夕ご飯を食べ終わり、一息ついたころ、インターフォンがなった。こんな時間になることはめったにないため、思わずソファーで横に座っていた武と顔を見合わせる。 匠ならインターフォンなんて面倒なことはせず直接電話がかかってくるはずだから、彼ではない。 ソファーから立ち上がり、インターフォンをとると、そこに映っていたのは今はどこかへ合宿に行っているはずの二人だった。しかも、なぜか空は獄寺に抱きかかえられている。 「…開けろ」 低い一言。 呆然と見ていた私はその一言に我に返り、玄関へと急ぐ。 インターフォンの小さな画面に映し出されたものではよくわからなかったが、獄寺の肩に顔をうずめるようにして抱えられている空にいやな予感がよぎる。 雰囲気を察したのか、武が私の名前を呼んだが、それに応えることなく玄関へと向かいカギを開けた。 勢いよく扉を開けば、そこには怖いほどに無表情な獄寺とやっぱり彼の肩に顔をうずめて、しっかり腕を首に回している空がいた。 「ごく、でら…」 「通せ」 再び地を這うような声で言われた言葉は、それが彼が怒りを抑えているもののようだった。怖いくらいに無表情なくせに、瞳だけはぎらつかせ獰猛なオオカミのように見える。その瞳に背筋が凍るような思いがした。まるで心臓をわしづかみにされているかのようだ。 動けなくなる私に対し、獄寺は私を押しどけて中へと入っていく。 リビングから出てきた武は獄寺の様子を見て眉をしかめた。 「…穏やかじゃねえな」 「しばらく入ってくんじゃねえ。…あとで、説明する」 そういってリビングへと消えていった二人。私はそれを見届けた後、膝から力が抜けて、リビングに座り込んだ。 「風!大丈夫か?」 「……あっ…う、うん…」 力が抜けた膝にびっくりして呆然と自分の足を見ていると、背中に武の手が添えられる。その熱に安心感が広がっていくのがわかった。 いつの間にかこわばっていたらしい肩から力が抜けたのを見て取ったらしい武が苦笑を浮かべる。 「獄寺の奴、殺気立ってたからな…。立てるか?」 「殺気…。空、は…?」 「空なら獄寺がなんとかするから大丈夫だ。とりあえず、あっちに戻ろうぜ?」 「うん…、そう、ね」 頭が回らないまま、武の手を借りて立ち上がる。背筋が凍るようだった。 「大丈夫だから」 それにうなずくだけで返す。手の震えはいつのまにか止まっていた。 私たちもリビングに戻ろうとしたとき、私の携帯電話の着信音が鳴り響いた。それがバイト用のものだったため、こんな時にとため息をつく。 「ごめん、バイトの人」 「ああ、わかった」 リビングに急いで戻り携帯を手に取って眉をしかめる。そこには木城さんの名前が記されていた。彼は今、空手の合宿のはずだった。空たちが帰ってきた今のタイミングで鳴った電話に関連性を疑わずにはいられなかった。 「風?」 「…木城さんから…」 「木城?」 「空の空手の先輩」 それだけ告げて電話を取る。 『もしもし春日さん?』 「木城さん…」 『あのさ、ちょっと話たいこ―――』 木城さんの言葉を遮るようにして空の部屋から聞こえてきた悲鳴のような声に思わず武を顧みる。 武も眉をしかめて、私のほうを見ていた。泣き叫ぶ声をこのまま木城さんに聞かせるわけにもいかず、武の手を引いて部屋へと入る。 扉が閉まったことによって少し小さくなった声。あんなに泣き叫ぶなんて、何があったのか心配でいてもたってもいられなくなる。しかし、そんな焦りのような私の心を逸らしたのは木城先輩の言葉だった。 『俺の話っていうのは、空ちゃんのことなんだ』 その言葉だけで確信する。合宿で、いや、南先輩と何かあったのだと。それも、空が傷つけられるような何かが。 無意識のうちに武の手を握る手に力を込めていたらしい。心配そうに私の顔をのぞきながら、それでも同じようにしっかり手を握ってくれた。 「話して、ください」 『実は…』 聞かされる内容に唇をかむ。いまだに彼女の泣いている声が聞こえる。締め付けられる胸。今、何もできない自分に、いや、何もできなかった自分に腹が立つ。 私は知っていたはずだ。彼がどんな状態だったか。空に対する執着も気づいていた。それを必死に紛らわそうとしてほかの女に手を出していることも。幼いころから匠同様過ごしてきたのだ。 こんなことになる前に止めなければいけなかったのに。止められたはずなのに。 「風」 『春日さん。止められなくてごめん。もっと、注意してみてるべきだったのにっ』 武が私の噛みしめている唇に触れる。血がにじんでいたらしい。そんなことにも気づかなかった。 『ごめんで済まされないけど、ごめんっ。でも、南のこともわかってやってほしいんだ。あいつは…』 「…大丈夫です。先輩。教えてくれて、ありがとうございました」 『春日さん…』 「とにかく、空はこっちでなんとかするので。しばらく空手は二人とも休むと伝えてください」 『ああ、わかった。本当にごめんね…』 そういって、切られた電話。通話時間を表示している画面にやるせなさがこみ上げる。 「風」 「武、聞こえてた?」 「ああ」 「そっか…」 部屋に落ちる沈黙。隣の部屋から声は聞こえなくなっていた。 ひどい耳鳴りが思考能力を奪う。 何ができたか、何が起こったか、何をしなければいけないか。取り留めもないような考えが浮かんでは消えていく。容赦なく自分で自分を責める。それでどうなるわけじゃないとわかっているのに、今、そばにいくことができない私は自分を責めるしかできなかった。 別れさせることもできたはずだ。 言及するのをめんどくさいと投げ出した。言ってわからないのなら好きにすればいいと思ったのも本当だ。うわさが確信に変わったあの時、ちゃんと空と話していれば?喧嘩になっても折れることなく通していれば? もしかしたら空は今、あんなに泣き叫ぶようなことにはなっていなかったかもしれない。 「──風が自分を責めんのは、空が悲しむと思うぜ」 お前は悪くねぇよ。そう言って何度も優しく頭を撫でる大きな掌は、温かくて、力強くて、凄く優しかったから私は頷くしかできなかった。 それで、責める気持ちが払拭されるわけじゃない。それでも、幾分か軽くなる心に私は武を見上げた。 「空なら大丈夫だ。獄寺が上手くやってるって。なんだかんだで、あいつも面倒見いいしな!」 「…そうよね」 「そうそう!それに、風がいつも通りじゃなかったら、俺が心配するだろ?」 「何それ」 思わず吹き出してしまうと、そうやって笑ってろって、と言って私以上に笑った。 そのあと、リビングに戻るとしばらくして獄寺だけが部屋から出てきた。 「……空は?」 「泣き疲れて寝た」 帰ってきた時とは違い、普段通りに戻っている獄寺に、気づかれぬように安堵の息をつく。 「あれ?獄寺なんか赤くね?」 「なっ!?」 「あ、本当ね。何やったの?」 「な、なに、もっ!してねえよ!」 勢いよく顔を逸らす獄寺の顔は、耳まで真っ赤。隣の武を見れば、よくわかっていないのか獄寺の反応に首をかしげている。 「へえ、何も、ねえ?」 「な、なんだよ!」 「別に?何も言ってないわ。ねえ、武」 「ん?そうか?」 やっぱり首をかしげている武に笑う。本当にわかってないんだかどうなんだか…。 「お、俺のことはどうでもいいんだよ!それより空だろうが!」 「ああ、それなら木城さんに聞いた」 「あ?てめえあいつと知り合いなのかよ」 「バイトの先輩よ」 「ハッ、そうかよ」 鼻で笑った獄寺はさっきまでうろたえていたのがウソのように余裕たっぷりだった。彼が顔を赤くする理由なんて、なんとなく予想がつく。大方、空に何かしたか、無意識な空に何かされたかのどちらかだろう。 「で?赤かった理由は?あ、もしかしてキスでもしちゃった?」 からかい半分でそう問えば目を見開いて固まる獄寺。マンガのように徐々に赤くなっていく顔に逆に私のほうが固まってしまう。 「ハハッ!獄寺お前リンゴみたいになってるぜ?」 この際、武の天然発言はおいておこう。それより問題は…。 「………傷心相手に?信じらんない。つけこんだわけ?」 「な、何言ってやがる!んなんじゃねえ!」 「へえ、したことは否定しないのね?」 「あっ、ち、ちげえ!してねえ!俺はしてねえからな!」 「ふーん…」 「そんな軽蔑したような目でみてんじゃねえ!果たすぞ!」 「顔を真っ赤にした人間に凄まれても怖くないわよ」 あきれてため息をつけばさらに顔を赤くさせる獄寺。からかいがいがあるというか、初心(うぶ)すぎるというか。嘘つけないタイプよね。 「お前らも人のこと言えねえだろうが!」 「なっ!あれは武が!」 一瞬なんのことかわからかなかったけれど、すぐに思い浮かんだのは文化祭の劇。一気に顔に熱が集まるのを感じながら勢いに任せて立ち上がって抗議の声を上げていた。 「ん?何の話だ?」 「劇の時に、お前もキ、キスしてただろうが!」 「ああ!ハハッ懐かしいのな!」 「懐かしいって…、武ね…」 恥ずかしげもなく笑う武に頭を抱えたくなる。結局なんでキスされたのかわからないし。しかも、あれ私のファーストキスなのよ。あ、違ったっけ?確か海水浴の時がとか言っていた気がする。結局劇の余興で勢い余ってだと自己解釈して自身を納得させたんだけどね。 「ん?ってことは獄寺も空にキスしたのか?」 「んなっ!?」 形勢逆転というように勝ち誇った顔をしていた獄寺の表情が一気に崩れた瞬間だった。そんな二人のやりとりにあきれつつ、そのまま話を続行させる。だってこっちに戻されたらたまったもんじゃないもの。 「で?ご感想は?」 「…………んなもん…」 そのあとは何かをぶつぶつとつぶやいていたが聞こえなかった。というより聞く気がなかった。 「武、お風呂入ってきたら?」 「先にいいのか?」 「私は明日の下ごしらえがあるから、それが終わってから入るから」 「ん、わかった」 いまだに顔を真っ赤にさせ、何かをぶつぶつつぶやいている獄寺を無視して、武をお風呂へと送り出す。なぜか去り際に頭をなでられた。さっきのこともあってか、心臓がはねた気がした。 「って、てめえが聞いたんだろ!」 ようやく、私が聞いていないことに気付いたらしい獄寺につっこまれた。そのころにはすでに顔の赤みは引いていた。 ふてくされてタバコ吸ってくるといってベランダへと出ていく獄寺を見送る。とうとう自分の気持ちに気づいたらしい獄寺。これからが一番心配だ。彼らの間に挟まれる羽目になるのはあの子なのだから。まあ、結局はなるようにしかならないのだ。逆に、なるようになる。 ほぼ投げやりなそんな考えにたどり着いたところで、下ごしらえをするために立ち上がったら、まるでタイミングを見計らっていたように獄寺に声をかけられた。 彼のほうを見れば、私に背を向けて紫煙をくゆらせている。部屋明りに照らされた背中はどこかいつもより小さく見えた。 「………悪かったな。目、離して」 それが何に対しての謝罪かなんて十分にわかりきっている。背を向けられているため、彼が今どんな表情かわからない。 「俺は…、あいつを守れたはずだ…。俺が離れたりしなければ…。相模の野郎が空に何かしたのはわかってたんだ。あいつらが何かあったのかわかってたから、離れねえようにしてたのに…。俺はっ!」 よほど力が入っていたのか、手に持っていたタバコはぽきりとおられた。懺悔する獄寺の姿は先ほどの自分と重なる。 だから、余計に彼の気持ちが痛いほどわかる。 「俺が、ずっとそばにいてやればっ、あいつは…。あんな怖い思いしなくてすんだっつーのに…」 「…獄寺」 今は彼がどんな表情をしているのか簡単に想像がついた。 「…それ、ストーカーよ?」 「はあ!?」 怪訝な顔をしてこちらを振り返る獄寺は、私の発言に意表をつかれたせいかさっきまでの哀愁漂う感じは消え失せていた。 「だって、そうじゃない。四六時中一緒に?どこのストーカーよ。いや、変態?」 「テメエ…、人が真剣に話してるっつーのに」 「こっちだって真剣よ。空のそばにストーカーがいるなんてバレたら、おじさんたちに顔向けできないわ」 「今シリアスなシーンだっただろうが!話の腰おってんじゃねえよ!」 「あんたがシリアスなんて似合わないのよ。背中にキノコ生やすぐらいなら、もっと最善の方法を探しなさい」 「キノコってなんだよ…」 「どんよりしてると、背中にキノコが生えてくるのよ?知らないの?」 鼻で笑ってやると、獄寺からいつものように怒鳴り声が返ってくる。 「ついでに、毒キノコよ?ビアンキさんが喜ぶと思うわ」 彼の姉の名前を出すと、思い出したのか一気に顔色を悪くした獄寺。どうやら今でもトラウマは健在らしい。 「守るのは難しいのよ」 「あ?」 「守る人がいると強くなれるっていうけど、守るのはとても難しいわ」 獄寺は意味がわからにのか眉をしかめている。彼から視線をそらし、自分の手を見つめる。私にはなんの力もない。獄寺みたいに南先輩の暴挙を自分の手で止められるわけじゃない。 傷ついている心を救ってやることもできない。言葉をいくらつくしても所詮空虚に消えていくだけだ。私の言葉は、彼女には届かないだろう。 「口で言うのはこんなにも簡単なのにね」 「春日…」 「私には、何の力もないもの」 「…別に、喧嘩の強さだけで守るもんでもねえだろうが…。10代目は、そんなもんだけで仲間を守ろうなんてしてねえ…。それに、空はお前をちゃんと頼ってんだろ」 「うん、知ってる」 「…テメエな…」 「知ってるわ」 笑みを浮かべれば、あきれたように獄寺はため息をついた。もう何も言うまいと思ったのか、ポケットから再びタバコを取り出し口にくわえる。風よけに手を持っていき、ライターで火をつけた。彼の手元にオレンジの炎がともる。こうやってみていれば、彼はいっぱしの大人にしか見えないのに。 「獄寺」 「あ?まだあんのかよ」 「振り向かせたいなら男をあげなさい」 「あ?」 「突っかかっていくんじゃなくて、あの子の気持ちを一番に考えて行動しろっていってるの」 「……ああ」 「まあ、適当に頑張れば?」 「んだよ、その投げやりな言葉は」 「空を落とすのは大変よ?結構疎いから。特に自分に向けられる好意に対してはね」 「なっ!」 本日3度目、目を見開いて固まった獄寺に満足して、私は下ごしらえするためにキッチンへと足を運んだ。後ろで抗議の声をあげているが、それらをすべて無視する。 そのうち武がお風呂から上がってきて、いまだに顔を赤くしたまま怒鳴っている獄寺を見て元気だな!と満面の笑みを浮かべている武にあきれたのは言うまでもない。 「おい!いうんじゃねえぞ!わかったな!」 「あら、何を?」 「な、何をって…その…」 「まあ獄寺の行動しだいで考えておくわ」 不敵な笑みを浮かべてみせると、本日4度目。目を見開く獄寺を見て、そろそろ眼球が渇いちゃうんじゃないかと思う私だった。 |