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●戦+留






 まだ小学生だった戦人には母親が病気なのだという事ぐらいしか分からなかった。
回りの人間が苦い顔で母の見舞いに来ている顔を見ても信じれば思いは通じるかもしれないという非常に自分本位な希望に縋っていたのだ。
「よくなるって、」
 そう母親に言う事しか出来ない。
でも子供でも顔色に生気がなくなり咳が止まらなくなっていき、弱っていく様をみているうちにそのうちなんとなく、「ああ、もう駄目なんだな」という事を認めなくならなければいけなくなった。

『オフクロはもう駄目なんだな、死ぬんだな』

 そう思うと無償に目頭が熱くなって歯を食い縛っているのに、涙が零れないようにしっかりと目を見開いているというのに頬を伝って落ちて止まらなかった。
明日夢と言えばそんな戦人を見て苦笑しながら細く白くなった手で赤い髪を優しく撫でてやるのだ。
 なんとかこの子が自分が死んでも落ち込みすぎないようにと明日夢は考えた。
そこで一つ提案をしてやる事に決めた。

「ねぇ、戦人。一つお願いがあるの」
「・・・・なに?」
湿った声が言葉を紡ぎ腕で雫を拭いながら母親を見ている。
「私がいなくなったら私の代わりに掃除や洗濯や料理をしてほしいの」
「・・・そんなの大人が、親父がやる事だ」
「駄目なのよ、あの人、優秀な人間だけどそういう事って何も出来ないの」
明日夢は楽しそうに苦笑する。戦人もつられて笑った。
「おまけに凄くかまってほしがりで寂しがり屋なのよ」
大人のくせに寂しがりやという事が想像つかない戦人はただただ、情けないと感じるばかり。
「普段えらそーにしてるくせに」
父親の悪口で盛り上がり母と子。お互い相手を熟知しているからこそ出来る親愛の悪口だったりする。
「だから傍にいてあげてね、二人で生きてね、」
微笑む母親に対して戦人は何度も首を縦に振る。
約束してくれる?
そう言い伸ばされた手に戦人は指を強く絡めて約束をすると誓いを立てた。

「わかった、約束する」








『多分、それが俺を今だに縛り続けてる』







窓を開けて雑誌を読んでいると桜が入ってきて雑誌の上へと落ちた。
戦人がつられるように窓の外へ目線を向けるとアパートの斜め横の桜が綺麗に見えた。暫く眺めているとドアが勢いよく開いた。
留弗夫が帰ってきたのだ。
近づいてくる足跡、歩数にして約2歩弱。狭い室内ではそれで十分。
留弗夫の姿が見える。

「おい戦人明日は早く起きろよ」

突然の留弗夫の言葉に戦人は眉を寄せた。
「なんでだよ」
「早く起きて、そんで弁当を作れ。二人分だ。8時に家をでるからな」
なんで命令口調なんだよ。お前は何様だよ。
大体、俺は学校も休みだしゆっくりしてぇんだよ。
誰と食べるかしらねぇけど俺はお前の使用人じゃねーぞ。
言葉に出して抗議する前に留弗夫は布団の上に倒れ込みすぐに潜り込んでいた。
疲れているのだろか、などと思えば口が開きにくい。

というかスーツぐらいハンガーにかけて寝ろよ。
皺くちゃになるだろうが!この前なんか洗濯機にまとめてぶち込みやがって。
『戦人ぁーーー服が縮んだぞ??!!!』って騒いでたのもう忘れたのかよ?!
節約って言葉を知れよ!!


あーーーーーーーーくそーーーーーー!!!


戦人は最後の言葉までも飲み込んで代わりに
「・・・・・ぜってーーーつくんねぇからな!!!!!!」
そう叫んだ。









時計の針は午前7時をさしている。
包丁をまな板の上でリズミカルに叩きつけながらフライパンの上に薄くひいた油をふき取り混ぜた卵を広げる。
炊飯器から『ピーーー』という炊けたという合図の音が出る。
『あ、炊き上がった』
近づいて飯を四角い弁当箱の中に詰めた後でおにぎりにした方がいいのか暫く考える。
これだと見栄えが悪いな。
よし握っておくか!
海苔ってまだあったっけ。
・・・・・・・・

「って、生き生きと弁当作ってんじゃねぇえええよぉおおおおお!!!!!!!!」

戦人は深い溜息とともに台所で膝を曲げて痛くなる頭を抑える。
結局目が早く覚めてしまって二人分の弁当を作っているのだからどうしようもない。
留弗夫がその後にのろのろと起きてきて狭い面積をでかい図体で占領する。
戦人は茶碗に飯を入れて味噌汁と弁当の余ったおかずを目の前に出す。
「ん」
留弗夫は受け取り黙々と食べ始める。
食べ終わった後は自主的に洗い場につけてはいたがそこから洗剤をつけて洗うという事をこの男は行った事はない。
「ほらよ」
いい訳をするのも面倒なので無言で包んだ弁当箱を突きつける。
留弗夫はにやりと笑い「わりぃな」と言葉を落とした後に受け取る。
「じゃあ。俺はまた寝るからな」
「ん?何いってんだ、お前も一緒にくるんだよ」
当り前だろう、と言わんばかりに言い切られた。
留弗夫は大きめな鞄を背負って戦人を促した。

何処にいくかの説明もなしに留弗夫は戦人を連れて電車に乗る。
ガタゴトと大きく体を揺らされながら戦人は父親の横で腰を下ろしている。

『なんなんだ、一体』

特に喋る事もなく無言で座る。戦人は視線を何処に向けたらいいのか分からず宙に回す。
休日なだけあって最初は埋まっていた席も電車が進めば進む程に空席へと変わっていく。
目に映る建物は低くなっていきそのうち少なくなっていき、春なだけあり黄色や桃色と視界は明るくなるが、そのぶん無言も目立ちはじめる。
窓から入る日差しが電車の床に見える。細かな埃が舞っている様子までぼんやりと観察する程度に留弗夫との間に会話がなかった。
霧江を挟めば馬鹿を言い合え仲ではある。
二人でいても息苦しさなど感じた事はなかったが。

変な感じがすると思えば二人で電車にのって出かけるという事が初めてだった。
戦人は会話を切り出せない理由にようやく行き当たり溜息をつく。

「何処にむかってんだよ」
「もうすぐつく」

ようやく聞けた言葉に短い返事。
留弗夫の表情は明るいので別に無言は苦ではないらしい。

『俺は苦手だけどな』

元来、騒ぐのが好きな性格だ。こういう空気はあっていない。非常にあっていない。
喋りかければいい事なのだろうけど。
喋る気がしない。
昔はやかましい!と怒鳴られる程騒いでいたような気がするが。

電車を降りたのは結局最終駅。
そこで降りたのは戦人と留弗夫とあと老人三人が。
留弗夫の後ろを歩きながら戦人はその背中を見る。
幾分近くなった背中、くたびれた服を纏っている。
環境も、立場も全て変わってしまった。

やがてその足は桜並木で止まる。

「おい、ついたぞ」
留弗夫の言葉に辺りを見回す。桜が咲き乱れている。
町の方だともう大分散ってしまっていたが山の方はまだ気温も低いので丁度見頃というわけか。
暫くぼんやりと眺めた後で目線を戻す。

「って、なんでこんな所まで連れて来たんだよ」
留弗夫は不思議そうな顔をする。
「は?だから、俺とお前の二つ分だろうが」
手にしていた戦人が作った弁当をぶら下げて答える。

桜が咲いている所に来て、
弁当を食べる。


ようやく答えに行き着いた戦人は顔を歪める。
「はぁああ????なんで俺が親父と花見をしなちゃいけねーんだ」
「俺がしたかったからだ」
「本当に自分勝手だな!!」
思わず叫ぶが留弗夫は気にもとめないらしい。
近くの石に座り込み弁当包みを広げ始める。

『しかももう食べるのかよ!!!!!!』

昼にはまだ少し早い時間帯だ。
しかし確かに特にする事もないので座りこみ弁当を食べ始める。
飲み物と言ってビール缶を開けて一人飲み始める留弗夫の横でウーロン茶を啜る。

「そりゃ、大体よぉ、俺だって本当は霧江や縁寿とかと女達に囲まれたかったぜ。花見ぐらい」
「そりゃ男二人だとむさ苦しい事この上ねーよな。
いっひっひ、むさ苦しいのは主に親父だけどよ」
ようやくいつも調子で軽く罵りあいながら花見を行う。
料理に対しての感想はないがぱくぱくと箸を夢中で伸ばしている辺り気に入っているのだろうという事は伝わってくる。

いや・・・、
まぁ、なんだ・・・・・・・・・・・悪い気はしねぇけど、さ。

そのうち戦人も気をよくして会話の相手になってやる。
「大体よ、なんで俺と花見なんだ。右代宮家を追い出されたら女も寄り付かなくなったのか、いっひっひ孤独だなぁ??」
「おいおい、わかってねぇなぁ。逆に同情心を誘うのか寄ってくるもんだぜ?
・・・・・っと・・・あいつには言うなよ」
後半は酔った事で軽口になった自分の失言に対しての言葉だった。
「だったらどうしてだ」
顔を上げて素朴な疑問として答えを待つ。

「たまにはお前と出掛けたかったんだよ」
答えられた言葉に戦人は眉を僅かに寄せた。

『あんたはやっぱり勘違いしてるぜ、』
戦人は卵焼きに無言で手を伸ばす。
『俺は別にあんたに父親ぶったり構ってほしいわけじゃねーんだ』
何処か心が冷えていく気がする。
『大体、今更だ。とっつきあったとこでこれ以上成熟なんてしねぇよ』
むしゃりと食べた後で桜に見入っているその大男の横顔を見る。




『ただ、俺が求めているのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』





そこで首を静かに振り戦人はその考えを消した。
その後はまた普段と同じような会話して弁当を食べて日が傾いた頃合に引き上げる事にした。
アルコールのせいか留弗夫は行きしよりも楽しそうにしていた。
戦人も息抜きついでに楽しんだと言えば楽しんだからいいのだが。

傾きそうなアパートの自分達の部屋の前に立つ。
そこで扉を開ける前から先日繋いだばかりの電話が鳴る音が聞こえた。

留弗夫の目が酔いから覚めたように大きく見開く。
留弗夫は電話を繋いでからというもの毎日ベルがなるのを待っていた気がする。
鍵を慌ててガチャガチャと差込むが焦ってか中々開かない。
手先を震わせながら、ようやく開いた扉を勢いよく開けて靴を投げ飛ばして部屋の中に転がりこんだ。

黒電話の受話器を手に取り真先に「霧江か?」と出来るだけ落ち着いた声で電話に出た。

戦人はそれを何処か冷めた様子で見ながらその後を静かに玄関に入り、留弗夫が投げ捨てた靴を綺麗に揃えてやり玄関のドアを閉める。
ゆっくりと廊下を軋ませながら進む。

留弗夫の電話の相手はどうやら霧江ではなかったらしく少し顔色を曇らせていた。
「俺は今そういう余裕がないからな、」
入ってきた戦人の方へ視線をちらりと向けて小声で会話をしていた。
後ろめたさがある時の仕草。
昼間の話しに出た、言い寄っているという女だろうか。
「その言葉は嬉しいけどよ、同情を含めた施しとか援助は必要ねーよ。会社も自分の力でまた立て直すって手もあるしよ、でも電話は嬉しいぜ?」

戦人は通話中の留弗夫の前に立ちその畳みの上にある手を自分の手で抑えつけた。
通話中だった留弗夫は顔を驚かせゆっくりと戦人を見た。

 そしてもう片方の手を伸ばして電話を勝手に切った。

「あ、お前」

それ程重要な電話でなかったとしても人の通話中に礼儀知らずだ。
留弗夫は顔を上げたが戦人はその表情に対して微笑みで答えた。

「今、あんたは俺だけみてればいいんだよ」

淡々と呟き。分からせてやるように目線でじっとりと留弗夫を見る。
チリン、と通話が切れた乾いたベルの音が聞こえた。

『だから傍にいてあげてね、二人で生きてね、』

手をゆっくりと解き「そうだろう、親父」と呼びかける。










  ?



『親父が何故か変な顔をしている』
(そして答えがかえってこない)















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