寂寞の思いにどうか気づいて

部屋に入ると電気もつけないで、カーテンも閉め切ったままの部屋は薄暗かった。


ベッドの上で毛布にくるまっている風。風の横に腰掛け、そっとこんもりと盛り上がっている場所を叩くと、わずかに体をはねさせていた。


「風。落ち着いたか?」


静かに問いかけると、風はしばらくして小さく返事を返してくれた。


「空から少しだけ聞いた」


「……重い話、だった?」


「空が結構さらっと話してたからな。でも、複雑だなとは思ったぜ」


「…そっか」


風の体をとんとんと一定のリズムで叩きながら会話を続ける。


「俺さ、なんて言ったらいいのかわかんねえけど、何を言うのが正解とか馬鹿だからわかんねえ。でも、風から聞かせてほしいって思った」


「……同じ内容よ」


布団の中で話す風の声はくぐもって聞き取りにくい。それを聞き逃すまいと少し顔を近づけた。


「でも、風から聞きてえんだ。な?」


「つまらないわよ」


「ああ」


「ぐちゃぐちゃでまとまってないし」


「ああ」


「自分でもわかってるのよ。この話題に関しては、どうやったって私情が入って、うまく話せないの」


「それでいいぜ。だから、聞かせてくれ」


あまり刺激しないように、みのむし状態の風から毛布をはがすと、目を真っ赤にはらしてこちらを見上げてきている風の顔が現れた。


目じりに指を滑らせると、くすぐったそうに目を細める風。


恥ずかしかったのか、目を泳がせた風は、しばらくして両腕を差し出してきた。それをきょとんとして見つめると、起こして。と言われた。


甘えられてんのか?


腕を引っ張って風の体を起こしてやる。すこし乱れた髪をなおし、そのままもうちょっと俺の方へと引っ張った。


簡単に倒れこんだ風は、俺の腕の中にすっぽりと納まっている。


「ちょ、と、武?」


「この方が安心しねえ?」


「…………」


黙ったってことは、大丈夫ってことだな。


俺は少し笑いながら、もう一度風の頭を撫でる。そうしていると、風が唐突に俺の背中に腕を回してきた。さっきより密着する体に、心臓の鼓動が早くなる。


「風?」


「…聞いて、くれるんでしょう?」


俺の胸に額を押し付けゆっくりを呼吸をした風が、背中で俺の服を握った。


「大したことじゃない。いまどき離婚家庭も珍しくない。私にしたらそれがあたりまえで、当然で、今更なこと。でも、たぶん私自身複雑で、消化しきれていないこと」


風はそう前置きをしてから話し始めた。


俺も頭を撫でる手は止めないまま、風の腰を少し引き寄せる。


「私が、5歳ぐらいのときに、両親は離婚したわ。あの人は楓の手を引いて、最後に私の頬を触ってバイバイとだけ言って出て行った。あの人の唯一の記憶よ。


お父さんと二人で暮らすのは別に苦じゃなかった。楓がいないのはさびしかったけれど、問題なかった。お父さんが病気になった。入院することになった時にあの人に電話したことがあるの。留守電だったから伝言だけ残した。きっと迎えにきてくれるってあの頃は思ってた。でもこなかった。


お父さんが死んで、葬儀のこととかは全部空の両親がしてくれたわ。それから空の家で引き取ってもらった。


あの人はきっと想像もしたこともない。私がどんなに心細くてそばにいてほしかったか。どれだけ迎えにきてほしいって思ってたか。仕事だとか知らないもの。なんで、私は置いていかれたの?私と楓は何が違ったの?どうして楓は連れて行ってもらって、私は置いていかれたの?


それが、今更迎えにきた?再婚するから一緒に暮らす?バカじゃないの。血のつながりも何も関係ない。今更、ほかの家族なんていらない」


淡々と話しているのに、どこか激情を抑え込んでいるような震えた声音に、俺は風の背に回していた腕に力を込めた。


家族なんていらない。


その言葉が胸に突き刺さってくる。


実の母親なのに、とかいろいろと考えは浮かんでくるけれど、俺はどれもそれが言葉になることはなかった。しばらく口を閉じた風は静かに、再び話し出す。


「あの人はいつも勝手だった。自由気まま。楓に似てる。こっちの都合なんて考えないで、いつも夢ばかり追いかけているのよ。だから、父さんの葬式にも来なかった。仕事を優先させて、謝りもしない。そばにいてほしい時にいてくれなかったのに、助けてほしい時にきてくれたなかったのに、今さら何様のつもりなの」


気持ちが高ぶっているらしい風は俺の胸から顔を上げた。まっすぐに見据えてくる風の目には怒気がうかがえる。


それなのに、風の目からは一筋の涙が伝った。


「風……」


「…あの人は、私の大変な時に一度もそばにいてくれたことはないわ!助けを求めていたときに、いつもそばにいてくれたのは空だった!それを、今更何もなく、家族になんてなれるわけない!私がほしいのは形だけの家族なんかじゃない!今更、あの人に私は何も望まない!なのに…っ」


こんなに、感情をあらわにして叫んでいる風を見るのは初めてだった。


たぶん、風にとってこの話題はネックなものでもあり、消化しきれていないものでもあるんだろう。


「風……」


「……ごめんなさい。怒鳴って。武じゃなくて、あの人に言うべきなのよね」


「俺は、聞けてうれしいぜ?風はいつもひょうひょうとしてっからな」


「それは…」


「なあ、風。今度からはさ、空だけじゃなくて俺もいるからな」


「え?」


「つらい時とか、さびしい時とか、どんな時でもいいんだ。俺が一番傍にいるから、だからさ、一人で抱え込むなよな」


「………武らしいわ」


「そうか?」


「安心する」


肩の力を抜いて、俺に寄り掛かってくる風。それにドキッと心臓が高鳴ったが、悟られないように風の背に両腕を回して抱きしめた。


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