をかしき出来事に月が笑う

閉じていた瞼を開ける。あたりは真っ暗だ。少し辺りを見回せば、ふすまの隙間から月光が部屋を少しだけ照らし出していた。
その光は、あまりにも細く、頼りない。
それに、とても、切ない光だ。


「じい、さま…」


今日一日思い出さないようにしていた。ずっと、ずっと、考えないように、考えないようにしていた。無駄なことだけど、それでも、そうじゃないと泣いてしまいそうで、嫌だった。


爺様、


トウコツが来た時、震えあがった身体。どうにもできない、あらがえない、怖い…。
爺様。爺様は生きてる?まだ、生きてる?私は、まだ、独りじゃ、ない?


そっと体を起き上がらせる。かかっていた衣がスルリとすべりおちた。白いそれが闇夜に月の光をかすかに受けて浮かび上がる。
かぐや姫のラストシーンで着る衣。あれは、きっとこんな感じで、おぼろげで、それでいて、美しかったのではないだろうか…。


それを横にどけて、音をたてないように立ち上がる。木造の家は、それでも少しきしんだ。
自分が動くことによって、空気が少し動いた。


月の光が差し込むふすまをそっと開ける。


冷たく、きもちいい風が頬をなでて髪を通っていった。縁側に立ち、そっと空を仰ぐ。


満点の星空と、大きな、大きな月。
現代で見ていた月より、近く、大きく感じるのは、きっと気のせいじゃない。月は、少しずつ、少しずつ離れていっていると聞いたことがあるから、きっと千年もたてばあんなに小さくなるんだろう。


ああ、それにしても、なんて、神々しい。


熱くなる目頭を月に見られないように顔を俯けた。


「じい、さまっ」


独りは嫌だ。独りは嫌だよっ!


「ふっ…う、……ふぅっ…うぁ…」


ずるずると座り込む。冷たい床が足から体を冷やしていく。どうしようもない、不安。
もしかしたら、もしかしたら…。
とめどなくあふれてくるどうしようもない疑問に胸が締め付けられる。
なぜ、自分だけこっちに来てしまったんだろう。
なぜ、自分はここにいるんだろう。
なぜ……


ああ、どうしよう、もう、立てない。立てないかもしれない。
ねえ、お月さま?
貴方は、私の問いに、答えてくれますか?


誰も、頼れる人なんていない。
誰も、知っている人なんていない。
どこも、知らない。
ここはどこ?
風音、彩輝、爺様っ!
誰か、誰か、助けて、助けてよっ。


泣き叫びたい衝動を胸元に爪を立てる痛みで抑える。漏れる嗚咽が誰にも聞かれていないことを祈りながらも、それでも、止めることなんてできない。


その場にうずくまり、叫んでしまいそうな声を必死に押さえる。ぽろぽろとあふれ出る涙をそのままに、私は、いつの間にか眠りの闇に堕ちていた。









カタン、小さな音がしたが、縁側で猫のように丸まって静かな寝息を立てている女が起きることはなかった。


そっと前に行ってみれば、その頬は、涙のあとで少し光っている。その頬に手をそっと伸ばす。
一度、触れることにためらうが、そのままその涙のあとを指先でなぞった。
それがくすぐったかったのか身じろぐ女に、指先を引っ込める。


しかし、女は起きる気配はない。


ひっこめた手を見つめ、女を見、月を仰いだ。


頭上で静かに微笑む月は、優しく二人を見下ろしていた。


そっと、女の背中とひざ裏に腕をまわし、起こさないように注意しながら持ち上げる。開け放たれたままの扉から中へ入り、女を寝かせて衣を被せた。
女を見てみれば、ぐっすり眠っているようだ。


音をたてないように立ち上がり、縁側に出ると後ろ手にふすまを閉める。
そこから庭へと出ながら陰行して姿を消した。




かしき出来事に月が笑う
(すべてを見ていたのは)
(静かに、静かに笑う月のみ)




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あきゅろす。
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