そのころ、全員が屋敷にいるのにこれから商談だと言うことで一人でいることを告げられた結は久しぶりの静かな時間を少し寂しく感じながらも堪能していた。 メイドが気を利かせて水差しと、紅茶に焼き菓子を用意してくれたので、天気もいいし風もあるからテラスでお茶をしようと思って、テラスに出てきていた。 ついでに、ザンザスの部屋にあった日本語の本も手にしている。 しばらくその状態で本を呼んでいると、カツカツと屋敷内ではあまり聞き慣れない音がして、ふと顔をあげた。そして、屋敷の中を覗けば、こちらに歩いてくる一目見て分かるお嬢様がいる。 お嬢様って初めて見た。と感動していると、その人と結の目があった。その瞬間鋭く睨まれる。何もした覚えのない結は首をかしげた。 それ以前にこの人は誰だろう、と。 マフィアがくるとは聞いていたが、その中に女がいるなんて思ってなかったのだ。しかも、派手なスリットの入った煌びやかなドレスを着ている女性だ。 ブロンドの髪はゆるく捲かれている。 その女性はまっすぐに結の方にくると、結を上から下まで値踏みするように見た。その視線の居心地の悪さにわずかに眉を寄せる結。 「……貴女が、ザンザス様の噂の女?」 口を開いたかと思えば、流暢な日本語が飛び出て来て、結は目を見張った。まさか日本語で話しかけられるとは思っていなかったのだ。 「…日本語お上手ですね」 「質問に答えなさい。貴女なんかがザンザス様と噂になっている女なの?」 メイクをしているせいか、睨む目に迫力がある。以前の結ならその恐ろしさに首をすくませていただろうが、如何せんここにはそれ以上に怖い人たちがいるのだ。 「噂がどういうものかは知りませんが、」 ザンザスとは付き合ってますと言おうとして止まった言葉。それは言ってもいいのだろうか、と言う疑問が出たからだ。ここで言ってしまってどういった経路で綱吉の耳に入るかわからない。それほどまでに噂の広まりかたとは恐ろしいのだ。 しかし、それだけの言葉で理解した女は、目くじらを立てる。 「アンタみたいな貧相な女がザンザス様の女ですって!?思い上がりも大概にしてほしいわ!」 突然ヒステリックに叫び出した女に驚く結。 「えっと…?」 「ザンザス様は、私のものよ!私の方が隣に立つのにふさわしいわ!」 「……ザンザスは物じゃないですよ」 「そんなこと言ってるんじゃないわよ!ザンザス様はね、前のパーティーの時に私のことをじっと見ていたのよ!あの視線は間違いなく私を求めていたわ!」 声高らかに話す女の言葉。 そのパーティーは、結とあったその夜に開かれたもので、ザンザスはずっと結の存在のことを考えていたのだ。あの目があった瞬間の熱情を思い出していた。その際に、少しボーっとしていたとき、その視線の先にいたのがたまたまアーシアだったのだ。もちろんザンザスの目にはこれっぽっちも映っていないし、そのあと紹介に行ったのだろうが、それすら聞いていない。 ヒステリックな女を初めて見るせいか、結はその言葉に怯むより先に若干引いていた。それぐらい恍惚とした表情をして、まさに夢見る乙女な顔をしているのだ。 その顔が、一瞬のうちに般若のようになる。 「なのに、貴女がザンザス様の女ですって!?勘違いも甚だしい!」 「えっと、つまり、貴女はザンザスが好きで、ザンザスとはそのパーティーで目が会って、求められてるっぽくて…?」 ザンザスが求めている表情ってどんなんだろう、と結は思考を巡らせた。 「そうよ!だから、貴女は邪魔なの!お・わ・か・り!?」 「…でも、私もザンザスが好きだし、ザンザスが私の手を取ってくれるなら私が身を引くことはありません」 急に強いまなざしを向ける結に驚くと同時にアーシアの胸中にはどす黒い感情が渦巻いていた。ゆがんだ表情をみて、嫉妬というより、自分のおもちゃをとられて駄々をこねている子供のようだと結は感じていた。 結は、別に彼女を邪魔だとはいっていないし、身を引けともいっていなかった。ただ、ザンザス次第だと言ったのだ。それなのに、悔しそうに顔をゆがめる女を見て、逆上しそうだなと客観的に見ていた。 「ふざけんじゃないわよ!アンタなんか、こんな綺麗な服も宝石も着こなせないわ!」 ああ、それは確かに、と妙に納得してしまった結は、他から見たら呑気に見えるだろう。ただ、そこまでこの女の存在を重視していなかったのだ。ザンザスが自分を愛してくれているのは知っていたし、結もザンザスが好きだった。それで充分だと思っているのだ。そう言ったら、ザンザスはもっと欲しがれとでも言うのだろうけど。 それに、結は今の状況をどこか楽しんでいた。現在進行形で退屈していたし、ザンザス達は商談がまだ終わらないようだし、危害を加えられないなら、この人とくだらない論争を繰り広げるのもいいかもしれないと思っていたのだ。 「そうね。貴方みたいな人に、そんな服は似あわないわ」 急に静かな口調になったとおもって、これからどうしようかと考えていた結は顔をあげた。と思ったら、いきなり頭の上から水が降ってくる。それは、テーブルに置いてあった水差しで、結の頭上でそれをひっくり返しているのはアーシアだ。 勢いよく頭からかけられる水にあちゃー、とどこか客観的に見ている結。 「ふふっ、お似合いね」 抵抗の一つもしない結を見て愉快そうに笑い声を立てるアーシア。 そして、その水差しを机に戻すことなく、地面に落とすと割ってしまった。その行動には驚いた結が立ち上がる。割れた破片を拾い、ニヤリと笑って見せるアーシア。何をする気なのか、と身構えていると予想外にアーシアはその破片を自身の腕に滑らせた。 「なっ!」 「キャアアアアッ!」 いきなり叫びごえをあげ、尻もちをつくアーシアに、呆然と突っ立っている水浸しの結。結の服からも、髪からも水がぽたぽたと地面に落ち、水たまりを大きくしていく。 「う゛お゛おぉい!大丈夫かあ!?」 途中部下により足止めを食らわされていたスクアーロがたどり着いた時には、アーシアが腕から血を流し、悲鳴を上げたところだった。 おびえているように震えているアーシアと、それをただ呆然と見ているずぶぬれの結。 アーシアは、してやったりと言うようにわずかに微笑むと、駆け込んできたスクアーロに縋りついた。 「こ、この人がっ!い、いきなり水をかけようとして、それでっ、抵抗したら、この人に、かかって、しまって…っ。それに逆上して、水差しの破片を、私にっ!」 震える声と震える体で縋りつかれたスクアーロは心底うんざりした様子でアーシアを見ていた。そのまま結に視線を移せば、若干気まずげに頬を掻いている。 「チッ、離れろ」 思ったよりも低い声が出た。縋りついている女を引き離すと、そのまま体を回転させて結に向き直る。水をかぶり、顔にかかっている髪をどけて外傷がないか目を走らせる。 「大丈夫かあ?」 「あ、うん。それはもう。暑かったから水浴びしたと思えばそんなものよ」 「う゛お゛おぉい…、頼むから避けるなり抵抗してくれえ。こっちの命があぶねえ」 「でも、抵抗したらさらに逆上されるかなって思ったのと、気づいたらもうかけられてたから、もういいかなって。それに、昼ドラみたいでおもしろいでしょう?」 あっけからんとしている結をみて、妙なところで肝が据わっていると感心するが、もっと危機感をもってくれないと本当にわが身があぶないと危惧した。 ひとまず、外傷がないことだけでも安堵するべきところだが、これだけ女が騒ぎ立てているのだ。こちらもおとがめなしでは済まないだろう。今日はどこかに逃げようか、と思考を巡らすスクアーロの耳に、アーシアのヒステリックな声が響いた。 「どうしてそんな女の心配をするんですの!?」 「ハッ、俺がお前を心配すると思うかあ!?だいたい、どうせそれも自作自演だろ。切られたにしちゃあ、傷が浅いぜえ」 鼻で笑うスクアーロを見て、結はもう一度女の腕の傷を見た。切った場所からか、結構血がでている。それなのに、見ただけで傷が浅いとか判るものなのか、と思ったのだ。結自身は見ただけでそれがどれくらいの傷なのか判断できなかった。 とりあえず血が結構出てるから早く止血しなきゃと思うぐらいで。 「あれ?スクアーロ、商談はいいの?」 「この女が出ていったからなあ。ザンザスが護衛につけたんだあ」 「ふふ、別に大丈夫だったのに」 「んなわけにもいかねえだろお!現にこんなことになってんじゃねえかあ」 「あー、そうだね。われちゃったから謝らないと」 頼むから自分の身を案じてくれえと頭を抱えたくなったスクアーロだった。 「ふ、ふざけないで!こんなのって無いわ!商談は破談にしてもらうから!」 「……お前みたいな小娘に何ができるってんだあ!それ以上減らず口叩くなら三枚におろすぞお!」 途端に、視線を鋭くさせ、殺気を飛ばすスクアーロ。初めてまともに、プロの暗殺者でさえ腰を抜かすような殺気を浴びて、アーシアがたっていられるはずもなくそこにへたりこんだ。 「スクアーロ。殺気怖いって」 「ああ、悪いなあ」 「それに、こういうのは女の問題だから、男が出てきたら余計にややこしくなるのよ?」 「どうするつもりだあ?」 「怒られたら、かばってね。スクアーロ」 ニッコリと普段あまりしない笑みを見せた結を見て、何をする気だと眉をひそめていると、徐にテーブルの上にある紅茶のポットを手に取った。まさか、と思っていると、そのポットを手にしままアーシアに近づいていく結。 「な、なによっ!」 「貴女、その色似あわないわ。だから、私が似あうようにしてあげる」 今からすることなんてみじんも感じさせないような無邪気な笑みを見せる結。その表情はスクアーロには見えなかったものの、女が顔をひきつらせたのは分かった。 「や…いやっ」 おびえたようにわずかに後ずさっていく女に、結は持っていたポットを女の上にかざす。さっきのスクアーロの殺気で腰が抜けたのか、立ち上がることはできないようだった。 「や、やめ…て…っ、や、火傷するわっ!」 「どうして?お似合いにしてあげるのに?」 ハハッ、と笑う結はどちらかというとリイナのように見える。アーシアは顔をひきつらせ、いつ降ってくるかわからないそれに目をぎゅっと閉じた。 「3・2・1」 無情にも響くカウントダウン。そして、ジャバーという結の声に、さらにギュッと目を閉じるも、いつまでたっても熱い紅茶は降ってこない。恐る恐る目を開けて上を見れば、ポットのふたは開いているのに、中身は空だった。 「あら、無かったみたい。残念ね?」 ポットをゆらゆら揺らし、忍び笑いをもらす結に、スクアーロはぞくぞくしたものが背中を駆け抜けた。笑いだしたい気分だった。愉快すぎる。 |