ざっくり過去のこと

踵を返し、リビングへと向かう風の背中を見る。ひどく冷たい目をしていた。あんなに冷めた顔を初めて見た。感情が抜け落ちたかのような、そんな顔。


「…ごめん、智世さん。黙ってるって言ったのに…。しかも叩いちゃったし」


風のお母さん、なんて言ったらきっと風は何とも言えない顔をするのだろう。肯定するでも否定するでもない。困った顔をして目をそらすのだ。


智世さんは、落ち込んでいるらしい男に笑顔を向けて、慰めている。その笑った時の目元や口元が風に似ている。


「…空ちゃんもごめんなさいね。みっともないとこみせちゃって」


「……いえ。…でも、風が怒った気持ちもわかります」


「君は関係ないだろう。このことは智世さんと風ちゃんの問題だ」


「ちょっと、正明さん」


「智世さんは黙ってて。僕は」


「黙ってるのは正明さんよ?空ちゃんは関係なくなんかないんだから」


にっこりと笑った智世さんの真っ黒な笑みに、正明さんが肩を跳ねさせ、顔をひきつらせた。


さっそく尻にひかれているらしい、彼。そして、あの黒い笑みは遺伝したのだろうと、切れたときの風の顔を思い出してため息をついた。


「とにかく、また会いにくるわ。夜遅くにごめんなさいね。空ちゃん」


「智世さん。あたしは、風がいて迷惑だなんて思ったことはありません」


「…そうね、無神経だったわ」


苦笑をこぼした彼女は、扉の向こうに消えて行った。


彼女のヒールの音が徐々に遠ざかる。それにずっと耳を澄まし、完全に聞こえなくなってから、胸の中にたまっているわだかまりを吐き出すように大きく息を着いた。


「空」


「隼人」


「大丈夫か」


真剣なエメラルドグリーンの瞳に、うなずき返す。


「あたしは大丈夫。それより、風は?」


「戻ってきたと思ったら、とっとと部屋に入っていった」


「そっか。じゃあ、しばらくはそっとしておこう」


「今来たのは、あいつの親か」


まるでそこに仇がいるかのように玄関を睨み付ける隼人。それを見て、そういえば隼人の家も複雑な家庭だったことを思い出した。


親というものに、家族というものに敏感に反応してるんだろう。もしかしたら、あたしなんかよりずっと隼人の方が風の気持ちをわかってあげられるのかもしれない。


リビングにもどると、風の部屋の前でじっと立っているたけちゃんがいた。


「たけちゃん」


「空、教えてくれ」


「……風の家のこと?」


ドアから目を離し、縋るようにあたしを見るたけちゃんの声は少し震えていた。


「ああ。情けねえけど、風、何も頼ってくれねえ見てえだし。空に聞けって言われた」


「じゃあ、話す」


風があたしに聞くようにいったなら、言ってもいいってことだろう。どちらにしても、あんなに大声で話しておいて、ごまかすことなんてできなかっただろう。


リビングでいつもの定位置に座る。たけちゃんの横はぽっかりと空いているのが、少しさびしく見えた。


「簡単に言っちゃえば、風は父子家庭だったの」


とりあえず、あたしはざっくりと説明していくことにした。風の家は、他人が語れるほど簡単に済まされたものではなく、かといって、本人が語れるほどまだ消化しきれていないものでもあった。


「父子家庭?」


「楓ちゃんのお母さんがさっきの人。智世さんっていうの。風たちが幼稚園児のときに離婚して、智世さんは楓ちゃんを、風のお父さんが風を引き取った」


「だから、別々に暮らしてたのか」


「じゃあ、その父親は…」


「もう、亡くなってる。あたしたちが小学校の低学年だったころに。くも膜下出血だった。連絡をうけて、風が駆け付けた時にはもう…。それから、いろいろあって、風はあたしの家で引き取ることになったの」


「待て。なんでそこで母親が出てこねえんだよ」


「智世さんが風のお父さんの葬式にも現れなかったからだよ。連絡はいっていたはずなのに仕事を優先した。それで私のお母さんがキレて、こっちで引き取ったの」


あたしは、お茶を入れてゆっくりと喉に通す。


風の部屋に視線を向けるけれど、シンとしずまりかえっていた。


「風は、泣かなかった。それからあたしたちはいつも一緒に居た。智世さんと風はほとんど会ってない。結構有名人だから、雑誌とかでは見かけるときがあったかもしれないけど」


「雑誌?」


「智世さん、IT関係で結構有名な人なんだって」


二人はへえ、と短く関心を示した。


「楓ちゃんはよく会いに来てたけどね。だから楓ちゃんから風のことは多少なりとも聞いてたとは思う。とにかくざっくりだけど、風の家庭事情はそんな感じ」


「本当にざっくりしゃべりやがったな」


「だって詳細語ってもしょうがないじゃん」


「…なあ空。その、風の母親は何しに来たんだ?」


「再婚するから、一緒にすまないかだって。ずいぶん若い人捕まえてた。なんか、まだ青臭いって感じの人だった」


「テメエがいうのかよ」


「だって、ひどいんだよ!?風がいかないっていったら、智世さんのことも考えろとかなんとかぬかしてさ!しまいには風にビンタするし!あーっ、むかつく!」


「お前が怒ってどうすんだよ」


「隼人だって大事な十代目がバカにされたら怒るでしょ」


「ったりめえだろ!十代目をバカにするやつは誰であろうとこの俺がじきじきにその口きけなくしてやる」


「ね!あたしも、あいつにやり返そうかと思ったもん!」


隼人の考えに賛同して、二人で盛り上がっているとふいにたけちゃんが立ち上がった。


「たけちゃん?」


「風のとこに行ってくる」


「…追い返されちゃうかもよ?」


「ハハッ、追い返させねえよ」


あたしは見た。その時のたけちゃんの目が笑っていなかったのを。


背筋をぶるりと震わせ、たけちゃんが入っていった風の部屋を見る。


そして隼人の方を見ると、隼人は呆れた視線を風の部屋に向けていた。


「は、はやと…。風だいじょうぶかな」


「…まあ、死にはしねえだろ」


「そこ!?当たり前でしょ!」


「あいつは野球バカだが、アホじゃねえから大丈夫だろ」


「え、意味わかんない」


今度は無言で頭を叩かれた。ひどい。


「とにかく!テメエまで沈んでんじゃねえ。お前はいつも通りバカ面してりゃいいんだよ」


「バカ面って何よ!」


「バカ面はバカ面だろ」


「はあ!?隼人なんてねっ」


そのあとしばらく口論のような、風たちに言わせれば、じゃれているような会話を続けてた。


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あきゅろす。
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