それを払えるようになる。黒山羊頭が見えてそこから逃げ出せるようになる。しかし、もう手遅れ。すぐに捕まってしまう。

「も・・・・もう、信じる、信じるからさ・・・・頼むよ、縁寿を殺さないでくれ、もう、これ以上、頼む、頼むから、ベアト、なぁ。なぁ・・・・・ベアトォオオオオ・・・・・・・・」

 黄金の魔女が卑しく笑って現実世界の戦人と、そして、それを外から見ている精神世界の縁寿を見下した。


 12時の鐘がなった。足音がして縁寿はゆっくりと振り返った。
 そこには先ほど自分を罵りさっていった精神世界の兄の姿があった。
「だから、帰れっていったのに」
 力なく、崩れて、縁寿に抱きつく。
「どうすんだよ、お前の、お前のせいで・・・・・また俺の妹が死んだじゃねぇえええか・・・・ぁあ・・・・・・っ」 
 縁寿は言葉もなく、呆然としている。

「だから・・・〜〜〜・・もう帰ってくれって、縁寿・・・・生きて・・・・・生きてさえいてくれたら・・・俺は・・・・それでいいんだから・・・・・・それでよかったんだよぉおお・・・・・」
 縁寿はそっと自分を抱きしめている兄の背中に手を伸ばす。
 その後姿にゆっくりと触れて、同年代の男の子を兄と呼び、その熱を家族愛と誤魔化しながら抱きしめる。






「兄さん、大好き」



















 複雑だった。母さんを忘れたくなかった。だから、妹をけしかけた。

 結果、妹に首を締められた。


「お母さんを、お父さんを守るから、だから、兄さんを、」
 戦人は理由を今でもはっきり覚えている。というよりも戦人にとってみればつい数ヶ月前の話なので覚えている。縁寿が大きい目でぼろぼろと涙を落としながら小さな手で爪を首に食い込ませて嗚咽交じりに兄の首を絞める。冗談の類ではない。戦人が笑う中、彼女は最大限に表情を歪ませてただ泣く事しか出来ない。

「それが、ただしい」


 俺は、お前の事なんて嫌いだから、
 お前もそうやって嫌えばいいんだ、縁寿。


「わたし、でも、」

縁寿はゆっくりと口を開いた、

「でも、兄さんがだいすきなの」

 戦人は深いため息をついた。
 そして、手を伸ばした。

 縁寿の手をどけて小さな体をおもいっきしぎゅーっと抱きしめた。












「ごめん、俺もだ、縁寿」






 何も知らない、皆に愛されている可愛い俺の妹。戦人は小さく呟いた。
 そんなの、やっぱり、嫌える、わけねーよ。
 



 ごめん母さん。





  後はすすりなくような呻き声










(セラミックの花に恋でもしながら、)
081108








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