あ、と小さく漏らされた声に隣を歩いていた彼女を見ると、前方を指差した。 「春日さん……」 「あ、本当だ」 いつも一緒にいるイメージの伊集院は今日は先に帰ったのだろう。 春日の隣に山本がいないのもまた変な感じがしたが、今日は委員会の集まりだったからそれで残っていたのかもしれない。 俺の彼女である木城綾は火事騒動の時に春日が助けてくれたことにより事なきを得た。匠曰く春日が無事かどうか気にしていたらしいが本人はいろいろと負い目を感じてなかなか話しかけることもできずに今に至っている。こういう時こそ俺が橋渡しになってやるべきだろうと思って、前方を歩く春日に声をかけようとした時だった。 俺たちの横を猛スピードで通りすぎた車が春日の側で止まった。かと思えば扉が開き、スーツ姿の男が一人、春日を引っ張り込んだ。わずか数秒の出来事に、まぬけなことに上げかけた手を下すことも忘れ口をぽかんと開けて見送ってしまった。 「ししし神童くん!」 テンパった木城の声にようやく我に返った俺も同じく先ほどの光景をうまく飲み込めていなかった。 「春日さんがっ!ゆ、誘拐!?誘拐だよね!?」 「やべえっ!どうしよう!?」 「や、山本くん!山本くんにしらせなきゃ!」 「わかった!」 携帯電話を取り出し山本にかける。 「山本!春日が拐われた!どうしよう!ごめん!」 『は?どういうことだ?』 山本になだめられ状況を説明し始めるとようやく頭が冷静になってきた。山本には当てがあるからきにするなと言われ、その声が特に焦った様子もなかったから不思議と心が落ち着いた。 山本って普段は能天気なんだけど、いざというときの肝の座り方が違うっていうか頼り甲斐がある感じがするんだよな。だから山本が大丈夫っていうなら大丈夫なんだろう。 電話を切ってからふと隣の彼女を見る。 「っていうか、なんで山本?俺もテンパってたけどこういうとき真っ先に警察じゃね?」 「だってナイトだもん」 「ナイト?」 「山本くんって春日さんのナイトって感じ。だから、春日さんに関しては山本くんならなんとかしてくれそうだなって真っ先に浮かんだの」 「ふうん……」 あまり関わりない木城からみても春日の隣には山本という認識になっているらしいことに、絶賛不利になりつつある匠に心の中だけでエールを送っておいた。 「は?…どういうことだ?」 さっきまで並んでテレビを見ていた、たけちゃんは、ケータイが着信を知らせたために、少し離れていた。そして、耳に当てて数秒。彼は怪訝な声を出した。その声があまりにも不穏さを滲み出していたためテレビから目を離し、たけちゃんを見た。普段は温厚な彼からは想像もつかないほど険しい顔をして、電話に耳を傾けている。 不穏な空気に気づいたのか、ベランダでたばこを吸っていた隼人が戻ってきた。 「何があった?」 電話をしているたけちゃんに気を使ってなのか、声を落として聞いてくる隼人に首を振る。 たけちゃんは何やら相手をなだめているように、声音こそはいつもの調子に戻っていたが、その目は険しいままだった。 「ああ、大丈夫だから。とりあえず、当てがあるから気にすんなって。ああ…。ああ。心配ねえって。じゃあ、気をつけて帰れよ」 しばらくしてようやく電話を切ったたけちゃんは思いつめたようにケータイを眺めた後、あたしたちの方を見て言った。 「風がさらわれた」 「「は!?」」 「クラスメートからの電話だったんだけどよ、帰り道に風の後ろを歩いていたらしい。そしたらいきなり車がビュンってきたと思ったらざざっとつれていかれたらしい」 風は今日は先生に用事を頼まれて遅くなるために先に帰っているように言われていた。野球部の練習もなかったために、珍しく3人で帰ってきたのだ。 時計を見るとすでに帰宅してから2時間は経っている。 「ナンバーと車種は?」 「黒のジャガー。ナンバーは覚えてねえって。かなり手際がよかったみたいだ」 「プロの犯行か…」 「かもな」 「でもなんで、風を…。うちはお金があるわけ…、あ、あたしんちのせいかな!?犯人があたしと風を間違えてさらったとか!」 「ありえねえ話じゃねえな。一緒に暮らしてるんだし、間違われてもおかしくねえ。俺たちの関係ってのはこっちの世界じゃありえねえだろうし…」 眉間にしわをよせ、顎に手を当てて考える隼人。 たけちゃんは、風に電話をかけていたが繋がらなかったらしい。 「とにかく、いったんその場所に行ってくるな。次郎ならなんとかなるかもしれねえ」 「わかった。あたしはお父さんたちに言ってみる!」 充電していたケータイを取りに部屋に戻った時、そのケータイが振動していることに気づいた。 画面を見てみると楓ちゃんだった。 「もしもし楓ちゃん!?大変なの!風がっ」 『あー、空ちゃん。そのことなんだけど』 「へ?」 「空?どうした」 「それが、楓ちゃんなんだけど…」 「空、変わるぜ?」 いつのまにそこにいたのか、背後からあたしのケータイをひょいととっていったたけちゃん。スピーカにして、全員に会話が聞こえるようにして、たけちゃんは楓ちゃんと話し始める。 「楓か?風のことなんか知ってるんだろ?」 『たけちゃん?あー、ってことは、やっぱりお姉、もう誘拐されちゃった?』 「どういうことだ?」 『いや、あたしもさっき知って、慌てて電話してるんだけどさ。お姉の誘拐、ママっぽいんだよね』 「は?」 ママ、つまり智世さんのことだ。 『この前、お姉結構きついこと言ったんでしょ?それでいろいろ考えてたみたいなんだけど、なんか変な方向にふっきれちゃったらしくって……。とにかく、あたしもいまから向かうからさ、今日はちょっとあたしに任せてもらえないかな?』 「じゃあ、とにかく風は無事なんだな?」 『うん。それは大丈夫。とにかくまた定期的に連絡は入れるから!うちのママが本当にごめん!』 「楓が謝る必要はねえって。風のこと頼んだぜ」 『まっかせて!』 スピーカー状態だった携帯から音が途切れる。慌ただしかった向こう側の雰囲気で楓ちゃんも予想外の事態だったことがわかった。 ひとまずあたしの家の関係でもボンゴレ関係でもないことがわかって一安心したあたしたちだけど部屋の中は落ち着かない雰囲気が残っていた。 |