14:That I never have seen

あの日から、リイナは庭に出ることが多くなった。その理由はリイナ自身気づいていても気づかないふりをしていた。
赤い瞳を思い出すたびに胸の奥が疼く。その疼きが心地よくもあり、また苦しくもあった。


自分の心の中に芽生えている感情に苦笑する。何を考えているのか。たった数秒だ。一分にも満たない間。出会いというにはあまりにも早すぎる時間の中で、何が芽生えると言うのか。


自嘲の笑みをこぼした。その笑い方はあまりにもリイナのそれとは離れているとわかっていながら、こぼさずにはいられない。一度外れた箍(たが)はそう簡単には元に戻せないのだ。


結が顔を出してくる。それがいいことなのかわるいことなのか…。


「悪いに、決まってるじゃん…、ねー…」


あまりにも弱々しい声がヒマワリ畑に落とされた。それは地面へと深くのめり込み、誰の目にもとまらぬ地中深くへと沈んでしまう。


「あーあ、何やってんだか。あたしはリイナ。沢田リイナだよ」


胸の奥が痛む。
目の奥が熱くなる。


どうしてくれよう。この持て余している感情を。どうしよう。どうしようどうしよう。
どうすればいいのだろう。この感情はリイナでいるには邪魔すぎる。このままでは、彼らに見破られるのも時間の問題だろう。そうなってしまえば一番困るのは自分なのだ。そう分かっていても、結はこの感情を封じ込める術を知らなかった。


「う゛お゛おぉおい!」


突如、背後から聞こえてきた声に肩を震わせる。驚いて振り返ると、そこには長い脚を大股にしてずかずかと近寄ってくるスクアーロがいた。銀髪が、太陽に反射してきらりと光っている。
ザンザスのときも、ひまわりと似合わないと思ったが、彼もまた似あわない。それは黒い隊服を着ているということもあるんだろうけど、どうも彼らが持つ雰囲気はこの場になじんでいないようだ。


「え、あ、え!?」


「テメエが、この前ボスさんとあったって奴かあ?」


「え?ぼ、ボスさん?」


首をかしげる。挙動不審なのは素だ。なぜいきなり彼の登場?綱吉は、今日来客があるなんて言ってなかったはずだ。それに、ヴァリアーの人が来るなら絶対に忠告を受けていたはずなのに。


「な、なんで、貴方が?」


「質問してんのはこっちだあ!ザンザスにあった奴だな?」


もともと鋭い目つきと言うものもあり、結構近い距離にいる彼はとても怖いと思った。それより、さっきいっていたボスというのはザンザスのことなのか。とどこか冷静に事を見ている自分が判断する。


「あ、はい。えっと、ここで?」


頭の上にクエスチョンマークをたくさん浮かべながらもなんとか言葉を返す。すると、彼は眉間のしわをより一層深くさせた。なんだか、不穏な雰囲気に、もしかして命の危険?とわずかに体を固くする。


「なら話しは速い。しばらく眠っててもらうぞお!」


なんの話しなのか理解できるはずもなく、というより問い返す暇も与えず彼は目にもとまらぬスピードで近くに立ったかと思うと首に衝撃が走った。そして、薄れていく視界。


見えたのは、風になびく彼の銀髪と黄色いヒマワリの花びらだった。






パリーンという甲高い音。それに続く怒声。そのうるささに思わず眉を寄せた。ゆっくりと浮上していく意識の中で、いったい何がどうなってるんだっけ。というか誰だ?と意味のわからない疑問を浮かべてみる。
でも、それは目を開けた瞬間に問題は解決した。


赤い液体を額から流す銀髪の男。そして、顎から伝う赤い液体は、彼のワイシャツをピンクに染めていた。赤ワインか何かなのだろう。一見スプラッタな惨状に見える。というか、その床に散らばっているガラスの破片、の時点で、既にあぶない場面なのかもしれない。


どこか冷静な頭でそんなことを考えながら体を起き上がらせた。


とたん、首裏がズキン、と鈍く痛み思わずそこを抑えて呻く。それにいち早く察知したらしい誰かが近寄ってきて、その首裏に当てている手に手を重ねてきた。その手の温かいこと。
顔を上げればかなり近くにある顔に、思わず身を固まらせた。叫ばなかったことをほめてほしいと思う。


「起きたか」


「え、」


「痛むか」


「あ、」


「カス鮫」


「へ?」


彼は未だに首に手を当てたまま、ワイシャツの袖で顔を拭いているスクアーロに声をかける。それに動きを止めて顔をあげた彼は、一度溜息をつくと出ていった。アイコンタクトと言うやつだろうか。この場合、すごいのはスクアーロだろう。


「痛むのか」


未だに状況把握がしきれておらず、だんだん非現実的な雰囲気に思考がストップしかけてきた。キャパシティオーバーだ。もともとそんなに容量が多いわけではない。


「あ、だい、じょう、ぶ…、です」


壊れたロボットのような口調になってしまったけど、なんとか返した。
彼は、それを聞いてか、首を一度軽く撫でるように手を動かした後、離れていった。


「あの、なんで…?」


「カス鮫に連れてこさせた」


「え、」


つまり、攫われたと解釈していいのだろうか。
ようやくゆっくりと起動し始める頭。内容量が多くなりすぎて動きの鈍くなったパソコンのように遅い。


「なんで…」


「前は邪魔が入った。ここなら邪魔も入らねえ」


「そっか…」


端的な物言いだけど、前というのはつまり初対面の時で、邪魔というのは綱吉のことなのだろう。もしかしたらスクアーロも邪魔に入っているのかもしれないけど。


座っていたベッドで居住まいを正す。彼はソファーにふんぞりかえるように座っていた。長い脚は、ローテーブルの上に乗せられている。行儀が悪いその行動も彼を引き立てる要因にしかなっていない。


「ねえ、どうして、あの時あたしはリイナだっていったのに、違うっていったの?」


「…ちげえだろうが」


「いや、うーん…。だって、ザンザスさんもあたしのこと知ってるんでしょう?」


なんだか、リイナと結がごちゃ混ぜになってきてしまっている気がしなくもないが、しょうがないと思う。だって、私はあたしであたしは私じゃ無いんだから。


「顔だけはな。カスと似たような反応をしやがるカスだ」


「……本人目の前にして酷いねー…」


「…てめえはカスの妹じゃねえだろ」


「…それも疑問だった。なんで妹じゃ無いってわかるの?」


「俺が惚れたからだ」


開いた口がふさがらないとはこのことだろう。赤い瞳がまっすぐ結を見つめてくる。理由がそれってどうなの、と思わなくもなかったけど、熱くなる顔を意識せずにはいられなかった。
惚れた?惚れたって、誰が誰に?というか、どこに惚れるような要因があったんだろうか。第一、私はちゃんとリイナになっていたはずだ。
なのに、彼は私に惚れたのだと言った。リイナではなく。私に。


「……惚れ、たの?」


信じられなくて思わず聞き返していた。その声はあまりにも弱々しく頼りない。彼は徐に立ち上がったかと思うと近寄ってきた。ベッドの上に座っていてもなお、見上げるほど大きな体。はたから見れば野獣ととれるだろう。


彼は、ベッドに腰掛けると、未だにペタンとベッドの上に座っている結の頭へ手を伸ばした。そして、指で髪を梳き撫でていく。その手のなんと優しいことか。暴君といわれる彼にこんなにも優しい手つきができるなんて驚きだった。
さっきスクアーロにグラスを投げた人物ととてもじゃないが同一人物とは思えない。


「ザン、ザスさん…」


「ザンザスだ」


「…ザンザス」


敬称をはずして名前を呼べば、ふっと、わずかに表情を崩す彼。笑ったのだ。優しく目を細め、その瞳が、指先が、雰囲気が、愛しいと告げてきているようで。
顔に熱が集まるのを止められない。心臓は激しく脈打ち、相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどだった。


「教えろ」


何を、なんて聞かずとも分かった。今度は、言えそうな気がした。
彼へと手を伸ばす。頬に触れれば、凍傷の跡が少しだけ皮膚を固くしていた。そこに指を這わせる。うるさくなる心臓は、胸から飛び出してくるんじゃないかと思ってしまう。


「……結」


「結」


低い声で名前を呼ばれる。甘美な響きだ。名前を呼ばれるなんていつぶりだろう。長く、長く呼ばれることはなかった。自分の名前の響さえも忘れそうになるほど、思いこんでしまいそうになるほど。


もう、他のことなんてどうでもよかった。


「もっと…」


鼻の奥がつんとする。


「結」


「何度でも」


声が震える。


「結。俺の隣にいろ」


「うんっ…」


ザンザスの姿がゆがんだ。涙で滲んでよく見えない。ぽろぽろとこぼれおちるそれを、彼は親指の腹でぬぐった。 
そして、ゆっくりと抱き寄せられる。それに身を任せて、彼の肩に顔を埋めた。優しく頭を撫でる手にさらに涙は溢れてくる。


こんなにも、人の温もりが愛しく思ったのはいつぶりだろう。こんなにも優しい気持ちになれたのは、嬉しい気持ちになれたのは、心から笑ったのは、いったいいつが最後だっただろう。


彼の首に腕をまわして体を密着させる。離さないでほしかった。どこにも行けないようにしてほしかった。もう、あの場所に返さないでほしかった。


もう、戻れないだろう。戻ることなどできないのだ。きっと、もうリイナにはなれない。パンドラの箱は開かれてしまったのだ。この男の手によって、いとも簡単に。


「結。お前は俺の隣にいろ」


「うんっ」


「Mi piace tu.」

「…なんて言ったの?」


「さあな」


悪戯な笑みを作る彼。そして、私の耳元に唇を寄せ、囁いた。低い低い声は鼓膜を震わせると同時に背中にゾクッとした甘いしびれが走った。


「聞きたいか?」


息を詰まらせる。もともと経験など無いに等しいのだ。それなのに、きっと百戦錬磨だろう彼にこんなに甘く囁かれて正気でいられるはずがない。
もう顔からは火が出そうだ。
首をかすかに縦に振る。もうザンザスの方は見れそうになかった。


「ククッ、赤いな」


「だ、誰のせいっ」


「俺以外にそんな顔見せんじゃねえ」


そんな顔ってどんな顔だろう、と思った。


「好きだ」


ボンッ、と音が出た気がする。限界だった。もう既にオーバー寸前だったのが、今の一言で、限界に達した。私は、顔を真っ赤にして、へたりこんだ。それを見て、また彼は喉の奥で笑うから、しばらく顔の熱は引きそうにないと思った。




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あきゅろす。
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