『明日、風のお母さんがそっちに行くかもしれない』 お母さんからのメールを授業中に見て息をのんだ。風のお母さん。その単語を聞くのはとても久しぶりだった。最初に浮かんだのは、なぜ、という疑問。 風があたしの家に来てから今まで、絶対に会いに来なかったのになぜ今更。 「どうかしたのか?」 横から話しかけられ、肩がはねた。そんなあたしを隼人がいつもの数割増しに眉間に皺をよせてみている。 教室には古典の先生が教科書を読み上げる声だけが聞こえている。生徒を見渡せば先生の声を子守唄に船をこぐ生徒がちらほらと見受けられた。かくいう隣の隼人もさっきまで、隠すことなく堂々と眠っていたはずだ。 探るような目から逃れたくて視線をそらし、なんでもない、とだけ呟いた。それに対して隼人が苛立ったように舌打ちしたけど、今はそんなの気にしていられない。 隼人もたけちゃんも、風の母親については何も知らないはず。たけちゃんなら、ちょっとは風から聞いているかもしれないけど。 それに、あたしが口を滑らすわけにはいかないと思う。何より風が、他人から知らされることを嫌うだろうし。簡単に口にしていい内容でもない。 まあ、風からしてみれば聞かれなかったから答えないというところだろうし、自身としては割り切れていると思っているようだが、あたしから見ればいまだに固執しているように見える。こんなことを言えば全否定されるだろうけど。 そのあとはそのまま学校が終わったけど、あたしはどうすればいいかわからなくてずっと悩んでいた。風に言うべきかもしれないけど、言いたくない。風にとってこの話はタブーだ。普段なら、嫌な話でも少し顔をしかめるぐらいで聞き流すのに、この話に関してはすぐに話をそらそうとする。または強がってみせる。 「ねえ、風……」 「何?」 「えっと……、なんでもない」 帰り道とか、ずっとこの調子。風に言おうと思って口を開くけど、どうやって言えばいいかわからないから、そこから先が続かない。実際に、来ないかもしれないのだ。 だとしたら言う必要無いよね? ちらっと横目で風を見れば、普通にしていて、やっぱり言うの憚られたからやめた。 「ねえ、空」 さっきから、ちらちらと感じる視線。それは、ご飯を作っている間も、食べている最中も感じた。何か言いたいことがあるらしく、なんどもこちらに視線を投げては言えないというようにため息をついて視線をそらす。いい加減うっとうしくてしかたがない。 「さっきから、何?」 「え…いや、えっと…」 視線をあからさまに逸らして明後日の方向を見る空に溜息をつく。 「別に、言いたくないことなら言わなくてもいいのよ。……なんて、言うと思う?」 少し声を低くしてみると、空は面白いほどに肩を跳ねさせた。これだけ意味ありげな視線を投げておいて言いたくないなんて言わせない。 「で、何?」 「……うん、風は、さ」 やっと言う気になったのか、俯いて言葉を紡ぐ空の前に座って向かい合う。言葉を選んでいるのか、空はたどたどしく言葉を紡いでいく。 「風は、例えばね?たとえば、風のお母さんが会いたい、って言ってきたら会う?」 突然でてきた話題に、無意識のうちに顔がこわばっていたらしい。空の顔にしまったというのがありありと書かれていた。そんな顔をみると、なんだか肩の力が抜けた。 「……どうかしら。会うだけなら、ね。会うかも知れない。でもどうだろう?その時になってみたいとわからないわ」 「そっか!そうだね!変なこと聞いてごめん!お風呂入ってくる!」 どうしてそういうことを聞くのかを聞こうと思って開かれた口からその言葉が出ることはなかった。空の言葉に遮られて、まるで逃げるように走ってお風呂に行ってしまった。 というかあの子、着替えとか持っていかなかったけど。 「風、どうしたんだ?」 「武。ううん?ただ、空が少し変だったから」 「そうか?」 「うん」 嫌な予感が頭をかすめる。それを必死に否定してみるが、その予感をさっきの空の態度が肯定しているように感じた。 面倒くさいことになりそうだ。 思い出されるのはあの日のこと。玄関に立つ私と同じ顔をした女の子の手をしっかり握った女性。そして――――――… 今はまだ、何も考えたくなくて私はそれ以上考えることを放棄した。それを、後で悔やむとも知らずに。 (風ー!!着替えないー!) (……ハア。今持って行く!) (はい、持ってきたよ) (ありがとう!!) |