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●ベアトとワルギリア
●微鬱
●少し大人向け
だってそんなこと教えてくださらなかったじゃないですか。
足元で動かなくなった物体を少女は青い目を大きく見開いてじっと見ていた。いや、正確にはその物体から目が離せなかった。
口の中は干上がったようにカラカラになり頭からは血の気が引いていた。背中を押されればそのまま地面に倒れそうだった。
事実、陶器のような滑らかな小さな足も手も小刻みに震えていた。
「お嬢様、」
優しく自分を呼ぶ声にようやく我に返った少女はゆっくりと振り返る。振り返り其処でいつも穏やかな顔をしている彼女の師匠が眉を寄せて自分を見ているのに気がついた。
怒られる、咎められる。少女はそう瞬時に思った。
「お、師匠さ、」
喉が引き攣って上手く言葉が紡げない。
「お嬢様、」
もう一度名前を呼ばれた時には少女はぼろっと大粒の涙を流した。
「し、知らなかったの!!!違うの!!そんなつもりじゃなかったの!!!」
首を横にぶんぶんと振りながら少女は叫んだ。
「こ、こんな事になる魔法だなんて、効力を知らなかった、知っていたら、使わなかった、なんで、なんで教えてくれなかったの・・・・・」
師匠と呼ぶ錬金術師の女の手が伸びた。殴られる、と思い少女は強く目を閉じた。
しかしその手は優しく少女の甘い蜂蜜色の髪を頭事、抱き寄せて強く力を入れただけだった。暖かい抱擁。
「怖い思いをしてしまいましたね、ごめんなさい」
少女はその一言で顔を歪ませて大きな声で泣いた。
彼女は一言も少女を責めなかった。
無機物だ
「ぁ あ あ ッ ぁ ゃ ぁ」
ガクンと揺らされた身体の痛みと快楽に声を出した
媚びるような甘ったるい声の隙間に相手の名前を呼ぶのを忘れない。
くだらなさと身体を纏う倦怠感で胃がムカムカして吐きそうになって眼の前がぐらぐらと揺れそうになっていた。
折れそうな足をぐったりとベッドの上に投げ出して、ベアトリーチェはゆっくりと息をつき天蓋を見上げていた。
ぐるぐると頭の中を色々な言葉が回っているのに、知識が少なく思量が浅い自分にはそれらを上手く紡げない。
出来るはずなのに、出来ない。焦りのようなイラつきと虚しさが同時に生まれる。
苦しみに眉を寄せると、伸びてきた太い指が汗で頬に張り付いた甘い蜂蜜色の髪を優しくよける。その後にごつごつした手は陶器のような滑らかな肌に触れていく。
親指で押すように。頬をなぞり首筋に落とされ鎖骨に回され、肩をつかまれる。ベアトリーチェは青い瞳をきょろりと眼の前の男に向ける。
ベアトリーチェの瞳の中に男は自分の顔が写った事を確認した後で顔を歪ませ、嘆きながら強く彼女を抱きしめた。
ここ数年の男の衰えと動きは目に余った。
皺を刻み、淀んでくる目から涙が伝う。
後悔、と、愛の言葉と、懺悔と、なんだかその他もろもろ。
沢山の文字が言葉の羅列がベアトの頭の中で渦を増してぐるぐると響き渡るのだがその言葉のどれも自分の心臓まで届いてはいない、と彼女は感じる。
「金蔵は」
「・・・・・」
「何故このような事をする?」
あげた顔には深い絶望が混じっていた。
「お前を・・・愛しているからだ」
「愛」
ベアトはまた込みあがってきたどろどろとした感情を呑みこんだ。
「では、何故妾を此処に閉じ込める、閉じ込められるのは罪人だと。妾は罪人か」
「・・・・・・・」
金蔵は最後まで答えなかった。
無機物、放り出された熱も何もかもこの男も自分も何もかもが無機物だ。
疲れた、と彼に告げてそのままベッドで横になる事を許される。
身体を重力に預けそのまま息を紡いでいた。全ての答えを教えてくれていたあの人は何処にいったのだろう。
深く目を閉じれば浮かぶ情景。此処とは違うもっと大きな世界の事を思い出す。
「お師匠さま、お師匠さま、お師匠様、」
そう付いて周りゆっくりとその人が振り返るその瞬間を最高のどきどきで迎えるのだ。
優しく、ふんわりと慈愛に満ちた表情で微笑む彼女。
細く白い綺麗な手で「お嬢様」と自分を示す単語で呼ばれる。
「お師匠様」
ようやく紡げた、その単語を逃さないように身を丸めて言葉を抱きしめた。
安堵感から胸が満たされる。
なんで、なんでこんな目にあわないといけないんだろう。
どうにもこうにも長い年月を結界に封じ込まれていた為か思考が曖昧だ。自分は魔女だったよなぁなどとぼんやりと思う。このままでは駄目だと肉の身体から決別する決心はまだつかぬ。しかしこのままだと確実に自分がおぼろげになってしまう。
魔女は頭を抑えてシーツの上で横になる。
罪ならば、もうこの世の理と異なる存在になったその時点から存在そのものが罪なのだろう。
しかし、ただ抱き寄せて可哀想にと慰めてくれた師を思う。
息を吸おうとすべて喉を引き攣らせてしまった。
嗚咽に似た声だなぁと思うと本当に目頭が熱くなってきて目を開けてぼろぼろと泣いた。
『おいおいおい・・・・これではまるで人間ではないか』
あの男のいう愛などあの人の慈悲に比べたら虚像だ。
肉体の牢獄に入れられ魂を汚される。魔女の力を奪われてまるで人間のよう。魔女ならば痛まない心臓を痛む心臓へと弱い身体を与えられ苦痛を強いられる。
身体に固執し続ける訳はあの人の「お嬢様の髪はきれいですね」の一言だと言えば人は笑うのだろうか、などとベアトはくだらなそうに呆れた息をついた。
「お嬢様」
と名前を呼ばれ、ベアトは眼前で優雅にベアトの執事が振舞った紅茶を飲んでいた彼女を見た。
「お嬢様、転寝ですか?」
昔の夢を見ていた、とは言わない。
「うるせーよぉ・・・・お師匠様よぉおおお・・・少し黙ってろ」
「いつもにまして機嫌が悪いですね」
「それはなぁ・・・。戦人には逃げられるしラムダ卿には脅しをかけられるし・・・散々だったぜ・・・」
「すみません、私が少しでも可愛い貴方の為になれたらよかったのですけどね」
苦笑して素直に謝り微笑む彼女を見てそれ以上追い討ちとなる言葉が、彼女を慕う自分に言える筈もない。
前までは彼女は少し高い位置にいた。
自分の手で一度殺してしまえば後はもう簡単だった。こちらが望めばいつでも彼女は元のばらばらの肉片に戻してしまう事が出来るのだから。
彼女の命を掴んでしまっている。もう昔のように上下関係などない、対等に話す事もないだろう。
暫く、ベアトはくだらなさそうにその青い目を細ませていたが溜息をつく。
その様子を困ったように眺めるヴァルギリア。
『 まぁ、戦人のいい表情が見れたからよしとするか!』
ベアトリーチェは笑う。今回、自分を庇おうとした戦人。その横顔が好きだと思った。この魔女にも自分にも裏切られたと知った時の歪む戦人の顔が大好きだと思った。あの顔が見られただけでお師匠様には感謝をするべきだと頭を振りながら納得。
にこにこと笑った後に、ふと、眼の前の魔女は別に戦人を裏切ったりはしていない。という事に気がついた。
魔女は最初から誰の見方でもない。約束通りベアトリーチェにも助言をして、その助言を生かしたベアトリーチェが罠を考えただけだ。
この人はいつだって理に叶った事をしているだけだ。だから責められない。
責めてはいけない。だから、もし次に戦人がこの人に食いかかって来た時にはそう説明してやろう。
『お師匠様は悪くないもんな』
そこで、ずっと疑問に思い聞きたい事があったのを思い出した。
ベアトは手を伸ばして彼女の服の袖を掴んだ。
ワルギリアがゆっくりと振り返った。
「なぜ、・・・・妾を助けて下さらなかったのですか、お師匠様」
それは自分が捕らえられていた時の事だ。
彼女に最後にあったのは金蔵に捕らえられる前の事だったから彼女にもすぐに言葉の意味は伝わったらしい。
先程とはうって変わっての消え入りそうな声と頭を垂れて聞いた。
純粋の疑問としてベアトは聞いた。
「そうね・・・私はあの老婆に成り、ずっと貴方の傍にいました。お嬢様を・・・・助けられる機会はあったかもしれません」
それなのに助けなかった理由が、きっと其処にはどうしようもない、魔女にすら仕方がない理由があったのだと信じて。
「では、何故・・・・」
ワルギリアはそんなベアトの態度に驚いたような表情を作った後に苦笑。ゆっくりとベアトの頭の上に手を置いた。「それは、ですね・・・・」声をゆっくりと出す。
「お嬢様の喘ぐ姿が可愛かったからですよ」
ワルギリアが薄目を開けてくすくすと凶悪に静かに笑って見せた。
ベアトリーチェは目を大きく開けて呆然とした、その後に食い縛るように唇を噛みその女を睨み、
「そ、うですか」
感情など特にない、全てを飲み込んでやった。
自分は魔女だ、魔女だからこそ、
それはそれはとても優雅に微笑んで見せた。
魔女とは、こうでなくてはならない。
「こんな事になる魔法と何故教えてくださらなかったのですか」
「貴方が後悔に足を震わす姿が見たかったからですよ」
「何故、動物を殺したことを咎めなかったのですか」
「貴方が少しずつ道を踏み外していく姿を見たかったからですよ」
「愛しているから」
薄い網膜
In solitus complexus
(正常ではない愛)
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