この胸の痛みの正体

いつもと、雰囲気が違うなと思った。違和感があった。その違和感に気づいていながら目をそらしたのは俺だ。


ボールの入った籠を持っている風に、武が近づき話しかけたと思ったらその籠を武が奪うようにして持った。それを見て、何かをいう風。きっと、それは自分の仕事だとかなんだとか言っているのだろう。


そんな言葉を笑って流す武。そして、風が呆れたように少し肩を落として、ドリンクの空のボトルを持ち二人で部室の方へと歩いていく。


それを見送ることなく俺は目をそらす。


ツキンといたんだ胸には気づかなかったふりをする。


「匠!ぼーっとしてると遅刻するぞ!」


「ああ、今行く」


違和感。


違和感。


違和感。


「匠、あとで話したいことがあるんだけど」


思えば今日は最初から変だった。


朝練のために学校についてそうそう、部室に入る前に風に捕まえられた。珍しい、と思ったけれど、真剣に俺の方をみる風に不覚にもドキッと胸が跳ねる。


それをいまさらだと苦笑して、わかった、とだけ返事をした。


その目に違和感を感じながら。


頭の片隅でチリと焼けつくようななにかを予感していたけれど、それすらも気づかないふりをして。


部室に行って、いつものように、仲間と今度ある修学旅行の話とか、後輩に土産を迫られたりとか、まあ下らない会話をして、一番最後に外に出る。


そして、そこにいたのは風だった。


ほら、違和感がここにもひとつ。


いつもなら、お前は武とさっさと教室に行くだろ?今日はどうしたんだ?そんな疑問も、風の表情を見たら声に出ることはなかった。


違和感。


「一緒に、行ってもいい?」


少し緊張した面持ちで笑う風に、それに気づかないふりをしてうなずく。


あれ、いつも俺、どういう風に風と話してたっけ。不意にそんな疑問が頭の中にわいてきた。


隣を歩く風を見る。俺よりずっと低い身長。小学校まで同じぐらいだった身長は中学に入ると同時に一気に離れて行った。俺が成長期に入ったから。それと同時になんだか関係まで離れていきそうで、俺は見かけたら必ず話しかけるようにしていた。


身内にしか見せない笑顔が、俺に向けられることがうれしくて、俺はこいつの内側の人間なんだと知れてうれしくて、周りの奴らにからかわれようとなんだろうと、話しかけた。


「もうすぐ修学旅行ね」


班でどこに回るかなどの話をする風を見る。どう言おうか迷っている。言い出しにくいことなのだろうか。でも、風にとって悪いことじゃない。暗い顔はしていない。


でも、きっと、俺にとっては悪いことだ。


ツキン、また痛んだ胸に、苦笑する。


こいつと最近になってぽっと出てきた野球部のエースを思い出す。天然が入ってるが悪い奴じゃない。むしろ好きな部類に入るし、俺と同じくらい野球バカな男。投げるのも打つのもうまく、途中入部だというのにあっさりとエースの座を奪っていった。


今じゃ野球部の中心になっている。


それでいて顔は整っているから女子にモテる。でも、それを鼻にかけたりしない、というより女子の好意に気づいてねえんじゃねえかとさえ思う。そして、あいつが熱心に見ているのは俺と同じもの。部活中も、教室にいるときもその視線が追いかけるのは俺と同じもの。


気づくのは早かった。あっちも俺が同じものをみてることに気づいている。それでも、あいつは友達で、ライバルで、お互いが認め合っている恋敵でもある。


「………ハッ」


思わず嘲笑が漏れた。


風が驚いて立ち止まり、俺を見上げる。


その目に違和感。


雰囲気に違和感。


なあ、お前の心にいるのは誰だ?


そんな疑問が浮かんで、すぐに答えが浮かんできたことに自嘲する。


「風、話ってなんだよ」


少なくとも、風は内側にいれた人間を大切に思っている。そして、たぶん俺の思いにも気づいている。気づいていて、気づかないふりをしているのだと思ってる。


いつだったか、お前は俺に弟みたいだと言った。それに、お前が妹だろと返した。きっと、あれが予防線だった。こいつの予防線だった。


決意したようにまっすぐに俺を見てくる風に、切なさがこみ上げる。ああ、かっこわるい。


ゆっくりと開かれる口。いっそ、ここでふさいでしまったらどうだろう。そんなよこしまな考えが頭をよぎる。でも、そんなことできるわけがない。そんなことをしてしまったら、きっと、こいつは二度と俺に笑いかけることはないだろう。


「……武と付き合うことになった」


パチン、と違和感の塊がはじけた気がした。同時にずきずきと痛みだす胸の奥。あー、まじで痛い。


「……そっか」


「うん。匠にはちゃんと言っておきたかったの」


「ああ」


残酷な女。直接言われるなんて、ほんとうに振られたのと同じだろ。しかも、俺に気持ちを告げさせる気もない。ぐちゃぐちゃになってきた胸の中でも、俺のプライドだけが頭をもたげる。


「…ま、いつかこうなるだろうとは思ってたけどな」


「そう?」


「ああ。…ちゃんと、好き、なんだろ?」


「好きよ」


その言葉が、俺宛でないことが、こんなにも虚しいとは思わなかった。俺は今、こいつの前でうまく笑えているだろうか。引きつってねえかな。


「なら、よかったな。ま、あれだ。武と付き合おうと、俺との関係は変わんねえだろ?」


「…そう、望むわ」


「だったら、何の問題もねえよ。ほら、教室行こうぜ」


苦笑を浮かべた風の頭をかきまぜるようにして撫でる。最後だ。これで、最後だから。


撫でるのすら名残惜しく、いっそ、掻き抱いてしまいたいと思う心を必死に抑え込み、手を離す。そして、彼女の背中を押して先を歩かせる。


「匠?」


「……忘れ物したみたいだから、先に行っててくれ」


「わかった」


不思議そうな顔をしながらうなずいた風を見送る。静まり返った昇降口。生徒は一人もいない。


そのまま、俺は踵を返した。


どこか、どこか。早足になる。駆け足になる。


一人になれる場所を探した。胸が張り裂けそうだった。張り裂けてしまえばいいとさえ思った。


出たのは屋上だった。誰もいない。当たり前だ。もうす朝礼が始まる。


俺は、ケータイからある名前を呼び出し、電話を掛けた。


数コール後に呼び出しに答えた相手に、無理やり声を明るくさせて声を絞り出す。


『匠?お前、きょう遅刻か?もうすぐ朝礼始まるぞ』


「なあ、今からさぼんねえ?」


『は!?今からってだから、もう朝礼始まる。っつーか、まだ学校始まってすらいねえんだけど』


「な、頼むって、神様」


『文化祭の時の話題なんて持ち出してくんな』


「神童。今、教室に行けねえ。それに、一人でいるのも、つらい」


『匠?』


電話の向こうが一気に騒がしくなった。女子の悲鳴の好きに山本君という単語が聞こえてきて、また胸をしめつけてくる。


「まじで。傷心の俺を慰めて」


『……わかった。あとでなんかおごれよな。で、今どこに居んの?』


いる場所を告げて、ケータイを切る。ポケットにしまうのすらだるくて、腕を投げ出した。いっそ、この胸の中すら空っぽになってしまえばいいのに。


勢いよく開かれた屋上の扉。そこを見ると、息切れした神童がいた。俺をみつけるなりへなりと笑みをこぼす。


「よ、ご機嫌いかが?」


「最悪、かな」


「俺の胸、貸そうか?」


「俺、そっちの気ねえよ」


「俺もねえよ。つーか、彼女いるし」


「だな」


「だろ?ま、アレだ。泣いちまえば?」


その一言で、何が起こったのかもうわかっているのだと気づいた。


喉が震える。喉の奥からせりあがってくる嗚咽を歯を食いしばって耐えた。目に腕を押し当てる。


「すげえ、痛い」


「うん」


「痛いんだ…」


「うん」


「俺、まじで好きだったんだな…」


「知ってる。わかってるから」


静かに相槌を打ってくれる神童に、俺は背中をまるめて、ぽつりぽつりと心情をもらしていった。そうでもしないと受け止めきれない気がした。


何年思ってたっけ。気づいたらもう好きだった。きっかけなんて知らないけど、守らなきゃって思った。そばにいたいって思った。俺の方を見てほしくて、触りたくて、笑いかけてほしくて、幸せにしてやりたくて。


ああ、なあ、本当に。


「まあ、アレだ」


どれくらいそうしてたのか、ようやく俺も落ち着いてきたころ、神童が笑い交じりに俺を見下ろした。


「お前の大切な春日さんをくれてやるんだ。拳の一発ぐらいいれてやる資格もあるんじゃねえかな?」


シャドーボクシングのごとく握ったこぶしを前につきだした神童に、だな、と同意して笑う。


大丈夫、俺は、大丈夫だ。


でもやっぱり、しばらくは忘れられそうにねえや。









とりあえず、山本を一発殴ることから始めようか。





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あきゅろす。
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