求めるココロは誰の手に

静まりかえる室内。いつまでたっても来ることのない痛み。そして、何より、背中に回される誰かの腕と、嗅ぎなれた煙草の匂い。


ゆっくりと目を開けば、目の前でゆれる銀の鎖。ああ、彼だ。やっぱり、助けに来てくれたのだ。


そうわかった瞬間体全体から力が抜けた。途端、襲ってくる恐怖。無意識のうちにくる体の震えは止めようとしても止まらない。さっきまでは必死だったけど、怖かった。怖かったのだ。


「は、やと…」


隼人を見上げれば、彼は先輩を睨みあげていて、彼の手には先輩の拳が握られている。どうやら彼が受け止めたらしい。隼人の手は相当力が込められているらしく、手の甲に血管が浮き出ている。先輩も痛みに顔をゆがめているようだった。


あたしが隼人を呼べば、彼は先輩の方を注意しながら、あたしのほうを見てきた。眉間に寄せられたままのしわ。そんなにしわを作っていれば、いつか跡が出来てしまいそうだ。


「はや、と」


「ああ。遅くなったな」


その声音が今まで聞いた中で一番優しくて胸の奥に染み渡るようだった。


「………っ、ん…」


「空」


隼人があたしの名前を呼んだ瞬間、あたしはふわっ抱き上げられた。いつのまにか背中とひざ裏に腕を回されている。ちらっと見た先輩は、突然の隼人の登場に驚いているからなのか、目を見開いて立ちすくんでいる。


あたしは、隼人の肩あたりの服をつかんでそっとその胸に顔をうずめた。隼人のあたしを抱く力が少しだけ込められる。


「っ…空は俺のだっ!」


がくっ、と隼人の体が止まった。それが、先輩に腕をつかまれたからだとわかった。しかし、まるで先輩なんていないかのように、相変わらず隼人の視線はあたしのほうを向いたまま。


そして、先輩には何も言わずに再び歩き出す。


やっと、この部屋から出られる、と思ったら本当に安堵して、そっと目を閉じた。今はもう何も見たくなかった。何も考えたくない。この体全体に走る痛みも、震えも気づきたくない。


「空ちゃん…?」


「帰る。師範にいっとけ」


「え、ちょ、いったい何が…」


目を閉じたままだったけど、それが木城さんだとわかった。心配そうな声音だったけど、あたしは答える気にもなれずそのまま目をつむっていた。


隼人も答えることも止まることもせずにそのまま足を進めだした。


今は、何も考えなくていい。


ただ、この腕に身を任せていよう。


何も、気づきたくない。


何も―――





***

さっきの獄寺君の様子が気になった俺は、南たちが入って行った場所に足を戻し始めた。昨日の夜、部屋での南の様子が少しおかしかったことに気付いていた俺は、やはり、あのままいかせるべきではなかったか?と胸の中に渦巻く不安を大きくさせていた。


昨日の夜、南はどこか遠くを見つめて思い悩んでいるようだった。いつもなら、迷わず空ちゃんの部屋に行くはずなのに、電話から戻ってきたと思えば呆けている始末。


こっちが何を話しかけても空返事ばかりだ。獄寺君が返ってこないことから、この二人の間にまた何かあったのだろうと予想をつけていた。


まさかそこに空ちゃん自身もかかわっているとは考えていなかった。だから、今朝は驚いたものだった。二人が別々に座って食べているのだ。喧嘩でもしたのだろう、と二人の問題だといって問い詰めるようなことはいなかった。


そして、さっき見たときも、無理やり連れて行かれているわけではなさそうだったから、仲直りをするためだろうと思ったのだ。獄寺君の必死さを見るまでは。


たどり着いてみれば、中から獄寺君が空ちゃんを抱えて出てくるところだった。その抱えられている空ちゃんはひどい状態だった。殴られたであろう頬は痛々しく腫れているし、体は小刻みに震え獄寺君にしがみついている。


彼は俺の方を一瞥だけすると、通り過ぎる間際に帰るとだけ告げた。こっちに何があったのかを問いかける暇さえ与えず歩き去る獄寺君。


中をのぞけば、呆然とそこに立っている南の姿があった。


それえだけで理解できたような気がした。


なぜ、獄寺君があんなにも怒っていたか。


なぜ空ちゃんがあんなにも震えていたか。


なぜ、南が呆然と突っ立って追いかけないのか。


理解した瞬間、裏切られたような気持ちが湧き上がってくる。


南は俺の後輩で、男として、空手の選手として認めていた。空ちゃんを好きだという気持ちは傍から見れば丸わかりだし、空ちゃんも南に好意を寄せているようにみえていた。


南が空ちゃんのことがかかわると少し異常な部分があるのは知っていた。しかし、そこは深く考えなかった。


愛の深さゆえと片づけられる問題ではなくなっていたのに。


「南…」


「…木城さん…、俺…」


どこでこいつは道を踏み外したのだろう。あんなにも好いていた相手に暴力をふるうなんて。それも、南は男であることに加え空手の黒帯だ。


空手に限らず武道をしている者は、その力を私利私欲に使ってはならない。喧嘩にも使ってはいけないのだ。


湧き上がってくる怒りを抑えるためにぐっと奥歯を噛み締める。


俺はゆっくり南に近づく。


「何があった?」


「………」


「答えろ。南」


かたくなにこっちを見ない南の胸ぐらをつかんで引き寄せる。


「……昨日の夜のことが原因か?」


「…ただ、空に妬いてほしかっただけなんだ…」


ゆっくりと紡がれる言葉。その言葉が意味するところを、勘づいて愕然とした。


「…あの噂は本当だったのか」


「…そんなところまで回ってるの?ハッ…それじゃあ、空が知っていてもおかしくないか…」


自嘲したような笑みを浮かべた南。


ただ、妬いてほしかっただけ。振り向いてほしかっただけ。それをするためには加減を知らなければいけない。南は加減を間違えたんだ。


「…空が、俺から離れていくような気がして…。小さいころからずっと一緒だったのに、あいつに取られると思ったら目の前が真っ赤になった。頭に血が上って、気づいたら…」


手をあげていた。と呟いた南はどこか遠くを見つめているようだった。


「この手で…、空を…。守りたいのに、俺は…」


「…抑え、られなかったのか」


「空が悪いんだ。俺から離れようとするから。あいつなんかの方に行こうとするから…。相手があいつじゃなかったら、もっと、ましだったのに…」


それは、人として獄寺君のことを認めているということなのだろうか。彼の空手の実力は最近始めたとは思えないほど上達していて、今では南に引けを取らないだろう。もともと、素質もあったようだけど。


ライバルだからこそ見える、自分にはないところがあるから、うらやましくて人は劣等感に駆られるのだろう。


「……南、歯、喰いしばれ」


言葉にすると同時に、俺は握りこんだ拳を南の頬に打ち込んだ。


地面に力なく倒れる南を見て、俺は、殴った拳をゆっくりと下におろす。


「南、好きな女を振り向かせたいなら、つなぎとめたいなら、愛情を間違えちゃだめなんだよ。自分の、気持ちを押し付けるだけじゃ恋愛は成立しないんだ」


ゆっくりと言い聞かせるように話す俺。でも、俺がそんなことを言えた義理じゃない。だからこそ、思わず自嘲の笑みを浮かべていた。


「……頭冷やせ。もうすぐ師範と試合だろ」


「こんな状態で、できるわけ…」


「なら、空手なんてやめちまえ」


俺はそう吐き捨ててその部屋を後にした。


部屋を出ると、いつからそこにいたのか師範が壁に寄りかかっていた。そして俺が出てきたのを見て壁から背を離し、歩き出す。


「師範、空ちゃんたちは帰りました」


「そうか」


「選抜、どうするんです?南の奴」


「やり方は変わらないさ」


隣を歩く師範を見る。その表情からは考えをうかがい知ることはできなかった。


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あきゅろす。
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