結は綱吉の態度が気になり、考えてもわからないのだから直接聞きに行こうと思った。そして、綱吉の執務室の前まで来ていた。 ノックしようとした扉から綱吉の叫ぶような怒鳴るような声が聞こえてきて、思わず手を止めた。 「―――子は結ちゃんだ!リイナは死んだ!わかってるんだ!それでも、それでも、俺は」 泣き叫ぶようなその声は、扉越しにでも痛いほど彼の悲しみが伝わってくる。 でもどういうことだろうか。リイナは死んだ?じゃあいまここに立っているあたしは誰? 結ってなに?そんな人知らない。知らない。知らないっ! “―――” 男の人の声が聞こえた。何度も聞こえていた。この声を聞くたびに心が温かくなる。切なくなる。泣きたくなる。嬉しくなる。こんな感情、あたしは知らないはずなのに。 「俺はっ!」 いきなり扉が開いた。中から出てきたのはこの部屋に主である綱吉だった。結は呆然と立ち尽くすが、再び頭に声が聞こえた。懐かしい声だ。ずっと聞いていたい声だ。 心の奥で誰かが叫ぶ。助けてと叫ぶ。 「あ、…あたし…、私…」 「…思い、出した?」 その言葉が引き金となった。全てがはじけるように思いだされる。ああ、目の前にいるのは沢田綱吉なのだと理解する。 そして、ずっと耳に残っていたあの声は、あの人は、紅い瞳の彼は…。 綱吉の手が結に伸びてくる。頬にふれそうになったとき、リボーンが綱吉を呼んだ。そしてとまる手。それが合図となったように結は走り出していた。 ここにいてはいけないと思った。全て記憶は戻っていた。彼に、酷いことをしたのだ。一番裏切りを嫌っていた彼を裏切ったようなまねをしたのだ。 気づいたら外に出ていた。随分しなびてきたヒマワリの迷路。 まだ、彼の傍にいられるだろうか。心が、体がザンザスを求めていた。傍にいてほしかった。抱きしめてほしかった。名前を、結と、呼んでほしかった。 ポケットから取り出した携帯でザンザスに電話をかけた。知らせたくて、記憶が戻ったよっていいたくて、帰ってもいいか聞きたくて。 相手が電話に出る音が聞こえた。 『結か』 その言葉に、涙があふれた。この声だ。ずっと求めていた声だ。 言葉を発したくて、何か言わなきゃと思っても何も言葉が出てこなくて、嗚咽だけが漏れていく。 気づいたら電話を切っていた。そして、門前にいた使用人にいって車を出してもらい、リイナの眠る墓地まで足を運んだ。 なぜここに来たのかはわからなかったけれど、あの屋敷にいてはいけないと思った。 出会い方からして間違っていたのだ、と結は思う。 墓の前に立ち尽くす。 ポツン、と頬に雫が伝う。あれ、泣いているんだろうかと思えば、また一つ、また一つと滴が降ってきた。空を見上げれば分厚い灰色の雲。しかし、西の空は紅くそまり、雲の隙間から光を差し込んでいる。 ああ、夕立だ。と結はぼんやりと考えていた。その間に、雨はバケツをひっくり返したように雨脚を強くしていく。叩きつける雨はすぐさま結の髪を服を濡らしていく。おなじように濡れていく棺を見降ろしながら、結はただ立っていた。 ゆっくりと目を閉じる。耳を澄ます。雨が地面をたたく音が聞こえてくる。そして、車が止まる音がした。 「結」 ゆっくりと目を開ける。雨にぬれ顔にはりつく髪の隙間から、声がした方を見ると、同じようにずぶぬれになっているザンザスがいた。 「…ざん、ざす」 赤い瞳は変わらずまっすぐ見つめてくる。気づいたら抱きしめられていた。隙間もないほどにきつく、もう二度と離さないよ言うようにしっかりと。 「ざ、んざす。ザンザス。ザンザス!」 「結…。おせえ」 「うん。ごめん。ごめんね…」 結はザンザスの胸板に顔を埋めた。そして、思いっきり息を吸い込む。ザンザスの匂いが肺を満たし、その瞬間体の力がぬけるのを感じた。 「思いだしたのか」 「うん」 「裏切りやがって…」 その言葉に胸が締め付けられるような思いにかられながらもザンザスにさらに抱きついた。 「結」 名前を呼ばれ顔をあげるととたんに降ってくるキス。口内をむさぼるように這いまわる舌に翻弄されながら、結も控えめに舌を伸ばした。 すかさずからめとられるそれに、背中をぞくぞくとしたものが走り抜ける。足はガクガクしてきて、ふっと腰が抜けた。しかし、ザンザスが腕で結を支えた。 息が続かなくなり、ザンザスの背中をたたくとようやく離れていく彼。荒い息を繰り返しながら彼を見上げると、紅い瞳が細められた。そして瞼にキスをされる。 「テメエまで、俺を裏切るんじゃねえ。次はないと思え」 言葉はきついものいいなのに、頬を撫でる手はとても優しい。それに嬉しくなって、ザンザスの手に自分のソレを重ねてすりよった。 「…うらぎってないよ。不可抗力だもん」 ちょっと抵抗してみようと思って、ちらっとザンザスを見れば、一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに口角をあげ、ニヒルな笑みを浮かべる。 「ハッ、お前が逃げたからだろうが」 「だって…。逃げないと本当にリイナになっちゃいそうだったんだもん」 「俺のところに来い」 ザンザスが結を引き寄せた。雨はいつのまにか小ぶりになっている。 「ふふ、じゃあ次はそうするね」 「フン、次はねえよ」 俺のところに来いとか、かっこいいこといっておきながら、次はないって、とクスクス笑って何それと言えば、ザンザスが抱きしめる力を強めた。 「俺が離すと思うか?」 「…それもそうね」 「例え離れていったとしても、捕まえてやる。泣き叫んでも関係ねえ」 「ふふ、こわいなあ…」 怖いことをいっているのに、ザンザスが結の頭をなでる手はとても優しくて、その優しい手が泣きそうになるほど嬉しくて、その涙を隠すために結はさらにザンザスにだきついた。それにあわせるように彼も腕に少し力を込めた。 雨はいつのまにか上がり、雲の合間から夕日が顔をだした。 赤い紅い太陽。 ザンザスのほうをみると、その目が赤い夕陽に反射してさらに赤く光っていた。綺麗、と呟くと、唇にキスが降ってくる。それを受け入れ二人はしばらくそこにたたずんでいた。 「帰るぞ」 「うん」 歩き出すザンザスのあとをついていこうとするが、はた、と足を止めた結。それに気付いたザンザスが訝しげに振り返って結を見た。 しかし、結はリイナの墓を見降ろしていた。 「…もう、いいよね?貴女の代わりになるのは。もう…」 「結」 「うん。……さようなら」 リイナの方を見て、別れを告げた。きっともうここに来ることはないだろうと思った。来ようとは思わないだろうと思った。 歩き出したザンザスに連れられ、結はようやくヴァリアーへと帰った。 |