母の気持ちは誰が知る









「……今更何しに来たの」


テーブルの上にカップを置く。今淹れたばかりの紅茶は湯気を立ち上らせている。そのカップに細い指を絡ませ持ち上げた女性はおもむろに口元を緩めた。


問いに答えようとしない女性に、ため息をつく。


ここは、空の実家だ。そして、もてなすために紅茶を用意したのは空の母親、美智子である。質問に答える気はないのか沈黙を保ったままの女に眉根を寄せ、美智子はため息をついた。向かいのソファーに深く腰を下ろすと、自分も紅茶を口に運ぶ。


目の前に座る女性は美智子も古くから知っている友人だった。といっても、ここ数年はあっていないどころか消息不明になっていた。


美智子の最後の記憶にあるのは、泣きはらした目をしてもう無理だと髪を振り乱して嘆く女だった。外見に気を使う余裕もなく飛び出してきたのだろう。化粧もせず、よれた服を着た黒髪の女性は、友人だった美智子の目から見ても哀れな女だった。


それが今、目の前にいる女はまったく別人のように変わっている。いい暮らしをしているのだろう、荒れることのない肌に、きっちり施されたメイクからは泣きはらした女の顔とは似ても似つかない。つくりは変わっていないが、ブラウンに染められた髪のせいか印象は大きく変わって見えた。再開したときにとっさに彼女だと判断できなかったほどだ。


そして何より目についたのは、彼女の細い指にはまる銀色に光る指輪だった。シンプルなデザインだが安物ではない事は、宝石店の店長をしている美智子には一目瞭然だった。


紅茶をもう一度口に含み、気分を落ち着かせてからもう一度口を開く。


「音信不通になっておいて、いきなりの訪問はないでしょう」


「……ごめんなさい」


小さくこぼれた謝罪の言葉はとても頼りない。そして肩を落とす姿は昔となんら変わっていない。


「何の用?」


美智子の冷たい声に彼女は肩をはねさせる。視線を泳がせ、手はせわしなくカップを触ってはソーサーと触れ合わせて小刻みに金属音をならせた。それがどうしようもないほど耳障りだった。


「あ、その……。風ちゃんは……、元気?」


「元気よ。空と仲良くしてくれてるわ」


「そ、そう。よかった」


「今更どういう風の吹き回し?葬式にも顔を出さなかったのに」


「あ、その…、あの人の葬式の時は私、海外にいて…。そ、それにね、私…、再婚するの。この人と」


鞄の中から長財布を取り出し、その中から一枚の写真を取り出した彼女。その写真を一目見て、彼女は顔をほころばせた。


幸せそうなその笑顔に、素直に喜べない自分がいることに美智子は気づいていた。そしてその理由も。


彼女はすぐにその写真を美智子に渡した。


写真に写っていたのは、彼女と、彼女の肩を抱き寄せ笑っているさわやかそうな青年。その二人と少し隙間を開けて笑う風そっくりな女の子、楓だ。


写真だけ見ればとても仲の良さそうな家族だ。しかし、それを素直に受け入れないわけを美智子は知っている。


「楓ちゃんは、納得してるの?」


「ええ。彼も、よくしてくれて、楓もなついてくれてるし……。だから、今度こそはって」


決意をみなぎらせるその言葉は力強く、この結婚に覚悟を持っていることはわかる。だが、美智子の引っ掛かりはそこではない。風だ。


楓の母であると同時に、風の母親でもある彼女。姉だからと父のもとに残し去って行った母親。楓とはお互いに連絡を取り合っているようだが、風が母親と会おうとしたことはなかった。それだけ、彼女の中でネックな話題なのだろうと思う。


美智子の顔が曇ったことにも気づかず、彼女は浮かれたように先を続ける。


「貴方には風ちゃんのことでも、たくさんお世話になったからちゃんと報告しておきたかったの」


「そう、なの」


とても幸せそうにほほ笑む目の前の女性を見て、素直には笑い返せなかった。笑うことによって細められた瞳は風によく似ている。


「本当にお世話になったわ。あの人が死んでから、もう10年ぐらいになるのかしら」


「そうね。あの頃はあなたは若すぎたわ」


「あの頃の私の話はしないで。私だって、風ちゃんに悪いことしたと思ってるわ。だからこそ、今回はちゃんと上手くやろうとおもってるのよ」


拗ねたように顔をそむける彼女は昔からあまり変わっていない。あれから10年も経ったとは思わせない。顔は風と似ているのに、性格はほとんど似ていない。風の方が落ちついている。それに、彼女はやはり幼いように感じられる。


「風にも報告するの?」


「違うわ」


「え?」


「私、風も一緒に住もうと思ってるの。彼もいいって言ってくれたし、やっぱり、双子が違う暮らしをしているのは変でしょう?」


怒りよりも呆れの方が強かった。とてもじゃないが、風がそれを承諾するとは思えなかった。


「…旦那が死んだときに顔も出さず、そのあとも迎えにすらこなかったのにあの子が素直に会うと思う?」


「会ってくれるわ。だって私たち親子だもの!だから会いに行くわ。風を連れて帰ります。今まで、お世話になりました。感謝をしつくしてもしきれないぐらいに」


頭を座ったまま深々と下げる彼女を美智子は、見下ろすような形で見ていた。昔から彼女は夢見がちだった。片足は夢の世界に突っ込んだまま生きているような子だと思ったことがある。今もその印象を変えられそうにない。


「これからは、私が精一杯育てるわ」


顔を上げた彼女は目がらんらんと輝いていて、これからの家族のそろった未来を想像しているというのは容易に想像できた。


箱入り娘。


そんな言葉が頭をよぎる。親子だからなんなのだろう。血のつながりがなんなのだろう。それさえも感じさせないような仕打ちをしておいて、今更あの子は会うだろうか。


「……素直に会ってもらえるとは思わないことね」


「知ったような口を利かないで。私はあの子の母親よ。産んだのは私。私のほうがあの子のことよくわかってるわ」


彼女は、残っていた紅茶を飲みほして立ち上がった。美智子から写真をひったくるとお邪魔しましたとぶっきらぼうに言って出ていった。


短い時間だったというのにどっと疲れが押し寄せてくる。感情の起伏が激しいところも変わっていない。


しかしこの疲れに身を委ねてはいられないと電話をかける。しかし時間を見ればまだお昼すぎ。空たちはまだ学校だ。しかも授業中だろう。今度はメールを送る。


『明日、風のお母さんがそっちに行くかもしれない』


その一文だけのメールを送信する。空が上手くやってくれればいい。私もパパも、仕事があってそばにはいてやれないから。


自分達の子供のように、空と姉妹のように育ててきたのだ。それに風の境遇も知っている。学校でどういうふうにして二人が過ごしているかも聞いている。


―――だからこそ、願う。


これ以上あの二人が、私たちの子供が苦しまないことを。


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あきゅろす。
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