空に追われて

今日から始まる空手の勉強合宿。毎年この季節に行われるコレは、秋の大会に出場するためには欠かせない合宿だったりする。実はこの合宿、勉強と並行して師範と一対一の一本勝負が一人ひとり決まった時間に行われるのだ。


あたしはいつもそれ目的で合宿を楽しみにしていた。


だから、この合宿をきっかけに貴方との関係にヒビが入るなんて、大きく距離が開いてしまうなんて思いもしなかったんだ。


今年は隼人も強制的に参加させて嫌な勉強は助けてもらおう、と単純に考えていたあたしは、彼を連れて行くことで自分がとんでもない目に合うだなんて、夢にも思わなかったの。


「隼人っ!はーやーとー!」


「…〜っ。何だよ、っるせぇな」


朝早く、まだ夢の中にいた隼を無理やり叩き起こし、布団をひっぺがした。


「はやく準備してよ!遅刻するじゃん!」


「はあ、何の話しだよ…」


大きなあくびをしながら、ガシガシと頭をかく隼人。


「だーかーらー、今日から空手の合宿だって昨日言ったでしょ!」


「はあっ!?聞いてねえよ!」


「言ったよ!」


「聞いてねえ!」


「ほら、早く準備して!遅刻したら、南先輩に怒られちゃう。罰則だってあるんだからね!」


最後に眠気覚ましにと隼人の背中に喝を入れて、準備をするために、部屋の中をあさりだす。うしろでは、背中を抑えて痛みに悶えている隼人がいるけど、そんなことより、あたしは合宿が楽しみで仕方なかった。


「チッ…たっく、なんだってんだよ…」


とかぶつくさ言いながらも、のそりと起き上がって準備をしはじめる隼人を見て、口角が上がる。


1時間後、準備を終えたあたしたちは、眠たげに部屋から出てきた風に見送られながら家を出た。







「今日から、ここで合宿だ」


やってきた場所は、毎年恒例の合宿場。中にはちゃんと、道場だってあるんだからすごいよね。


「30分休憩したらすぐに始めるから、最初の奴はそれまでに準備しとけよー」


師範の言葉に、きだるげな声で全員が返事をしてから、それぞれ割り振られた部屋えと入って行った。


ちなみに、女子は人数が少ないから、一人部屋をつかえたりする。


あたしが師範と勝負をするのは明日だから、今日は運動することはない。ということで、今日は一日勉強三昧ということになる。


こういうときこそ、隼人の出番だよね!ってことで、勉強道具をもって、隼人の部屋となっている場所に向かった。


男子は2人部屋か3人部屋になっていて、決める時にいなかった隼人は強制的に3人部屋になっていた。でも、相手は誰だか知らないんだけど。


ってことで、隼人の部屋に行ってみて、ドアをノックしようとすれば、いきなりあちらからドアが開いて危うく頭をぶつけるところだった。


「あれ?空?」


「へ?南先輩?」


「どうしたの?俺に会いに来てくれたの?」


「え、いや…、えっと、先輩ってここなんですか?」


「ああ、そうだよ」


「ここって、隼人も…」


「…………一緒だね」


今の間がとても気になるけど、先輩の背後が少し黒くなった気がして、聞くのはやめることにした。それにしても、先輩と隼人が一緒な部屋だなんて…。


「先輩、喧嘩しちゃダメですからね」


「俺を誰だと思ってるの?あんな奴相手にするわけないでしょ?」


にっこり微笑んでそういった先輩はかっこいいけど、言葉はちょっと怖いもので、思わず顔が引きつった。


「あ、そういえば、ここって3人部屋じゃないんですか?あと一人って…」


「ああ、木城さんだよ。まだ来てないけどね」


「え?そうなんですか?」


「遅れてくるらしい。大学の方で用事があるとからしいよ」


「へえ」


じゃあ、それまで隼人と南先輩が二人っきり?それって、なんか心配だなあ…。


「そういえば、空は師範と明日だっけ?」


「はいっ!先輩は、今日ですよね!頑張ってください!」


「うん。空が応援してくれるなら、俺、頑張れそうだよ」


「はいっ!頑張って応援します!」


意気込むあたしの頭を一撫でしてから、先輩は廊下を歩き出した。そのあと、そっと部屋をのぞいてみれば、不機嫌そうにベッドに横になっている隼人がいた。


「はーやーとー…」


小声で読んでみるも、返事はなし。どうやら、南先輩と同じ部屋になってしまって不貞腐れているらしい。


「隼人、いつまでも不貞腐れてないで、勉強しに行かなきゃいけないんだよー?」


「うっせえ。そういうてめえはあの女と一緒なのかよ」


あの女っていうのは、あたしともう一人の女の子の美穂のことだろうと思う。隼人が覚えているような女の子なんてそのこしかいないだろうしね。


「ううん。女子は人数が少ないから一人部屋だよ」


「はあ!?なんだよその扱いの差!」


「レディーファーストは外国じゃ当たり前でしょ?」


「ここは外国じゃねえ!日本だ!しかもそれはレディーファーストと関係ねえよ!」


「もう、ぐちぐち言ってないで、さっさと行くよ!」


隼人をなんとかせかして、勉強部屋へと行けば、そこにはすでに大半の人がそろっていて、みんな真剣に課題をしていた。これも終わらせないと、秋の大会に出させてもらえない可能性があるとかないとかで、みんな真剣なんだよね。


あいている席に、隼人とついて、あたしたちも勉強をし始めた。そうこうしている間にも、師範と勝負して終わった人が次の人を呼びに来ては、どんどん人が入れ替わって行った。







ひろびろとしたお風呂を満喫して、火照った体を冷やすために、テラスに出てみようと足を向けた。


肩にかかっているタオルが髪から垂れている滴を吸い取っていく。


火照った体は、まだ少し湿っていて洋服にわずかに張り付く感覚が気持ち悪くて、腕をまくった。


テラスが見えてきて、外に出ようとしたところでそこに先客がいることに気付く。誰だかはわからなかったけど、男の人の後ろ姿がそこにはあって、誰かと電話でもしているのか、彼の話声だけがかすかに耳に届いた。


その話声が、よく知っているものだったから、あたしは驚かしてみよう、といたずら心をうずかせてそっとテラスの方へと近寄った。


ようやく話し声が聞こえるところまできて、あたしは思わず足を止めた。


だって、その会話が…―――


「―――ああ、俺も、愛してるよ」


「えっ…」


まるで、恋人にいうようなセリフをその口から発しているのは、間違いなくあたしの彼氏である南先輩で、その甘さを含んだ声音が耳を刺激した。


なんで、どうして、どういうこと、そんなことしか浮かばない頭で、思わず声が漏れていた。


その声に気付いた南先輩が、勢いよく振り返ってあたしのことを認めると目を見開いた。


「!!…やあ、空。こんな時間にどうしたの?」


「あ、いや…、えっと」


なんで、どうして、そんな普通な会話をしているの?


「その、ちょっと風に当たろうかな…って思って…」


今の、電話の相手は誰?なんであたしじゃない人にそんな声で話しかけてるの?なんで、そんな言葉をささやくの?


「その、電話の邪魔して、ごめん、なさっ…」


なんで、なんで、なんでっ!


あたしは、最後まで言い切ることはできなくて、涙が溢れそうになって、でも泣いてしまったら認めることになるからそれが嫌でその場から逃げだした。


後ろから南先輩が呼び止めている声が聞こえたけど、追いかけてはこなかった。


「聞いた話では、先輩、空と付き合ってるのに女と遊んでるらしくて…」


ねえ、先輩。


「匠が、先輩がよく夜に電話してるって聞いたのよ」


なんで、こうなったのかな?


「他にも、先輩が夜中とかに女性と会ってどこかに行ったのを見たって言う人もいる。それが、一人や二人じゃ無いのよ」


どこで、あたしたちは間違ってしまったのかな?


ねえ、先輩―――…


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