13:I'll go to places with you

「絶対に部屋と庭以外にはいかないこと。誰かに会いそうになったら絶対に逃げること。約束できるよな?」


「うんできるよー!」


「イイコイイコ」


「もうっ!また子供扱いして!」


むうっ、と頬を膨らませれば、頭を撫でて笑われる。普通の顔に戻し、いってらっしゃい、と綱吉を笑顔で見送った。


そのあとは、部屋にいても暇になることは分かりきっていたから他に行くことを許されている庭へ行くことにした。


照りつける太陽は、とても熱く、肌を焼く。日焼け止めをたっぷり塗って、頭には麦わら帽子をかぶり、白いワンピースのままサンダルを履いて部屋を出た。どこからどうみても夏の少女の格好だ。


庭に出れば、見えてくる黄色い波。それは上から見れば不思議な形をしている。昔、遊び心で植えたらしいそれは、迷路の形をしている。


そこの入口にやってくれば、リイナの背丈よりも高いその花。太陽の光を受け、黄色く輝くヒマワリの花。


ここは、迷路としての遊び心だけじゃ無くて、いざという時の逃走経路でもあるらしい。この迷路の中のあちこちに地下へと続く入口があるのだとかなんとか。それは、日記に書いてあったものだ。


2メートルはあるんじゃないかと思うヒマワリはほとんどが花を咲かせていて、太陽を仰ぎ見ている。中には太陽に背を向けてうなだれている物もいるし、なぜか二つも花をつけているものもあった。


うなだれているヒマワリを見つめていれば、リイナはそのヒマワリが自分に語りかけてきているような気がした。どうどうとした姿で立つこのヒマワリは、胸を張って私はヒマワリなのよと主張してくる。


そして、貴女は一体誰なの?と問いかけてきているようだった。なんて、生意気な花だろう。人より高く背を伸ばし、太陽にそんなに近づいて、熱さを感じないのだろうか。


「ふふっ…」


久しぶりに、あたしが私になった瞬間だと思った。


口角をあげ、ニパッ、と笑う笑い方じゃないのをしたのはいつぶりだろう。と、いうより心から笑い声が出てきたのは久しぶりだった。


もともと結は豪快な方じゃない。結自身大人しいほうであると自覚している。リイナとは正反対なのだ。だからこそ、なりきることができる。だからこそ、演じることができる。だからこそ…、結自身を心の奥底に封じ込めることができていた。


それでも、封じ込めたはずの結は、ずっと叫んでいるのだ。


開けてはいけないパンドラの箱。


開けてしまえば、もうリイナになることはきっとできないだろう。すでに壊れかけている鎖。それに新たに鎖をつけていかないといけない。そのために、リボーンや骸と接触して、自分をリイナだと信じさせたのだから。
その信頼が、結をリイナだと縛り付けていた。自分を戒めるように、頑なにリイナであろうとする姿は滑稽なのかもしれない。と彼女は嘲笑を浮かべる。


迷路の中に足を踏み入れる。既に何度か入ったことがあるこの中。迷ってしまい出れなくなったときは、少し反則技だけど、ヒマワリの壁を抜けていけばいい。まっすぐ進めば、いつか出られるはずなのだから。


しばらく、気の向くままに、右、左、突き当り、戻って左、などと足を進めていると、ある曲がり角を曲がった瞬間に結の視界は真黒に染められた。


それと同時に低めの鼻に強い衝撃が走る。


「痛っ…」


ぶつかったのは人らしくて、慌てて謝る。どうやら、この人の体にぶつかってしまったらしい。しかも顔面から。鼻が赤くなっているんじゃないかと思うほど痛くて、そこを抑えながら、誰にぶつかったんだろう、と目の前の人を見上げた。


このとき、彼女はどうせ、綱吉たちの部下の人だろうと思っていた。だって、こんなところに来る物好きなんてそうそういないだろう、って。庭にいるリイナを見つけて呼び戻しに来たんじゃないかと思ったのだ。


だから、目の前にいる人物が誰なのかを理解するのに数秒をようした。


目の前に立っていたのは、ヒマワリの花と同じくらいの身長を持つ男。赤いエクステをつけ、黒い革の服を太陽の光で鈍く反射させながら、立っている。目にかかるほど長い黒髪からのぞく赤い鋭い瞳。頬にある古い傷跡。


知っている姿から随分と大人びて、なんだか色気なんかも醸し出している彼が誰か、なんて…。


ヒマワリの花の中。なんでこんなにも不釣り合いな場所にいるんだろう。とてもじゃないけど、彼にヒマワリが似合うとは思えなかった。というか、それ以前に、彼だけ別世界の住人のようだ。いや、別世界の住人だったのは自分の方なのだけど…。


なんだか混乱してきた頭で、彼を凝視していることに気付いたのはそれからまた数秒のこと。そんな彼も、こちらをじっと見つめている。ぶつかったことに怒るでもなく、ただ、静かにこちらへと視線を向けていた。


甘い雰囲気なんてみじんもない中、見つめ合う二人。先に口を開いたのは彼だった。


「…テメエ」


低く吐き出される声。鼓膜を震わす彼の声は、知っているものよりも随分と低くなっていた。まるで、獣の唸り声のようだ。それでも、恐怖を感じられないのは、まだ頭が正常に働いていないせいなのか。


ああ、そんなことより、ここにいてはまずいはずだ。綱吉は誰かに会いそうになったら逃げろと言っていた。それ以前に会わないようにしろとも言っていた。でも、時すでに遅し。というか、不可抗力だ。まさか彼がこんな場所にいるなんて思わなかったのだ。


はっと我に返っり、勢いよく回れ右をして走り出した。綱吉は、誰かに会いそうになったら逃げろと言っていたが、会ってしまった場合はどうすればいいのだろう。
それに、あの紅蓮の瞳に見つめられると、なんだか自分の奥底を見つめられているような気がするのだ。


虚勢も、何もかも全て見破られているかのような錯覚に陥る。


それが、怖かった。かぶっていたはずの仮面がはがれおちそうだと思った。はがれおちると言うより、無理矢理はぎ取られると言った方が正しいかもしれないが。
後ろで何かを言っていたような気がしたけど、そんなこと気にしていられない。


だってあの人はザンザスだ。間違いなく。
なんでここにいるのかなんてわからないが、綱吉がリイナに会わせたくないと言っていた客人というのは彼のことなのだろう。
それにしても、ヒマワリを背景にしたザンザス。なんてシュールな絵柄だろう。


熱い日差しが照りつける中、結はヒマワリ畑の間を走っていた。何処に向かっているのかも、もう既にここがどこらへんなのかということも分からない。とにかく逃げなくてはいけないと思ったのだ。仮面がはがされる前に。綱吉に見つかる前に。


なのに。


なのに、どうして、先回りされているのだろうか。


「テメエ」


ざっ、と目の前に立ちふさがった黒。そして、射るように見つめる赤。
その赤に吸い込まれてしまいそうだ。
彼といる雰囲気が、なぜかとてもしっくりきて、居心地がいい、なんて。


ああ、きっと、きっとこの感情は―――…


「なんで、逃げやがった」


「は、反射的に?」


気付けばそう答えていた。そうやって答えたのははたしてリイナだったのか結だったのか。もう分からなくなっていた。内側でぐちゃぐちゃに混ぜあわされて原型さえとどめていないのだ。


彼は隠そうともせず舌打ちを一つした。そして訪れる沈黙。気まづい雰囲気なのだけど、居心地がいいとも感じてしまう。


「名前」


「へ?」


「名前」


「…り、リイナです?」


いきなり口を開いたかと思えば、名前という一言だけ、つまり名前を言えってことなのだろうか、と思って若干疑問形になりながらも答えれば、険しい表情をされた。


もしかして、彼もリイナを知っている人なのだろうか。それとも、知らないからそんな表情を?わけがわからなくて、首を傾げザンザスを見上げた。


「…ちげえ」


「へ?」


「ちげえだろ」


彼が言わんとしていることがなんとなくわかってしまった。動揺を悟られないように麦わら帽子の鍔で顔が隠れるように少し俯く。
彼は、リイナではないと言っている。リイナじゃないだろと。それは、私のこと?違う。私は、あたしで、リイナであって、リイナでしか存在できなくて…。


ああ、何がしたいのかわからなくなってきた。まとっているはずの鎧なんて意味をなさない。


なんで?
貴方が追いかけてきたのは、リイナが帰ってきたからじゃないのだろうか?いなくなったはずのリイナが帰ってきたから、驚いて、確かめようと思って追いかけてきたんじゃないのか?


「り、リイナですよ…。あなたは、ヴァリアーのザンザスさん、ですよね」


震えそうになる声でなんとか言葉を紡ぎだし、笑みを作る。若干どころか、かなりひきつっていそうだが、笑みを浮かべないわけないは行かなかった。虚勢を張れ。悟られるな。


「リイナ…。沢田の妹か」


やっぱり、彼はリイナを追いかけてきたんだ。どこか落胆した気持ちに陥りかけて、それをなんとか奮い立たせる。


「そんな名前に興味はねえ。俺はテメエのことを聞いてるんだ」


「……沢田って、お兄ちゃんです、よね。あたしの名前は、沢田リイナですよ。沢田綱吉、は、あたしの兄、です…」


「チッ、カスが」


忌々しげに吐き捨てる言葉。それは、望んだ答えが返ってこなかったのだと如実に語っていた。


でも、あたしにはこの答えしか用意されていないのだ。他の答えなんて、ない。


じっと、見つめられる。見つめると言うより、睨みつけられているというほうが正しいのかもしれないが。赤い瞳がじっと見てくる。視線をそらされることは許されなかった。その目は、言葉にしなくとも、さっさとしろと語っている。
なんと答えろと言うんだ。あたしに。


「っ…、あたし、は…」


なんて、答えればいいんだ。
そう、考えているはずなのに口はまるで操られているように言葉を紡ぎだそうとしている。


「私、は…っ」


「リイナっ!」


ハッと、我に返った。声の方を振り返るより早く、リイナの体は何かに引っ張られ抱きしめられていた。


「…ザンザス…。リイナに何を…」


リイナを引っ張ったのは兄である綱吉だった。威嚇している動物のようにザンザスを睨みあげる綱吉。その声はいつもよりずっと低い。
リイナを抱きしめる腕は小刻みに震えていた。リイナの頭上をかすめる荒い息遣いは、彼がここまで必死に走ってきたことを告げている。


綱吉の腕のなかで目を閉じる。綱吉が来なかったら、自分が何を口走ろうとしていたのかわからなかった。言ってはいけない言葉は、喉に引っかかったまま、体の中で今にも爆発しそうに膨れ上がっていた。それをなんとかなだめ、未だ抱きしめて放さない綱吉に声をかける。


「お、お兄ちゃん?大丈夫だよ。何もされてないから」


怒りでか、なんなのか、わずかに肩も震わせている綱吉の背に腕をまわしてなだめるように軽くたたいた。声はくぐもっていたけど問題ないだろう。


「本当に?」


「うん。平気。それより、お客さんと会うんじゃなかったの?」


「そのお客さんはザンザスなんだよ…っ」


苦虫をかみつぶしたような顔をしている綱吉。やはり彼がお客さんだったんだ、と苦笑した。彼がなんのためにこっちに来たのかはわからないが。


「本当に何もされてないんだね?」


「怪我してるように見える?」


「…なら、よかった…」


ほっとしたような綱吉。それを見て、いつも通りの笑みを浮かべる。


「ザンザス。さっさと戻るよ。リイナ。部屋に戻っててくれる?」


「う゛お゛おぉい!ザンザス!こんなとこにいやがったかあ!探したじゃねえか!」


「チッ、うっせえ。カス鮫」


銀の髪をなびかせて、さっそうと現れたのは彼の部下にしてリング争奪戦で武と戦ったスクアーロだった。そんな彼を一瞥することもなくザンザスさんは舌打ちをこぼしてぼやくだけだった。


「ああ?そいつ誰だあ?」


「…行くぞ。カス鮫」


「う゛お゛お゛おぉい!本当に勝手な奴だぜえ…。沢田あ!迷惑かけたなあ!」


ザンザスの後を追うスクアーロ。それを見送った綱吉はつかれとかもろもろを吐息に乗せて吐き出していた。


「大丈夫?逃げれなくてごめんね?」


「ううん。リイナのせいじゃないよ。そもそも、ザンザスから逃げれる方がすごいと思うし」


「ハハッ、何それー!」


声をたてて笑えば綱吉も安心したのか、ようやく笑ってくれた。


「ほら、速くいかないと、怒られるよー?」


「うん。リイナも気をつけて部屋に戻れよ?」


「うん。じゃあ、気をつけてねー」


綱吉を見送り、息を吐き出す。ずっと詰まっていた息。叫び出したかった。違うんだ、と叫びたかった。
きっと、あたしは、名前を言いたかったんだ。結という、名前を。


「ふふっ、ハハッ…、もう…、もう―――」


空を仰ぎ見る。


青すぎる空は、壮大に、哀しいまでに広く、美しかった。


ああ、なんて。なんて。


空に伸ばした手は、それを掴むことはない。掴むことなどできない。
降り注ぐ光は、手を通り抜けて地へと堕ちていく。


叫んでしまいたかった。
もう、無理だと思った。
限界だと思った。
それでも、耐えなきゃいけないんだと思った。
ここに、ほかには居場所なんて無いんだから。


「…あたしは、リイナ。リイナだよ。リイナ、だよ。お兄ちゃん。皆…。あたしは…あたしは…」


赤い瞳が脳裏に焼き付いている。それを思い出すたびにリイナであることが苦しくなってくる。


心の奥に閉じ込めたはずなのに。固い、硬い鎖で縛りつけたはずなのに。結という存在は葬り去ったはずなのに。なんで、なんで…、彼は。 


ヒマワリの迷路の中。
どうやら本当に迷ってしまったらしい。
赤い瞳に惑わされて、黒い影に魅せられて。
迷い込んだ先は…―――




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あきゅろす。
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