第一章
07「この前約束しただろ?」
――誰かが、呼んでいる 気のせいだろうか
だけれど私はこの声に聞き覚えがあった
懐かしい気もしたが、それよりもずっと
・・・恐ろしいという気持ちで、苦しくなった
下弦の月が浮かぶ夜、柊はふと目を覚ました。
うっすら額に汗をかき、少しばかり動悸が激しかったことから自分はうなされていたのだと知る。
右腕の刺青が鈍い痛みを発しており、うっとうしくてしょうがなかった。包帯をきつめに巻き痛みをまぎらわす。
暫くは動悸が治まる気配もなく、夜風に吹かれて落ち着こうと羽織を肩にかけそっと襖を開けた。
ようやくこの奥州にも春が到来し、庭の桜は花を咲かせ始めている。
柊は以前政宗と共におにぎりを食べた縁側に腰掛け、闇に唯一輝く月を見上げた。
米沢城へきて、いつの間にか二十日ほど経っていた。
最初は少々怖かった伊達軍の者とも今では親しくなり、たまに手合わせにも付き合ってもらっている。
城の人たちも本当に親切で、何かと柊に気を使ってくれていた。皆一様に政宗に忠誠を誓っており、政宗の国を治める者としての器量を伺える機会もたくさんあった。
確かに政宗は強引なところは少々あるが、しっかりと自分の芯を持っていて迷いがなく、何よりも人家思いだった。
そしてその政宗を一番近くで支える、竜の右目と呼ばれる小十郎の存在もでかいのだろう。
ふと、足音が聞こえた。もう夜も随分更けており、皆も眠っているはずだった。
柊は少々体を硬くし、近づいてくる足音に身構えた。
・・・と、姿を現したのは。
「――柊っ!・・・お前、そんなに髪が長かったのか」
「・・・政宗さま・・・。驚かせないでくださいな」
「驚いたのはこっちだぜ」
思いもよらぬ事に足音は政宗のものだった。ブツブツ何事か小言を零しながら柊の横に腰掛ける。
どうやら普段は縛っている髪を垂らしていたことで余計に政宗を驚かせたらしい。
「桜、綺麗に咲きましたね」
「ああ、そうだな。今度花見酒でもするか。柊、酒はいける口かい?」
「いえ、あまりお酒は口にしたことがございません。・・・こんな夜更けにいかがされたのですか?」
「ah−・・・、少し夢見心地が悪かっただけだ。そういうあんたこそどうした」
「私・・・も、夢見心地が悪かっただけです」
へぇ、と政宗は月を見上げながらどこか他人事のように言った。
「――どんな夢だったのですか?」
「あァ?・・・さぁな、とりあえずいけすけねぇ夢だったぜ」
はぐらかされた気がしたが、そこは深く聞くことはしなかった。政宗自身が言いたくないのだから。
「おめぇはどうなんだ」
「私・・・ですか。もう忘れてしまいました。ただ憶えているのは・・・苦しさだけ」
政宗は暫く柊の顔を見つめ、やがて口を開いた。
「苦しさ、ねぇ。じゃあ、なんでお前は、笑ってんだ」
「え・・・―――」
柊の瞳が一段と見開かれた。
普段意識をしたことが無さ過ぎて、柊は今自分がどんな顔をしているのかわからなかった。ただ政宗の言う通り、自分はきっと笑っていたのだろう。
その場に似合わぬぎこちない笑顔で。
「すいません、癖・・・みたいなもので」
「――笑って隠したいならもっと上手く笑いな。そうじゃなきゃ、泣いた方がよっぽど楽だ」
「・・・・・・そうかもしれませんね」
「あんた絶対納得してねぇだろ」
「そんなことありません。無理に笑わずとも、そんな簡単な方法があるのをすっかり忘れていました」
「思い出したところでどうせ笑い続けるんだろう?」
「人前で醜態を見せるのは心苦しいですから」
軽く言い合ったところで、柊は静かに立ち上がった。
「私はそろそろ寝ます。政宗様も、どうかお風邪を召されないようお気をつけて」
「・・ああ、Good nghit」
柊は襖を閉めるとその場に崩れるように座り込んだ。
右腕の痛みが増してきたのは気のせいだろうか。
「――鬱陶しい・・・」
これが何を意味するのか、その理由を知っていた父はもう、死んでしまった。
考えてみれば、私は父が亡くなった時ですら涙を流さなかった。
泣いたらだめだ、また誰かに迷惑をかけてしまう、だって私は、本当は―――・・・。
ただ、平凡に生きられればよかった。
だけどそうはいかず、刺青は時折何かを思い出させるように痛み、意識を手放せば夢の中で誰かが追いかけてくる。
そして、人の域を越した力―――。
平凡に、なんて私には到底無理な話なのかもしれない。
「父、上――」
こんな姿を見たら、なんと言うだろう。きっと彼なら、抱きしめてくれたかもしれない。
彼は柊が真夜中うなされ起きてくると必ず抱きしめて背中を擦ってくれた。
それだけで柊にとっては幸せで、もうこれ以上のことは望まないと涙は隠し続けてきた。
しかしそれも今思えば、彼に更なる心配をかけていたのかもしれない。
――「――笑って隠したいならもっと上手く笑いな。そうじゃなきゃ、泣いた方がよっぽど楽だ」
そういえば、父も生前は同じようなことを言っていた気がする。
大丈夫だから、とかわしていたが。
「――おい、柊。まだ起きてるか?」
急に襖越しに声をかけられ柊は一気に思考の渦から戻った。この声は政宗だ。
「――は、はい!今開けます・・・」
「いい、そのまま聞いてくれて構わねえ」
「はぁ・・・?」
わざわざここまで来て何用なのか、柊にはさっぱりと検討がつかなかった。
「柊、次の非番いつだ?」
少々身構えていた柊は思わず拍子抜けしてしまった。しかし襖越しのおかげで政宗は気づいてないらしい。
「えっと、明日でございます」
「明日か。ようやく鄭のおやじから休みもらえたんだな」
ククク、と政宗が静かに笑った。
「じゃあ明日、城下行くぞ。この前約束しただろ?」
「ええっ!? 確かにしましたが政宗様には仕事が・・・」
「Ha! ここ数日はサボらずきっちり働いたからな。明日くらい暇を貰ったっていいだろ。
正午に裏門の外で待ってな。 You see?」
「え、ああの・・・」
「じゃ、またな」
そう言って政宗はさっさと行ってしまった。足音がどんどん遠ざかっていく。
確かに明日は非番で、特に何もすることがなかったからどうしようかと考えていた。
小十郎の畑を手伝わせてもらおうかとか、成実に話し相手になってもらおうかとか。
政宗の約束も忘れていたわけではなかったが、筆頭とお忍びで城下へ遊びに行くなんて、少々現実離れした話だった。
――それがまさか、現実になるとは・・・。
小十郎にバレたら怒られるんだろうな、成実はお土産をねだって来るかもしれない。
そんな事を考えながら、それでもどこか心待ちにしている自分がいて不思議な感じがした。
いつの間にか、刺青の痛みも和らいでいた。
――ああ、本当に不思議だ。
柊は布団に包まり、なかなか落ち着かない心を必死になだめていた。
明日が待ち遠しく感じるのは、いつぶりだろうか。
久しくこのような気持ちにはなっていなかったことを思い知らされる。
月がそろそろ眠りにつこうとした頃、柊もようやく眠りについた。
――――――――――
月のしたで、であって
襖越しに 約束を交わした
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