第一章
09「おまえ、なんでそんなに泣きそうなんだ?」
遠まわしの優しさが
今はすごく 心に優しく響く
「・・・政宗様がおられない?」
「うん。さっき梵の部屋の護衛してた兵がさ、厠に行ったきり戻ってこないって、涙目で言いに来てさ」
はあぁ・・・。
小十郎は持っていた筆を置いて、こめかみを押さえながら長い長いため息をついた。
成実と言えば特に焦る様子もなく、ただどことなく、つまらない、と言いたげだった。
「しょうがねぇ。特に事を急ぐ案件もないしな。しかしあのお方は・・・、せめて護衛くらい付けてほしいものだ。心配するこっちの身にもなりやがれ」
「ははは。むしろ今日は梵が護衛してるんじゃないかなぁ?」
「・・・どういう事だ」
「ほら、今日もう一人、城下に遊びに行っている子がいるじゃないか」
小十郎はすこし考え、やがて眉が上がった。
城下の南よりには一本の川が通っており、春には川沿いの桜が満開になり、城下の名物のひとつになっていた。
「わぁ・・・! 凄いですね、こんな景色、初めて見ます」
「この桜の並木道はずっと続いててな。圧巻されるだろ?」
「はい! 一本でも綺麗ですが、たくさんあるとまた違った雰囲気を感じますね」
上ばかり見て歩いていた柊は、足元の木の根っこに気づかず、躓き倒れそうになったところを政宗が片腕で支えた。
照れたように柊は礼を言った。
「私、昔から桜が大好きなんです。長い一年が終わった節目、そしてまたこの季節から始まっていく」
「その節目に咲くからか、桜が」
「はい。 ――もうひとつ、桜が好きな理由あるんです。 ・・・でも、わかりません」
「あァ? どういう事だ」
「・・・言葉の通りですよ」
――――まただ。またこいつは、今にも泣きそうな顔で笑いやがる。
「・・・おまえ、なんでそんなに泣きそうなんだ?」
突拍子もなく聞かれた柊は、何も言えずに政宗の顔を見つめた。逸らそうと思えば逸らせたかもしれない。
しかし政宗の、柊を見つめる瞳がそれを許してくれるとは思えなかった。
「・・・そんなこと、ないですよ」
「丸分かりなんだよ。本当は泣きたくて仕方が無いんじゃねぇか?」
「―――私が・・・、私が泣けば・・・迷惑を、かけてしまいます」
「誰かにそう言われたのか?」
「いえ・・・、言われたわけではありません。」
「自己解釈して、泣くまいと貫き通してきた――ってわけか」
「・・・・・・」
「そりゃ、ただのあんたの我侭に過ぎねぇぜ」
柊は政宗の瞳から目を逸らした。まるでそれを肯定するかのように。
気づけばいつの間にか手が、震えていた。
「素直になった方が、よっぽどあんたの理にかなってるんじゃねぇか?」
風が吹き、桜の花びらが柊たちの頭上を惜しげもなく舞った。
政宗は花びらの舞に目を向け、やがて下を向いたままの柊へと視線を戻した。
「・・・似てるんだよ、あんた」
「・・・?」
「昔の俺の友達にだ。いつも、泣きそうに笑うやつだった。 ・・・もう、死んじまったが」
「・・・政宗様の大事な方だったのですか?」
「・・・ああ。大事だったぜ」
初めて政宗の顔が切なそうに一瞬歪んだのを、柊は見逃さなかった。
よほど、言葉の通り大切な人だったのだろう。
「おい、柊」
「はい?」
「アンタの、儀俊殿の墓、確かこの辺りだったよな?」
「ええ、ここから確かに近くですが」
「連れてってくれねぇか? 父上の良き友人だった人だ。今更だが、手を合わせておきてぇ」
政宗たちは一度町に戻り、馬に乗り儀俊の墓へと向かった。
そこは町から少し外れた、小高い丘の上にあった。大きな桜の木が一本植わっており、ちょうどその下に墓はあった。
墓を見ると、歪な形の墓石は綺麗に磨かれ、供え物も少々傷んではいたが置いてあった。
おそらく儀俊の家人のものが定期的に訪れてくれているのだろう。
「あんた、ここにはよく来てるのか?」
「・・・お恥ずかしながら、初めてです。納骨の儀式以来、来ていませんでした」
「そうか」
そう言って、政宗は儀俊と儀俊の妻が眠っている墓に手を合わせた。
柊は、政宗のその姿を見たとたん、唐突に理解した。
――父上は、死んだのだと。
今まで墓参りにきたことはなかった。怖かったのだ。父上が死んだと理解するのが。
別の誰か第三者が、父上のために拝んでいる姿を見ることで、自分も受け入れなければならない。
それが柊にはとてつもなく怖かった。
気づけば政宗は祈りを終え、後ろに立つ柊を手招きした。
柊はためらいその場に立ち尽くしていると、政宗が柊の手を掴んで一緒に墓の前にしゃがみこませた。
しかし政宗はすぐに立ち上がり、柊を墓の前に残し、墓の後ろに立っていた桜の木に背を向け寄りかかった。
初めて、柊はひとりで儀俊の墓と向き合った。
「・・・父上・・・」
父上はいつも、苦しそうに笑う柊の笑顔を、悲しそうな目で見ていた。時には抱きしめ、大丈夫か、と声をかけてくれた。
心配ばかりかけてしまっている父上に、これ以上の心配はかけたくまいと決して涙を見せることはなかった。
それが今は、間違いだったとようやく気づいた。
いや、本当はもっと前から気づいていた。
恐らく、誰よりも柊が涙を流すことを望んでいたのは、今はもう亡き儀俊だっただろう。
政宗はそれに気づき、柊にここへ案内させたのだった。
「・・・父上、私・・・ずっと、間違っていたのですね」
柊の喉を、なにかがつかえた。
「結局、いつまでたっても、あなたに心配かけることしかできなかった・・・」
目が、熱い。
「父上、こんな私を・・・・最期まで愛してくださって、ありがとう・・・・」
その時、久方ぶりに 柊の頬を雫が伝った。
やがて落ち着くと、柊は木の裏に背を預け立っている政宗に話しかけた。
「・・・政宗様、この間、鄭さんにも同じようなことを言われた気がします」
――なにも、見ようとしない瞳じゃ。
「私は、現実からいつも目を背けていました。
感情を露にしなければ、上手く収まる。なにも考えずに済む。
・・・見たくない、知りたくないものから逃げられると、思っていたのかもしれません。・・・だから」
足音が聞こえたと思い振り返ると、すぐそこに目を腫らした柊が立っていた。
「ありがとうございます。春に、この季節に、政宗さまとこうして一緒にいられたこと、とても幸せに思います」
「・・・いい顔してるぜ。あんたらしい笑顔だ」
城へ帰る最中、柊は寝不足と泣き疲れが重なり寝てしまった。
そのままにしておけば落としかねなかったので、仕方なく政宗は柊を前に座らせ、自分の胸にもたれかかせるようにした。
柊の寝顔を眺めながら、やはりどこか雰囲気が似ているなと感じた。
「あの頃、俺がお前に何かしてやれていたら、“今“は変わっていたのかって、たまに考えちまう。
・・・――雨音(あまね)」
その独り言を聞くものは、誰もいなく。
夕方、城に着き柊を抱え離れに戻るとばったり小十郎に出くわした。政宗は小十郎が怒鳴る前に静止した。
「Stop小十郎。 説教はこいつを運んでからにしてくんねぇか?」
「! いかがされたのですか、柊殿」
「ただ眠っちまってるだけだ。」
「・・・・・・・・・・・」
明らかに小十郎が疑った目で政宗を見つめていたので、その誤解はお説教のときに必死に解いた政宗だった。
―――――――――
「一体、柊殿に何をさせたのですか!?」
「なんもしてねぇよ!! ただあいつがいつの間にか眠っちまったんだ!」
「そんなことでこの小十郎は騙せませんぞ!どうせまたあなたの勝手で無茶させたのでしょう!?きちんと後で柊殿に謝るのですぞ!」
「俺はただあいつと城下を散策しただけだ!」
「とにかく、明日誤りにいってもらいますぞ」
「上等じゃねぇか。そこで柊に思い当たる節がなかったらテメェが俺に謝れ」
「上等ですね」
次の日、なぜか早朝柊のもとへ、小十郎に連れられた政宗が誤りにきて、柊にはわけがわからず、
とりあえず「もう気にしていません」と言ったものだから
そこで再び小十郎の説教が始まったのは言うまでもない。
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