そのあとしばらくは、向かい合ってお互いのことを話していた。お互いのことといっても、ほとんどは結が一方的に話していて、それをザンザスはテキーラ片手にたまに相槌をうちながら話しを聞いているというものだった。 しかし、結にはそれで満足だった。 その話しの中で、結が異世界から来たっぽいこと、リイナになりきっていた理由、この世界のことが漫画だったことなども全て話した。 本当は、漫画だったことは言わないでおこうと思っていたのだ。なぜなら、他人が自分の過去の大半を知っているなんて知ったら、良い気はしないはずだから。 なのに彼は、なぜ異世界だと分かった。と、かなり的を得た質問をしてくるものだから、焦ってしまった。そのせいで、洗いざらい吐かされたと言う訳だ。 「ハッ、くだらねえ」 漫画の話しをし終わった後の彼の第一声はそれだった。ブハッと吹き出すようにして笑うから、思わずきょとんとしてしまう。漫画で彼の笑み(というにはあまりにも凶悪だが)をみたことがあったけど、まさか現実で見れるとは思わなかったのだ。 「まだ、マンガの中だと思ってんのか?」 「んー…、異世界に来たとは思ってるけど、でも、私のいた世界でここが漫画だったってだけで、もしかしたらここにも私の世界の漫画があるかもしれないでしょう?だったら、やっぱりこれは現実なんだと…。あれ?言ってる意味わかる?」 だんだん何を言っているのかわからなくなってきているのだけど、とりあえず言いたいことは、ここにいる彼は本当に存在しているのだと言うこと。そうじゃなかったら、マンガの登場人物に恋したことになってしまう。いや、それについてはどっちにしても変わらないか。 「ああ」 返事はそれだけだったけど、それだけで十分だった。言いたいことを分かってくれて、理解だってしてくれている。 同意を求めたいわけでも反対を求めたいわけでもないのだ。 嬉しくて笑みがこぼれた。 「何がおかしい」 「ううん。なんでもない」 クスクスと笑みを漏らせば、彼もふっと雰囲気を柔らかくする。それが優しいものだから嬉しくなって、微笑んだ。穏やかだった。 自然体でいられる唯一の居場所なのだろう。 ああ、でも、問題は山積みなのだ。どれ一つ解決なんてしていない。逃げているととられてもおかしくない行動なのだろう。 ここにいつまでもいるわけにはいかない。それでも、ずっとここにいることを望んでしまうんだ。 「何を考えてる」 「ん…、これから、どうすればいいのかなって…」 「俺の傍にいろ」 「…そうしたいのは山々だけど、おに…、沢田さんが許してくれないでしょう?あれだけザンザスに会わせるのも避けてたぐらいだし」 「説得しろ」 「えー、ザンザスはしてくれないの?」 「ざけんな」 「一緒にいたくない?」 あまりにも非協力的だったからちょっと意地悪い質問をしてみた。彼の顔を覗き込むようにしてそう問えば、わずかに開かれた目。そして、しばらく見つめ合った後、カスが、とそっぽを向いてしまった。 こうやって下からのぞきこむのはリイナの癖だったな。苦笑する。 未だに顔をそむけたままのザンザスをみて、少し悪戯がすぎてしまったようだ。もともと、ザンザスが素直に言うなんて想像できないから、答えが返ってくるともおもっていなかった。まあ、言葉にしてほしかったというのは本当だったのだが。 苦笑をこぼして、意地悪してごめんと謝れば、再び視線が絡み合った。しかも、彼は無言なものだから、何を考えているのかよくわからない。もしかして怒らせちゃったのかもと思い始めた時、いきなり伸びてきた手。それが後頭部に回ったかと思えば、ぐいっと彼の方に引き寄せられ、そして唇に温もりが触れた。 「んっ…」 触れるだけですぐに離れていったそれ。少し名残惜しく見送れば、彼の指が私の唇をなぞった。 「物足りねえか?」 「っ!ば、馬鹿っ!」 赤くなる顔に彼は喉の奥で笑った。それがまたかっこよくて…ってああ、なんでのろけてるんだか。 未だにくつくつと笑うザンザス。もう、なんだと言うんだ。というか、もともと男性への免疫が少ない結には彼の妖艶な雰囲気は刺激が強すぎた。 「慣れてねえな」 「あ、当り前でしょ!か、彼氏がいたこと…、ないし」 「そうか」 そうつぶやいた彼が妙に嬉しそうな雰囲気だったので、首をかしげる。 どうせ、ザンザスは愛人とかたくさんいるのだろう。強面だということを抜きにすれば、顔は整っているのだ。しかも、歳をとったせいか随分大人の余裕とか色気とかが出ている。 そうなると、いつか修羅場を体験することになるのだろうか?と結は考えた。一度でいいからドラマのようなドロドロの修羅場というものを体験したいと思っていたのだ。そのことを友人に話せば、馬鹿じゃないのと一躍されてしまったが。 まあ、ドラマの見過ぎだと言われてしまえばそれまでだが、ああいうのはやはり第三者視点から見てこそ楽しめるものなのだろう。 ザンザスは、そうかといったっきり黙り込んでしまった。どうやら何かを考えているらしいんだけど、あまり良いことではないような気がするのはなぜだろう。ほら、貞操の危機、みたいな? さっさと話題を変えてしまおうと思って口を開こうとした瞬間、彼がはっとなって顔をあげた。それと同時に扉がバタンと音を立てて開く。私の後ろにあった扉。音的にドアの蝶番(ちょうつがい)がはずれるんじゃないかと思うほどだった。 驚いて振り返ると、そこには額に炎を灯し、死ぬ気モードとなった綱吉がいた。彼の姿を認めた瞬間、思わず立ち上がっていた。 彼は、結を一目見るとすぐに近寄ってきた。そして、ザンザスの方をキッと睨む。 「リイナをなんでさらった」 「ハッ、人聞きのわりいこと言ってんじゃねえよ」 「ザンザス!」 珍しく声を荒げる綱吉。そして、彼は結の手をとるとぐいっと引っ張った。ソファーとローテーブルの間に立っていたことと、突然引っ張られたことに反応しきれず、足がよろけ彼の方へ倒れこむ。 「あ、ごめ―――」 「リイナ。帰るぞ」 ドクンっ、と心臓が脈打った。甘さななんてかけらもなく、嫌な汗が背中を伝う。リイナ。そうだ。私はリイナだ。彼の前で、リイナに、ならなければいけないんだ。 「そいつは置いてけ」 「リイナがお前を怖がってたの覚えてるはずだろ」 「フン、そんな奴覚えてねえよ」 「…どういう意味だ」 彼に未だに腕を取られながら、客観的にこの会話を聞いていた。それはいま、結に戻っているからなのだが。それにしても、10年の月日で人は変わるものだ。あの睨まれただけで腰を抜かしていたような綱吉が、今ザンザス相手に言い返しているのだから。 それにしても、死ぬ気モードの綱吉を間近で見たのは初めてだった。ふだんとは違い、低い声とクールな装いは、まるで別人だった。 一度深呼吸をして、リイナの表情を思い浮かべる。握りこんだ拳が痛かった。 「お、お兄ちゃん!」 声をあげた。それに言い合いをしていた綱吉が動きを止めてリイナを見る。 笑顔を作る。リイナの笑顔。口角をあげ、少し目じりをさげて、ニパッと笑う。元気な女の子。シュウという音を立てて、綱吉の額からゆっくりと炎が消えていった。 「あたし、しばらくここにいちゃ、だめかなー?」 「なっ!何言ってんだよ!ヴァリアーだぞ!?」 「ここにいたら、思い出せそうなの!」 綱吉を見ないようにして叫ぶ。思い出していないことがあるはずだ。それは、誰も口にしなかったこと。リング争奪戦のこと。それとヴァリアーのこと。きっとそれは、リイナにとって嫌な思い出だったのだろう。彼らは一切それには触れなかった。 ただ、知っているのだ。 知らされることの無い過去に何があったのか。もちろん、その舞台にリイナの存在はないのだけれど。 「思い、だせそうなの」 胸が、張り裂けそうだ。こんなにも、リイナとなることは大変だっただろうか。前はもっと簡単に、リイナになることができていたはずなのに。 渇いている唇を少し舐める。逸らしそうになる目を食い止めて、綱吉の鷲色の瞳を見つめた。 「思い出せそうって…、何が…」 「お兄ちゃん達が、話そうとしないあたしの過去」 「思い出さなくていい!」 「思い出せって言ったのはお兄ちゃんでしょ!…つらい記憶だから、思い出さなくていいって言ってるのは分かってる。分かってるけど、その記憶もあって、あたしでしょう?その時に体験したこともあって、あたしが成り立ってるんだよ」 「そんなの…」 「お願い」 今、自分はリイナになりきれているのだろうか。自信がなかった。目の前にいる綱吉の目に、自分はどのように映っているのだろうか。 「…わかった。でも!…つらくなったりしたら、いつでも帰ってきていいんだからな?」 笑え、笑え。リイナ。リイナ。笑え。笑え。 「うんっ。ありがとーっ!」 笑えない。笑えないよ。もう、あんなふうに笑えないよ。少し憧れでもあったんだ。あんなふうに周りを明るくする笑い方。周りも一緒に笑顔にさせるような笑い方。 ただ、それをするのは柄じゃなかったし、憧れだけで、できるとも思っていなかった。前の世界でもリイナのように笑えていたら、親に少しでも安心感を与えることはできたのだろうか。 「う゛お゛おぉい!沢田あ!勝手に入っていくんじゃねえ!」 「あ、スクアーロ」 「さっさと出て行きやがれえ!」 「言われなくても、もう出ていくって。あ、リイナをさらったから、減俸しとくから」 「はあっ!?ちょっと待てえ!あれは、ボスの命令だぞお!?」 「なんとでも。じゃあ、俺は行くね。リイナ」 「うん。ありがとう、お兄ちゃん」 ニパッ、と笑えば彼はあたしの頭を一撫でして出ていった。バタン、と扉が閉まる。スクアーロは未だに、減俸という言葉が効いているのか、ぶつぶつと文句を言っていた。 「結」 ああ、上手く笑えていたようだ。なんて皮肉なことだろう。リイナになることが嫌で、自分を取り戻したくて、ここにいたいと、ザンザスの傍にいたいと願ったのに。リイナとなって彼を説得するしかないなんて。 「結」 「あ、な、何?」 「その笑い方やめろ」 「…笑い方、抜けてない?」 「気色悪い」 「酷い…」 酷い言い草だけど、その言い合いがたまらなく結をほっとさせた。ようやく張り付けていた笑みが取れる。 「う゛お゛おぉい…。随分と沢田がいるときと雰囲気が変わってねえかあ?」 「…こっちが、本物ですね」 苦笑しながら答えると、スクアーロが何か反応する前に、結の目の前を何かがものすごいスピードで過ぎ去っていった。そして、それはスクアーロに直撃。 そして、壊れたのはスクアーロの額ではなくグラスの方。スクアーロはお酒をかぶるだけで無傷だった。あれも、10年来の耐性と言うやつだろうか。昔からずっとああやって物を投げられていたら額も硬くなるということだろう。 それにしても、ザンザスの命中率は半端じゃないと思う。まるで吸い込まれるようにスクアーロのもとにグラスが飛んでいくのだ。 「う゛お゛おぉぉい!いきなり投げるんじゃねえ!くそボスがあ!」 「カス鮫の分際で気易く話しかけてんじゃねえ」 「はあ!?」 「こいつは俺の女だ」 「こいつって……、沢田の妹じゃねえのかあ?」 さっきアイツが言ってたじゃねえかあって、彼は未だに驚いたように言った。どうやら直接的にはリイナを知らないらしく、それはとてもありがたい気がする。 「いえ…、まあちょっと複雑なんですけど…」 思わず口をはさむと、誰かに口を覆われた。驚いて上を見上げると、それはやっぱりザンザスだった。彼の名前を呼ぶも、それは手に遮られてもごもごとした声にしかならなかった。 「お前もカス鮫なんか相手にするな」 これは、なんというか嫉妬、してるんだろうか。どこか拗ねたような雰囲気を出す彼。いかつい顔をしてるくせに、なんだかかわいいと思ってしまったのは重傷だろう。 「行くぞ」 ようやく口から手を放されたかと思えば、腕を取られて部屋を出ていく。 「え、行くって!?」 「あいつらに会わせる」 あいつらって、つまり幹部の人たちだろうか?幹部って言えば、モヒカンオカマのルッスーリアに、ティアラのせた王子のベルフェゴール、アルコバレーノにして赤ん坊のマーモンに、ザンザス命のレヴィなんとか。それとさっきの彼、スクアーロだったはずだ。10年たてば、そのメンバーも変わっているのかもしれないけど。 「幹部の連中は知ってんのか」 「えっと、うん。10年前と同じなら、知ってるかな」 私が知っている原作は、リング争奪戦のところまでだ。アレが終わり、次がよくわからない状態で漫画は終わっていた。続きを楽しみに待っていたと言うのに、気づいたら、原作の中なんだからびっくりだ。それも、全員立派に大人になっている。 「…マーモンはいねえ」 「え?」 それ以上彼は何も言わなかった。アルコバレーノのマーモン。アルコバレーノの間ではバイパーだったかな。いないということは、死んだということだろうか。アルコバレーノが?わからないけど、もしかしたら、リング争奪戦の後に殺したんだろうか。 ここは暗殺部隊だ。何が起こってもおかしくないだろうし、いつ死んでもおかしくないような仕事をしているのだ。いつか、彼も任務にいって帰ってこなくなるのだろうか。 「結?」 無意識のうちに、つないでいた手に力を込めていたらしい。それに気付いて慌てて力を抜けば、今度は彼にぎゅうと力を込められた。 「ザンザス?」 「何考えてた」 「え、いや、なんでも」 「言え」 繋がれた手は痛くない程度に力加減されている。ザンザスはきっと自分の力を熟知しているから、結が手を痛めない程度の力加減を知っているのだろう。 赤い瞳は、話しをそらすことを許さない。この赤い瞳に見つめられれば、誤魔化すことなんてできなかった。 「…ただ…。ただ、いつか、ザンザスも…」 「ハッ、くだらねえな」 鼻で笑い飛ばすザンザス。確かに、ヴァリアーのボスだし、強いのは十分分かっている。しかし、こんな生業をしているのだ。いつ何が起こってもおかしくないだろう。そう思って、結は唇を尖らせた。 「くだらなくなんてないよ…」 「俺がそう簡単にくたばると思うか?」 「そうだけど…。だって、わからないでしょう?」 「なら、約束してやる」 「やく、そく?」 ザンザスから、約束なんて言葉が出てくるとは思わなかった。 「俺は、必ず結のところに帰ってくる」 「絶対?」 「ああ」 「生きて?」 「当り前だろ」 「約束、だよ?」 小指を差し出せば、ああ?と首を傾げられた。指きりを知らないのか?と思い、彼のつないでいた手の小指を出させて小指を握る。私のそれより太くて、絡めば大人と子供のようだった。いや、実際にそうなんだけど。 「指きりげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った!」 「ぶはっ!怖い約束だな」 「約束破ったら、針千本飲んでもらうからね」 「覚えておく」 ふふ、と自然に笑みがこぼれた。嬉しくて、嬉しくて笑っていれば、彼は何を思ったのか、キスをしてきた。それは触れるような軽いものだった。 それが、なんだかくすぐったくて、笑みをこぼすとザンザスは頬に一つキスをして、再び歩き出した。 |