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月輪奇譚・弐(健全)





月輪奇譚・弐_共闘





邂逅から数日が経ち、鬼殺の道は険しかった。

━━━━━━お叱り━━━━━━

今日の鬼は、割りと足が速かった。

「おぉおお!!」

故に、比べて足が速いチカが追い込み役となり、鬼と相対していた。
しかし彼女の刀は日輪刀ではない。
どれ程斬りつけようとも足留め程度に過ぎず、鬼の再生速度によっては僅かな時間稼ぎでしかない。この度は正にそれだ。

「チカ、単騎で突っ走るな!」
「うるせぇ、御託は後で聞いてやらぁ!!」
「あと女性にあるまじき言葉遣いは良くない!」
「慎んでお詫び申し上げます候!」

チカが吐き捨てた瞬間、その会心の一撃が鬼の脚の骨を断つ。隙が生まれた。

「―――炎の呼吸 壱ノ型!」

それを逃す煉獄ではない。鮮やかな一撃が頚を刎ねた。

「よっし、討ち取ったり!」
「こら、チカ!」
「あだっ」

沸き立ち拳を握るチカの頭上に拳骨が落ちる。

「一人で突っ込んだら危ないとあれほど言ったろう?! 君は日輪刀を持ってないんだぞ!」

叱る煉獄はいつもの頬笑み顔で、チカは苛立ち具合を青筋の本数で図る他ない。

「分かってるから、お前の方へ追い込んだんじゃないか」
「それが危ないと言うんだ!」
「おい、ガキ扱いするな。あんな鬼程度、何度もどつき回した事あるんだぞ」

目上のような口振りに辟易するチカも、つられて加熱する。しかし。

「連携すれば、些細な怪我を負うことも無くなる!」

煉獄の堅い掌がチカの両頬を包み顔を寄せて、眉の上に付いた傷の検分が始まると、チカは堪らず狼狽えた。

「わ…ちょ、さささ触るな!」
「顔に傷が付くと将来に差し障る! 十分に気を付けろ!!」
「っ…分かった! だからもう離してくれ!」
「御託を聴くと言ったのは君だ」
「こんな至近距離でとは言ってない!」
「俺に集中しろ!」
「出来るか!!」
「むぅ」
「うぬぬ…」

赤面する彼女の表情に、羞恥だけではないものを感じた煉獄は疑問を口にする。

「君は触られるのが苦手なのか?」
「…馴れ馴れしいのは嫌いだ」
「そうか」
「ぬぅわ」

すると煉獄は顔を離し、右手を彼女の頭に宛てがい、うりうりと撫で始めた。

「よしよし」
「おい人を犬猫みたいに撫でるな!」
「君のお陰で手早く片が着いた事に違いはない。ありがとう!」
「む………」

礼を述べられてはチカもそれを無下には出来ない。それを振り払う程の子供ではないという自負があるからだ。
かと言って、素直に延々撫でられるのは精神的に色々問題がある。
やんわり逃げようかと画策する頃、突如無骨な左手が滑るように首へ回る。極った。

「だが独断専行は危険行為と見做す! よって撫で回しの刑!」

時既に遅いものの、煉獄の右手に先程の比ではないくらいにわしゃわしゃ撫で回されて、チカは逆撫でを食らった猫のように暴れ出す。

「ぬわぁぁ止めろおまぁぁあ」
「俺から逃げられると思うなよ!」
「離せぇぇえ」

じたばたと戯れる時は、事後処理の隠が現場に着くまで続いた。


━━━━━━休息━━━━━━


「うまい! うまい! うまい!」
「はー…お茶が滲みるー…」
「うまい! 君はお茶が好きなのか?」
「喉から腹だけ風呂に入ってるみたいで解れるから好き」
「うむ! あまり聞かない表現だが分からなくもない!」
「弛緩の時間は至福の時間なんだよ」
「縁側の猫のようだな!」
「そっちこそ食いしん坊の唐獅子かよ」
「健啖家と言ってくれ!」
「任務中は食わない事も多いが、ひょっとして食い溜めているのか?」
「分からん! 勿論いつもこの量だ!」
「馬鹿馬鹿しい程食うよな」
「俺より食う者も居る!」
「…天下の鬼殺隊だもんなぁ、うんうん」
「呆れるには早いぞ!」
「そもそもお前が頻繁に呆れさせるからだよ」
「そっくりそのまま返す!」
「やはり一度とことん殴り合わねばならんようだな」
「殴られる前に撫で回してくれよう!」
「撫でられる前にぶっ飛ばしてやらぁ…」
「お団子と追加の天丼、お待たせしましたー」
「うむ! 親子丼二つ追加!」
「お茶おかわり」
「はーい、ただいま!」


━━━━━━声無き巫女━━━━━━


少し風のある日だった。
林に面した街道脇の野原に兄妹とおぼしき子供が二人、天を仰いで途方に暮れていた。

「どうしよう…」
「どうしよう……」
「どうした童達!」
「「!!」」

そこへ文字通り首を突っ込んだのは、煉獄である。
突如ひょっこり現れた偉丈夫にしばし驚く子供達だが、梟もかくやという目玉をにっこり笑って仕舞い込み人好きのする笑顔を向ける煉獄に、助けを求めると決めたようだ。

「あ、あのね…」
「まーた何か面倒事に首突っ込んで」

そこへ彼の後ろからやる気の見えない足取りで現れたのは、長い黒髪に青丹色の羽織を肩に掛けた妙齢の女、チカだった。
少し高めの下駄に腿まである脚絆を身に付けている。着物の裾が短いのが煉獄との喧嘩の種だ。

「なるほど! あの木の上か!」
「何だ? 凧か…と、それを取ろうとした子供が一人…動けなくなるなら登るなよ…」

幾本かの木の中に、背の高いものがあり、最上部に凧が引っ掛かっていた。
そのやや下には一人の少女が、一本の枝を尻に敷いてガタガタ震えている。
登ったは良いが、うっかり下でも見てしまったのだろう。

「お兄ちゃんの大事な凧なの…」
「だからお姉ちゃんが取りに…ふぇ…」
「分かったよ。そこな雄鶏頭が今から大活躍するから待ってな」
「君は凧を頼む!」
「おい私もかよ全く」

言うが早いか、駆け出す二人は一陣の風となって木の幹を垂直に走る。
そこまでは良いものの、煉獄の踏み込みは些か強く、木が堪えられないのではないかと思うほど一歩一歩に幹が軋んだ。
チカが木の頂きに立つ頃には、煉獄は少女を抱えて降り立とうとしていたが、既に大きく木が傾いでおり、根元で待っていた幼い二人も危ない位置。
すかさず彼は全力で跳び、三人の子供を腕に抱えて安全圏への退避を完了した。
チカは絡まった凧を丁寧に外すと、倒れ行く木から軽やかに跳び、幾つもの木を渡り宙を舞う羽根のように降りてくる。
やっと大地へ降り立つと同時に、凧の掛かっていた木は、幹の真ん中から爆ぜ割れたように倒れたのだった。

「お待ちどう」
「うむ! 助かった!」
「お前は強く踏み込み過ぎだろ」
「それが炎の呼吸の要でな!」
「今回くらいは自重しろよ…怪我はないかお前達?」

彼女が顔を向けると、天狗でも見たような怯えぶりで、姉弟はガチガチ震えていた。

「だだだ大丈夫…」
「あああありありあり」
「無理しなくていい。後は気をつけて帰んな」
「おねーちゃん、おにーちゃん、ありがと…!」

きらきらとした眼差しで、唯一きちんと礼を言えたのは、最年少と思われる妹だけである。

「おお! 凧も無事で何より!」
「次からは河原でやれ。おっちゃんおばちゃんに手間掛けさせんなよ」
「!!…俺はおっさん等と言われる歳では…」
「唐獅子が細けぇ事を気にしてちゃあ生え際後退も遠くないな」
「細かくない! そして雄鶏でも唐獅子でもない!」
「そうかい。じゃあな坊主共」
「おい待たないか! ではな、気をつけるんだぞ!」

凧を妹に持たせてやると、煉獄の抗議もどこ吹く風か、チカは早々に踵を返して歩き出す。

「ありがとう…」
「ありがとう!」
「ありがと!!」

遅れて聞こえた感謝の言葉に、煉獄は振り向いて、彼女はぞんざいにひらひらと手を振りながら緩く弧を描く街道を行く。
子供達の姿が見えなくなり、自分の足音、小鳥の声と風の音だけが二人を包む。

「……」
「……」
「……」
「…君はおばさんと呼ばれるような歳なのか?」

その言葉にチカは足を止め、駆け出した。

「ぬ! こら待たないか!」

追う煉獄が横に並ぶと、彼女は即座に悪態をつき始める。

「はん、でこっぱち若禿げが!」
「ぬう?! 言うに事欠いて!」
「黙らっしゃい! 女性に歳を訊ねる時はもっと言葉を選ぶんだな!」
「やはり相当年上と見た!!」
「ぬぐぅ…経験の浅さが口に表れているぞ!!」
「それは失敬!! 生憎若いので!!」
「ぬぅう許し難い憎まれ口!!」
「君こそ歳相応に慎んでいれば…勿体無い!!」
「…次の宿場まで、負けた方が奢りな」
「うむ! 受けて立つ!!」

少し風の強い道を、賑やかな二人が行く。



正直、彼女は高を括っていた。途中で茶屋でもあるやもと。
結果的に無かった。

「はぁ…はぁ…はぁ…」
「ふぅ…はぁ…ふぅ…」

故に大声でやり取りしながら走り続けた二人は息を切らして、宿場町へと入る橋を縺れる足で渡ろうとしていた。

「…やるじゃ、ないか、年下の癖に…」
「…ふ…君こそ、年上の割に…」

何とか意地で息を整え姿勢も正すと、お互い見合って健在ぶりを示す。

「ふん…ああ喉乾いた…」
「…飯屋を探すか!」
「そうだな…芋の煮物食いてぇ」
「甘藷か?!」
「馬鈴薯」
「むう、どっちもあるといいな!」
「全くだ」

やっと多少気分も解れた所で、一羽の烏がやって来る。煉獄の鎹烏だ。

「カアッ、杏寿郎! 任務!」
「うわぁこの時分にか」
「む、何処でだ?」

すると一寸、烏らしからぬ躊躇を見せたかと思えば、彼は高らかに宣言した。

「……サッキノ町!」
「……」
「……よもや」
「夜ガ来ルト鬼ガ出ル」
「……」

見上げなくても分かる空をチカが見上げると、西の空を暮れ行く太陽が赤さを増しながら進んでいた。

「……走るぞ!」
「…よもやよもや…」
「俺の台詞を取るな!」

とりあえず駆け出した二人を先導するように鎹烏も風に乗る。

「ぬぅぅ阿呆くせぇぇえええ」
「俺は! 俺の! 責務を全うする!」
「ああああお米食べたい!」
「俺もだ!! これは着いたら飯がうまいな!! はーっはっはっはっはっ!!!」
「くそったれの鬼なんざ細切れにしてくれるわぁぁぁ」

今度は向かい風の道を、賑やかな二人と一羽が行く。



「君は些か口が汚いな」

行きつ戻りつ無駄口無駄足のみの道中にも挫けず、二人は先程の街まで戻って来ていた。
日も暮れて宵五つ、正刻に差し掛かろうかという頃。
すっかり人々は帰りついたのだろう、人っ子一人も道に無かった。

「すみませんねぇ、生まれ持った質が悪いもんで」
「普段は猫を被っているのだな!」
「ぬぐ…鉄火場で出るのが本性なんだよほっとけ」
「怖いのか?」
「は?」

街灯も疎らな道を、煉獄とチカは連れ立って歩いていた。
その様は決して睦まじくなくとも、襲う側からすれば隙は少なくないように見える。

「以前、話をした鬼殺隊士が言っていた。腹から声を出すと、何でも良いから立ち向かう気概を声に出して示すと、不思議と踏ん張って戦えるのだと」
「…」
「彼が鬼と対峙した時、ひたすら鬼を罵りながら戦っていた事を思い出した」

夜風は日中と異なる冷たさで柔らかく吹き、虫の音が草むらから立ち上るように鳴る。

「…そうだな、私も前までもう少しましな戦吼えだった気がするよ。一人で戦うのは、怖いな」
「今は俺が君と戦う。君は一人ではない!」
「…そうだな。ならば私も、鬼にではなく煉獄に届ける言葉を探そう。聴いてくれるか?」
「いいだろう! ……む!」

その音が突如止み、粘い殺気が夜道に満ちた。

「ふ…お誂え向きに、お出ましだな」
「チカ、無理に押すなよ」
「煉獄よ、貴様は大した男だ。悪神の巫女に謳わせる資格、得たり」

息を吐くように、良く通る声が響いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆蒼◆◆◆◆
◆◆◆◆く◆◆◆◆
◆◆◆◆流◆◆◆◆
◆◆◆◆る◆◆◆◆
◆◆◆◆水◆◆◆◆
◆◆◆◆煌◆◆◆◆
◆◆◆◆に◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆澪◆◆◆◆
◆◆◆◆の◆◆◆◆
◆◆◆◆糸◆◆◆◆
◆◆◆◆を◆◆◆◆
◆◆◆◆牽◆◆◆◆
◆◆◆◆き◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆

煉獄の背筋をざわりとした何かが走り抜け、何かが這い上がる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆広◆◆◆◆
◆◆◆◆い◆◆◆◆
◆◆◆◆広◆◆◆◆
◆◆◆◆い◆◆◆◆
◆◆◆◆海◆◆◆◆
◆◆◆◆の◆◆◆◆
◆◆◆◆果◆◆◆◆
◆◆◆◆て◆◆◆◆
◆◆◆◆に◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆君◆◆◆◆
◆◆◆◆を◆◆◆◆
◆◆◆◆見◆◆◆◆
◆◆◆◆つ◆◆◆◆
◆◆◆◆け◆◆◆◆
◆◆◆◆に◆◆◆◆
◆◆◆◆往◆◆◆◆
◆◆◆◆く◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆

力が漲る。曖昧なものは何一つ無く、目も耳も手も足も、これ迄以上にはっきりと己のものだと自覚出来る。
神経の通わぬ筈の爪の先、髪の毛一筋に至るまでの、全集中。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆紅◆◆
◆◆唇◆◆◆い◆◆
◆◆の◆◆◆血◆◆
◆◆雫◆◆◆滾◆◆
◆◆掬◆◆◆り◆◆
◆◆い◆◆◆◆◆◆
◆◆取◆◆◆こ◆◆
◆◆り◆◆◆こ◆◆
◆◆◆◆◆◆ろ◆◆
◆◆魂◆◆◆焦◆◆
◆◆熔◆◆◆が◆◆
◆◆け◆◆◆す◆◆
◆◆結◆◆◆◆◆◆
◆◆う◆◆◆焔◆◆
◆◆為◆◆◆気◆◆
◆◆に◆◆◆の◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆

突然歌う女に困惑しながらも、正体を現し仕掛けてくる鬼は、赤い霧のようなものを噴射し、煉獄の視界を遮りにかかる。
普段の煉獄ならば立ち止まり、様子を見たかも知れない。
しかし今は、機が訪れている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆日の光◆◆◆◆Ah-◆◆◆◆
◆降り注ぐ◆◆◆◆月の◆◆◆◆
◆空を◆◆◆◆輝石の◆◆◆◆◆
◆翔よ共に◆◆◆◆海よ艫に◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆愛の◆◆◆◆波を奏◆◆◆◆
◆比翼を◆◆◆◆で◆帆◆◆◆◆
◆◆羽◆ば◆た◆か◆せ◆◆◆
◆◆◆羽◆ば◆た◆か◆せ◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

間髪入れずに炎と見紛う剣技が闇夜を奔る。
それは炎を模した技で、実際の熱など伴わぬ筈だった。
しかし、霧はまるで太陽の光を受けて退くように散り消えて、日輪刀の輝きが一際鮮やかに翻り、炎の呼吸 肆ノ型が畝る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆天◆◆◆◆
◆◆◆◆絆◆◆◆上◆◆◆◆
◆◆◆◆の◆◆◆を◆◆◆◆
◆◆◆◆旋◆◆◆駆◆◆◆◆
◆◆◆◆律◆◆◆け◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆舞◆◆◆◆
◆◆◆◆そ◆◆◆う◆◆◆◆
◆◆◆◆れ◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆は◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

先制攻撃をこうもあっさり防がれるとは思いもよらなかったのだろう、鬼は驚愕をはっきりと顔に映し、それでも肉の弾を投擲した。
目標は煉獄とチカ、球数四十。
敵も煉獄の力量を理解し、出し惜しみせず殺りに行く。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆耀◆耀◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆け◆け◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆る◆る◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆受◆胎◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆受◆胎◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆の◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆母◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆と◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆子◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆を◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆血◆結◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆ふ◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆潮◆血◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆潮◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆の◆の◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆讃◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆歌◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

その全てを日輪の炎が薙ぎ払い、打ち落とし、鬼の頚へ流れるように叩き込まれた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆Ah-◆◆◆Ah-◆◆◆◆◆
◆◆◆◆囁き◆◆◆◆囁き◆◆◆◆◆
◆◆◆◆重ね◆◆◆◆重ね◆◆◆◆◆◆
◆織り成す和◆◆◆◆織り成す君と◆◆◆
◆◆◆一つの◆◆◆◆とつの◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆宇宙観になる◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆深く◆◆◆◆深く◆◆◆◆◆
◆◆◆◆絡む◆◆◆◆絡む◆◆◆◆◆
◆◆◆◆糸は◆◆◆◆遺伝子は◆◆◆◆
◆◆忘れ難き◆◆◆◆Ah-◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆ヒの◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆ト詩◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

胴と別れた頚は高く舞い上がり、放物線を描きながら塵と化す。
鬼は煉獄の舞を最後まで見ることは叶わなかった。
それを楽しめたのは、チカだけ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
Wee◆◆◆◆yea◆◆◆◆re◆◆◆◆
◆◆◆◆hymme◆◆◆◆spiritum...
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

後にはただ、再び虫の声が満ちる夜道があった。

「…チカ、今のは、歌なのか?」
「そう聞こえなかったか?」

振り向いた煉獄の顔は普段と何一つ変わらず、ただうきうきと高揚しているのは声音で分かる。
「不思議な旋律だった、何と言うか…何でも出来る気がした!」
「そうか。それは重畳」
「あれが言霊か?!」
「力ある言葉、か…少し異なるが大体合ってる。どちらかと言うと祝詞だがな」
「祝詞、というと神社の祭事か!」
「神に祈る歌だから祭りには付き物だろうが…今は煉獄杏寿郎に呼び掛けたのさ」
「? 俺に?」
「そう。その魂があらゆる絆を輝かせ、眼が希望の光に溢れ、一刀が澪となり未来を導きますように…凄く適当に言うとそんな感じだ」
「適当か!」
「ややこしい事はない、感じたままが全てだ。そしてお前の魂は見事応えて奮い起った。そうなれば私とお前の力は最高の状態を一時保てる」

鬼の全てが塵と化すのを見届け、二人はゆっくり歩き出す。
夜の静寂が健やかに、町を満たしていた。

「一時なのか」
「走り続ければ息が切れるのと同じだ。肉体自体に変わりは無いのだからな」
「魂が奮起すると、何故あんなにも全集中が容易いのだろう?」
「神に祈れば神の力が、人に祈れば人の力が、それぞれの命に与えられた規模で力が顕現する…善きも悪しきも歌を聴く心のままにな」
「力の在り方は心の形に因る、と?」
「憎めば刃、愛せば花、猛れば御旗、嘆けば墓標…人の心で顕せる全てが歌に成り得るよ。故に同じ歌でも聴く者によって効果は異なる」
「君の歌は巫女だから特別なのか?」
「誰でも大なり小なり顕す事が出来る。大小異なる事自体悪い事じゃない。物事は訳あって成るように成る、当たり前の事なんだ。巫女が関係するのは悪神の慈悲を授かる時だけさ。私の歌が特別に思えたのは、君に伝えたいものが届いた証拠に過ぎない」
「つまり…聴く側が特別なのか?」
「む…答えづらい訊き方をするものだ。そりゃ互いに思い入れのある歌や者なら、当人達に価値は高かろうさ」
「ならば、チカがチカだからでなく、俺にとってのチカがチカだから凄いのだな!」
「…火に寄せられた羽虫の気分だよ全く」
「君は沢山の歌を歌ってきたのか?」
「歌ったよ。様々な歌を」
「もっと色んな歌を聴きたいな!」
「戦う際はこれに慣れない方がいいぞ。病みつきになる」
「病みつきに?」
「そうだ。お前も感じたろう、高揚と興奮を。慣れるとそれが無くては奮い起てなくなるそうだ」
「…そうなった者が居たのか」
「うん。全く戦いを知らない者だって焚き付ければ戦力になったからな」
「!」
「煉獄。力はどんな形であろうとも、使う者によっては如何様な兵器にもなる。知識でさえ。歌でさえ」
「…」
「お前の強さの対価は努力だろう。でも私は弱かった。最小限の力で全てを救える程、賢くなかった。強さの代償を恐れるなら、小さく在る事は賢明だ。どんな力も刃としてあるなら、敵でも味方でも必ず誰かが傷付くのだから」

ぽつりぽつりと街灯が点る道を、夜空より濃い電線が掛かる空を、彼女の声が往く。
煉獄は何故か、こうして歩いているとこの夜道は終わらないのではないかという妄想に見舞われた。

「野も山も美しいのに、人ばかりは傷付け合う…疎まれし神、恐ろしき神が与えた力を互いの滅びにしか使えない。花を歌う者の声は絶えずとも、小さい」
「…それでも君は歌うのか」
「長話が過ぎたな。さぁ、飯屋の暖簾が下がる前に行こうか」
「…ならば、花の歌を聴きたい!」
「……そうだな。月の晩くらいは、歌おうか」

穏やかに柔らかい夜風を吸い込み、チカは控えめに、それでいてよく通る声で歌った。
何でもない普通の歌を。
求められなかった歌を。
煉獄の耳に届くだけの声で、歌った。

*****************
**********ひ溢*い淡**
******やそ**とる*とき**
**愛春**がれ**つる*し光**
**をよ**ては***涙*面立**
**く*******ひの*影つ**
**れ遠**やそ**と蕾*の***
**しき**がれ**つか*沈俄**
**君春**ては**香ら*丁雨**
**のよ******り**花***
******迎空**始******
**懐瞼**えを**め******
**か閉**に越**る******
**しじ**来え********
**きれ**るて*******
**声ば*********
**がそ*******
**すこ******
**るに*****
*******
*****

月が音も立てずに、沈み往く夜だった。


━━━━━━茶店━━━━━━


「なぁ、なぁなぁ煉獄」


つんつんと袖を引くチカは、明後日の方向を見たまま、煉獄に呼び掛ける。

「猫か君は。どうした?」
「甘味食べたい。舶来もん」
「俺にねだるのか」
「奴等、高過ぎるんだよ」

昼餉を終えて次の任務の連絡も未だない。
多少の自由が利くなら今だろう。

「…そういえば君は食い扶持をどうしているんだ?」

ふと、折からの疑問が煉獄の口から零れた。
確かな剣の腕があるものの、彼のようにそれを活かした職にある訳でもなし、何より煉獄と行動を共にして以来、仕事らしい仕事をしているようには見えなかった。
チカは暫し逡巡してから、歯切れ悪く回答に至る。

「…困ってる人を助けたり」
「それは立派な行いだな!」
「…追い剥ぎから追い剥ぎしたり」
「…俺は食い扶持の話をしていたよな?」
「…違法賭場で暴れたり」
「……分かった。ミルクホールに行くか!」
「わぁい。牛乳とドーナッツ食べる」

チカらしい回答に安堵しながら、複雑な感情を眉に乗せて微笑むと、彼女も笑って歩き出した。



「うまい!」
「うまーい」
「あんぱんおかわり!」
「ドーナッツおかわり」

場所が変わろうとも、煉獄もチカも弁える気はない。
舌鼓を打ちながら腹が満ちる幸せを堪能する事が、いつだって食事処での最優先事項なのである。
そんなところばかり二人の気は合った。

「うまい!」
「うまうま」
「なぁ君達」

そこへ声を掛けてくる者など、余り多くはないものだが、例外の可能性はどこであろうと有るものだ。
今日の例外は詰襟に学帽を被った学生である。顔は何の特徴もなく、小汚いと言うよりは小綺麗な、良く居る学生であった。

「うむ?」
「うまうまうま」

応対した煉獄は牛乳を飲み下して、彼の言葉に目を向けた。
チカは五個目のドーナッツに夢中なのか、そもそも聞く気がないのか。

「もう少し静かにしてくれないか? 落ち着いて新聞を読みたいんだ」
「それは済まなかった!!!」
「ぐわっ」
「うるさっ」

下手をすれば先程のうまい連呼よりも大音量で煉獄は謝罪を述べるも、さほど謝っているように見えない事は、そこそこ由々しき問題であるとチカは常々思っていた。

「以後気を付けよう!!」
「あー…済まない、こんな奴だから余り気にしないでくれ」

それがつい口を挟む次第と相成った理由であるが。

「あ、あぁ……君もこんなのと居ると誤解されるぞ。こっちのテーブルに来いよ」

学生はどのような『誤解』をしたのだろうか。

「…」
「…へぇ。落ち着いて新聞を読みたいんじゃなかったのか?」
「君みたいな美人が読んでくれると身が引き締まるんだがなぁ」

ニヤリと笑う学生は、自分を男前と勘違いしているかのような笑顔で、こういった自信過剰で下心透ける面構えをチカはどうにも好きになれなかった。
それこそこんな学生風情は商売女からすれば、鴨が葱背負ってなんとやら。その経験の結果がこの笑顔なのだろう。

「そうかい。なら残念だったな、軟派野郎に囀ずる声など持たんね」
「軟…何だと、この女…」
「聞こえなかったか? ここはミルクホールで盛り場じゃないんだよ。お乳が恋しきゃお母ちゃんのを吸ってきな」
「っ…!!」

彼女の言葉を聞いたその場の皆は、顔を背けて堪えた笑いを一様に洩らす。煉獄を除いて。

「……あばずれ女が!」

怒りに染まる学生服の男がそう嘯いた瞬間、陶器のぶつかる甲高い音が響く。
それは煉獄の手にあるカップの持ち手が、彼の指先の力だけで割れ砕けて、本体が机に落ちた音だった。

「済まない! カップにひびが入っていたようだ!」

そう声高に宣う彼の笑顔は一切崩れる事がない。
にも関わらず。
彼の名状し難い感情は、油を舐める炎のように、浅はかな男子学生へ今にも食らいつかんと確かに迫っていた。
そしてここはそれが判らぬ程の子供が居る場所では無い。

「さて」

席から立ち上がる煉獄は、そこらの平均的成人男性よりも頭半分は高く、どうしても学生を見下ろすような形になってしまう。決して他意は無くとも。
それが判ると男子学生も、表情に怯えの色を隠せない。
しかし次の煉獄の言葉は、その場の大半の予想を裏切るものだった。

「勉学に身が入らぬなら俺が朗読を請け負おう! 声には自信があるぞ!!」

斯くして此のミルクホールは、彼の鎹烏が任務を告げに来るまで、何人たりともうたた寝させない朗読会を開催する運びとなった。
チカが頗る迷惑げな眼差しを学生に投げ付けた事は言うまでもない。



「むう。夜までもう暫し猶予はあったろうに!」

何故か少し名残惜しげに、肩に烏を乗せた煉獄は道すがら呟いた。無論、呟いているつもりは本人だけであるが。

「窓硝子を全部割る気か…現にあの阿呆学生も最後は白目剥いてたじゃないか」
「うむ! 新聞を読む、と言うのは存外面白かったのでな! 声につい力が入った!」
「何でも楽しめるのは良いことだ。人生が豊かになる」

チカの言葉もまた嫌味寸前にも聞こえるが、実はさほど他意を含んでいない。それは煉獄ですら驚く程に。

「あの学生もこれから勉学に打ち込むと言っていた! 良い傾向だ!」
「…少なくとも今回の事で学習くらいはしてくれないと詰襟が泣くよ」
「これからはああいう文化人、と言うものがこの国を良くして行くのだろうな」
「お前だって良くしているじゃないか」

彼女も自分とは違う方向に馬鹿正直なのだと、彼は理解していた。

「!…そうだな、ありがとう!」
「そうだよ。あと礼を言うならこちらからだと思うがね」
「そんなこともあるまい! 皆が互いに感謝を以て接するのは良いことだ!」
「そうだな、ありがとう」
「うむ! ありがとう!」
「じゃあ一丁、感謝を増やすとするか」
「うむ! 頼むぞ鎹烏!」
「カアッ!」

烏が飛び立ち、或いは死地へ彼らを導く。
昨日も今日も明日さえも、誰かの安寧を守り続ける。
それは孤独に生き永らえるよりも、僅かに充実した生き方なのかも知れないとチカは思った。


━━━━━━呪い━━━━━━


「そういえば」
「うん?」
「君の刀は呪われていると言っていたな」

ふと思い出したように、煉獄はチカへ訊ねた。
彼女は歩いていても食事中でも鬼殺中でも、必ず煉獄の左側に立つように努めている。
刀と煉獄が間違ってでも触れ合わないように配慮しているようだった。
故に、左側ならば受け止められる範囲で躓いた人などを、チカは子供でさえ受け止めようとはしない。

「ああ。しっとりバッチリ呪われているよ」

スルッと出て転がっていく言葉は、重いのか軽いのか彼には量りかねる物だったが、或いは未だどうあるべきか悩み倦ねているのかもしれない。
さて、呪いとは?
僅かな時間であれ、頭を捻り考えようと容易に解答を得られないそれに、煉獄は諦めて訊ねる事にする。

「触ったら不幸になるのか?」
「んん…まぁ近いかな」

簡単には必中しない予測。
畑違いの知識などそんなものだろう。

「どうなるんだ?」
「触ったら…一番辛い思い出が頭から離れなくなる」

具体的な内容と言うにはまた、抽象的なものを含む彼女の言葉に、彼はそれが非常に得体の知れないものではないかと思えて、ちらと刀を見た。

「寝ても覚めても悔恨と絶望に苛まれて、心を病んでいく。そしてこの刀の断末魔に呑まれて、自ら死を望むようになる」

心を蝕む呪い。
彼の脳裏を過ったのは、項垂れて酒を喰らう父の背中。幼気な弟。彼の心の在処。
呪いなど無くても、それは何処にでも有り得る壊れた心。

「…よもや、何とも…君はどうして無事なんだ?」

口の中に蟠るそれを別の言葉に変えて、煉獄は新たな疑問を投げ掛けた。

「私にも効いている。けれど、私はそれをずっと見てきた。これが千の頚を刎ね、万の嘆きを生み、尽きぬ怨嗟に染まるまで、これは私と共にあった。この呪いを産み落とした私と共に在るのだよ」

彼女は、強いのだと思った。
悲しみに身を浸そうと、生きながら煉獄の炎に悶え苦しもうと、逃げずに祈り続けている。
悪神にとって、或いは無二の巫女なのだ。
彼は確信した。

「如何に祀ろうともこいつは鎮まる事無く呪いを撒き散らし寂しがる。聴く者の居ない言葉で叫びながら。共に憐れんでいるに過ぎないとしても、それが私が死んでない理由なのだろうな」

盲目的信望と過ぎた献身、だがそれにより神の言葉を繰り返すだけの木偶でなく。
使命とする己の責務を、孤独と絶望の中で果たし続ける。
彼は確信した。

「名前は無いのか」

彼女が命を託すに足る運命に感じる、一抹の侘しさの正体。

「? …この刀にか?」
「そうだ。不便ではないか?」

顎に手をやり、玩ぶように擦るチカ。

「うぅむ…あんまり考えた事がなかったが」
「月輪刀と言うのはどうだろう!」

小首を傾げる彼女へ、いつもの笑顔で提案する。

「がちりん…お前が考えたのか」
「うむ! 俺が日輪刀だから、君は月輪刀だ!」

きょとんと、呆けたように聞くチカは、ややあってから小さく息を吐き笑う。

「…迂闊に名前を付けるのは考えものなんだが、まぁ良しとしようか。良い響きじゃないか、月輪刀」

そう言って彼女が刀を撫でると、それは僅かに、しかし確かに哭いたように思えた。

「水面に映る月すら断てるかな、ふふ」

夢を見るように彼女は微笑んだ。
何故か、彼女は何も顔色を浮かべなければ然程美しくも見えないのに、怒りや喜びに染まると途端に咲き誇る花のように輝きを帯びる、煉獄には御し難い美しさを持っていた。
今の彼女を例える言葉は見当たらない。
ただただ、その名だけがそれを顕す。
常世で最も短い歌のように。

「あ。実は余り見つめても有害だから気を付けろよ。何かぞわぞわしたりする」
「……棄てられないのか?」
「…お前のそういう態度も月輪刀は分かってるからな?」
「?!」
「何でもかんでも棄てて見えない所に押しやれば済むと思うなよ、なぁ」
「…そういえば、それで斬られたらどうなるんだ?」
「個人差はあるが、一番苦痛だった瞬間ばかり思い出す。物理的に痛い記憶とか、精神的な…例えば幼い頃好きな子の前でお漏らしした羞恥等の苦痛が増幅されて蘇る。もう声を出さずにいられないくらい」
「………鬼を憐れんだのは初めてだ!!」
「優しいじゃないか。はっはっは」


━━━━━━藤の花━━━━━━


家紋にあしらわれた藤の花咲き誇る、豪奢な日本家屋の前に二人は立つ。

「おおお…お屋敷ぃ」
「藤の花の家紋を持つ家だ! 無償で鬼殺隊を助力してくれる有り難い所でな」
「鬼殺隊専用の常宿みたいなものか、奇特なことよ」
「嘗て鬼より救われた恩返しとの事だ」
「ほぉ、義理堅いなぁ」

などと話していると、煉獄の声を聞き付けたのか、門を開いて姿を見せたのは小さな老婆。
老婆は音もなく歩み寄り一礼で彼らを迎える。

「ようこそいらっしゃいました、炎柱様」
「うむ! 息災で何よりです! 本日は宿をお借りしたい!!」
「どうぞごゆるりと…お連れ様もどうぞ」

そこでチカは慌ててやんわりと右手を振って見せた。

「あ、いや…鬼殺隊じゃないんだ。誤解させて済まない」
「まあ…それはそれは」
「うむ、申し訳ない。鬼殺の手伝いをしてくれている俺の連れなのだ。どうかこの人もお願いしたい」

チカが断ろうと煉獄を咎める前に、鷹揚に頷き微笑む老婆。

「よろしゅうございますとも。炎柱様のお眼鏡に敵う方なら、私共も安心にございます」

その言葉に煉獄は安堵したように、僅かに眉尻を下げて笑った。

「うむ! 態度は悪いが優しい娘でチカと言う! よろしく頼む!!」
「おい煉獄何だその紹介文は」
「俺の所感によるものだが?」
「覚えていろよこの野郎」
「多少は弁えているようだな! 感心感心!」
「今すぐぼこぼこにしたい」

言い合う二人を引き連れて、老婆は広い庭園を畝る敷石に沿って、ゆっくり玄関まで案内する。
四季の花咲く美しい庭だった。

「お夕食はお芋の天ぷらに致しましょうね」
「楽しみだ!!」
「それには同意する。炎柱より大盛りで」
「ぬう! それは狡いぞ!」
「最終的にはお前の方が絶対に量を食うだろうが! 最初の盛りが多い程度でうだうだ抜かすな!」
「健全な男子ならば最初の盛りで女子に劣るなど!」
「心狭ぁ!!」
「君に対して広くない自覚はある!」
「遠慮も裏表も、ついでに面倒臭さしかない男気だなくそったれ」
「君は一体いつになったら慎むんだ!?」
「お前が慎んだらだよ」
「俺が慎ましやかでないと?!」
「慎ましやかではないだろ?!」
「君にだけは言われたくない!」
「慎ましやかではないだろ!!」
「二度も言うか!」
「大切な事なので!」
「こちらの部屋をお使い下さい」
「ありがとう!」
「ありがとうございます」



「…相部屋か」

ぽつりと洩らしたのは風呂上がりのチカ。
最初は遠慮していたものの、飯を思う様食ったり熱い湯を貰ったりと、既に旅籠に来たかのような寛ぎぶりだ。

「飯を食って風呂に入って寝ようかと言う段で抱くには遅過ぎる疑念だな!」
「…お前の事だから血鬼術にでも掛かってなければ此方の布団に来る事もあるまい。さぁ寝よ寝よ」

きちんと敷かれた布団にべちゃあと突伏して、だらしなく手足を広げるチカに、流石の煉獄も抗議の声を上げる。

「ちょっと待て! 聞き捨てならないな!」
「聞き流しとけよ。糞して寝ろ」
「常々思っていたんだが、君は男を何だと思っているんだ!」
「男という生き物だと思ってる」
「ならば! もう少し相部屋という状況に恥じらったりしてくれないか!!」
「恥じらったからって飯が美味くなる訳でもないのに無駄な緊張はろくな結果にならんぞ」
「だからと言って君の態度は目に余る!!」
「普通に飯食って風呂入っただけで何故罵倒されなきゃならんのだよ」
「敷いてある布団に突っ伏してごろごろするな! 裾を気にしろ!!」
「馬鹿野郎。湯上がりにふかふかの布団に突っ伏しないなど、それこそ礼儀に敵わんぞ。 あと裾はいつもと大差ない辺りまでしか捲れてない」
「何処の礼儀作法に則ってだ! そもそも開けているのがおかしい!!」
「お前もふかふか布団にもちもちしてみろ! 成程納得の心安らぐ桃源郷だ!」

溜め息一つ。煉獄は立ち上がり、布団を横断するように寝そべるチカの元へやってくる。

「何だ? やる気か?…のわっのわわ!」

すると彼は手早く敷き布団を掴み、チカをその長い髪ごと巻き込んだ。仕上げに予備の帯で留める。

「これで良し!」
「こらー! 簀巻きにするとは何事だぁ! 昆布巻みたいじゃないか!」
「朝までそうしていろ! 目にも優しい!!」
「うんどらー! 出せぇぇふぬぬぬ」

尺取り虫か何かのようにもごもご悶える彼女を尻目に、煉獄はさっさと電気を消し、さっさと自分の布団に入った。

「嫌だ。俺は寝る。君も寝ろ」
「ぬー! 寝れるかぁぁ」
「ぐぅ」
「あっちょっずるい、うんとこしょーどっこいしょー!」
「ぐぅ」
「ぬぅぅう! どっちが目に余る態度なんだよー!」



「ぐぅぐぅ」
「朝だ!!」

暴れ疲れて寝落ちたチカの布団が解かれたのは、煉獄の景気のいい掛け声と奇妙な浮遊感、それらと同時だった。

「ぬああ?!」

その勢いは襖が壊れるのではないかと思われる程だが、彼とて抜かりなく、畳んだ自らの布団に目掛けて転がしていた。
その為、彼女が奇声を上げながら突っ込んだのは布団の塊であり、家財に何ら影響の無い所であった。

「おはよう!!」
「こらぁ煉獄! それがお前んちの女子に対する起こし方か?!」

背中から布団に飛び込んだ衝撃は小さいものではなく、うつ伏せに落ちた床からチカは首だけで煉獄を見上げて抗議する。

「寝起きの悪い子には一番手っ取り早い! 簀巻きも解けたぞ!!」
「帯も解けたわ馬鹿野郎!」

ゆっくり身を起こすと、元々ぞんざいに結んであったチカの帯が畳に落ちて、浴衣の前がずるりと開けた。

「むぅ?!!」

それを知るや否や、彼は平手で以て凄まじい勢いで自身の目を覆った。

「うわっ、おい覆うのはいいが目玉は潰れてないか? 凄い音が…」
「言ってる場合か! 早く帯を締めろ!!」
「分かったから、手を緩めろ!」
「締めたか?!」
「締めた締めた、もう問題ない!」
「むう…もっときちんと締めろーーー!!!」
「落ち着けよお前はもう! 私の乳くらい気にするな!!」
「太腿も! 乳も! その刺激は理不尽だ!!」
「お前も男なら落ち着けぇー!!」



やっと朝食の席につく煉獄の表情に変わりはないが、その顔には掌の跡がうっすら赤くついて、チカは朝からの大騒ぎに気まずげな表情だ。
だが老女は何事もなく、穏やかに給仕を務めるばかり。
今朝は分葱のぬた、かぶの煮物、茄子と胡瓜の漬物、豆腐の味噌汁に白い米だった。

「朝から騒がせて申し訳ない!」
「よく眠れましたか?」
「お陰様で!」
「お日様の匂いがするお布団は最高でした」
「良う御座いました…さ、朝餉をどうぞ」
「頂きます!」
「いただきます」

もりもりと食べ始めた彼らを見て、老女はお代わりのおひつを置いて部屋を辞する。
後にはただ、気まずい二人が飯を食むだけ。

「…」モグモグ
「…」モムモム
「…」モグモグ
「…」チラッ モムモム
「…」モグモグ
「…」…モムモム
「…」モグモグ…チラッ
「…」モムモム
「…」…モグモグ
「…目、大丈夫?」モムモム
「ぐむっ…うむ、問題ない!」モグモグ
「そ…」モムモム
「……見てないから! 安心しろ!」クワッ
「…知ってる」モムモム
「そうか!」モグモグ
「…ありがと」モムモム
「………俺のを見せようか?!!」クワッ
「本当に落ち着け!!!」クワッ


━━━━━━喧嘩の華━━━━━━


人の居る所に鬼はあり、鬼の居る所に人は。
街中程鬼は容易に潜み、それを追う者も街に潜まねばならぬ事もままある。

「…浅草、人多過ぎだろ…」
「うむ! はぐれるなよチカ!」

みっしりと人の行き交う通りを、いつも以上の不機嫌さを顔に滲ませながら、或いはいつもと変わらぬ能面が如き頬笑みを湛えながら、二人は道を行く。

「鬱陶しいぃぃぃ…糞がぁぁぁ」
「…風柱のような口を利いてくれるな!」
「風柱…煉獄の同僚か?」
「うむ! 同じ柱である隊士だ! 非常に口が悪い!」
「すいませんねぇ、口を開けば罵詈雑言で。ハッ」
「そういう撚て拗ねた所も似ているのだが、ひょっとして親戚か?」
「こっちに縁者は居らんよ。撚て拗ねてっから口調が似るんだろ」
「むう。もう少し淑やかにならないか!」
「言われてなるほど簡単なら苦労ないな」
「むう! 頑固者だな!」
「煉獄ほどでは…うん?」

そこへ正面から、起き上がり小法師のような大男が人混みを掻き分けて、ずんずんと歩いてやってくる。

「退け退けぇ。力士様のお通りだぁ」
「…」
「…」
「全く、オレ以外はもう少し端を歩いてくれねばなぁ! がはは!」

そんな傲慢な口振りに苛立ちを覚えたのはチカだけでも、ましてや煉獄だけでもなかった。
仕舞いにこの力士はすれ違うチカをちらりと見やると、その顔立ちや太腿を眺めて嗤う。

「うん? 昼間っから夜鷹が居るなぁ、商いなら物陰でやってくれよ、けひひひ」
「!」

癪に障ると直ぐ様行動に移すのが彼女である。
チカは力士自身を踏み台に、彼の肩へふわりと降り立つ。
その仕草は羽衣を纏う天女が如く優美であり、乗られた本人ですら彼女の重さを感じていないかのようだった。

「…私の下駄が高い理由を知りたいか? 実はてめぇみてえな肉団子のどたまを面白おかしく蹴り回す為なんだ」
「何っ…?!」
「目玉転がして昇天させてやろうか? ん?」

しかし相変わらず天女とは程遠い口汚さで、罵詈雑言も軽やかに飛び出す。

「このアマ…!」
「待てぃ!!!」

そこへ鼓膜を破らんばかりの大声をうっかり溢すのは煉獄である。

「ぬぁっ、うるさっ」
「うんん?! 何だぁ刀持ちが、寄って集って物騒じゃねぇか!」

しかし力士の抗議など耳に入っていないかのように、今道行く人々の気持ちを代弁するような煉獄は音量を下げたりしない。

「ここは天下の往来だ! 君こそはもっと慎んであるべきだと言うのに、余計な口を利いたが為に山猫のしっぺ返しを喰らう羽目になり掛けている! 反省しなさい!」
「誰が山猫だオイ」
「嘗めてんのかよオい…常勝無敗の力士様に猪口才な事を抜かしやがる!」
「うむ! 相撲を奉納するには品位が足りんな! チカ、降りてこい!」
「何だよ、蹴鞠にしてやろうと思ったのに」
「刀と羽織を頼む!」

言うが早いか、日輪刀と炎紋様の羽織をチカに預け、慣れた手付きで腕を捲り上げた。

「ちょ…お前まさか」
「その性根を叩き直してやろう! 掛かって来い!!」
「うわやっぱり…ふぅ。どいたどいた、土俵引くから入らない入らないー。どいたどいたー」

言うや否や、彼女は月輪刀の鞘でガリガリと地面に線を引き始めた。土俵だ。
短い付き合いだが、苛立っている時の煉獄は鐚一文譲らない事が多々ある。
どうせ止めても止まらない。同じなら彼に任せて清々するとしよう、というのがチカの腹積もりである。

「はいはいはいはい喧嘩が始まるよー。どーいたどいたどいつもこいつも巻き添え怖けりゃどいたどいた」
「てめぇぇ、刀無しで勝てるつもりかぁぁ?」
「刀の無い刀持ちが怖いかな?!」
「あああ?! んの野郎ぉぉ!!」

睨み合う力士と煉獄。往来のど真ん中で始まる余興に集まる観衆。小脇に荷物満載で土俵を引き終えたチカは良く通る声を張り上げて右手を挙げた。

「はいはいはいはい、見合ってぇー、はっけよぉぉぉい…」
「フッ!」
「ぬん!」
「のこった!!!」

チカの合図に、煉獄は地面を拳で叩き、力士は猫だましから土俵中央に突進する。
勢いは煉獄が上だが、真正面からぶつかるには力士と重量が違い過ぎる。
逸らして土俵を割らせる。それが一番無駄なくいなせる方策ではある、が。

「「ふんっっ!!」」

彼は真っ向からぶつかった。
十人に尋ねれば十人が偉丈夫として認めるであろう体躯を持つ力士を、受け止めた。
衝撃に若干地面が削れるが、それ以上は動かない。
力士の顔色は驚愕に染まってゆく。
人外魔道の鬼と戦う足腰は、彼を見くびる重量任せの技では小揺るぎもしない。
力士とて伊達に無敗を謳った訳でもない、本気を出さねば土が付くのは自分だと瞬時に理解し、確信に至ると力士の全身に力が漲る。
だが。

「遅い!」

裂帛の気合と共に、力士の力が完全に乗り切る前に、煉獄の闘気が畝る。燃え盛る炎のような呼吸が力士の耳を衝く。
次の刹那、反応の遅れた力士の力は逸らされ、煉獄が描く流れへ導かれた。
すると巨体は自らの力で宙を舞い、投げられたのだと気付く頃には地べたへ叩きつけられていた。

「中々手応えがあった! 今後も精進してくれ!」

力士が敗北を理解し、丸い顔に悔しさを滲ませると同時に、周囲から歓声が上がる。
鮮やかな煉獄の投げに野次馬達は喝采を送った。

「っ…あんた、名前は…」
「しがない相撲好きだ!」

装備を整えながら、先と変わらぬ満面の笑みにも纏う空気は柔らかく、そして快活だった。
力士はこの朗らかな男からすっかり目が離せなくなって、遠くから響く笛の音にも気付けないでいた。
ピリピリと喧しいそれは、雑踏であろうと鋭く耳に刺さると言うのに。

「おい、煉獄」
「うむ、聞こえている。付いて来てくれ!」
「はん。置いてきぼり食らうのはどっちか賭けるか?」
「それでは次の茶請けでもどうだ!」
「承知した」

言うが早いか、炎紋様と青丹色の羽織を翻し駆け出した。
込み合う雑踏を誰にぶつかる事もなく、人の間を縫うように走る。走る。走る。

「喧嘩してんのは何処の馬鹿だ!」

既に無い勝者の姿を求めて、警邏中の警官は声を張り上げる。
ただ衆目は、疾風のような天狗が如き男が居たとしか訴える事が出来なかった。



「しかしお前と来たら、存外阿呆だったのだな」
「言うに事欠いて何たる言い草!」
「賢明ならばあそこで喧嘩は吹っ掛けまいよ」
「先に吹っ掛けたのは向こうで、応じたのは君! 即ち俺は仲裁に入ったのだ!」
「物は言い様だな」
「それで? 説教でも聴かせてくれるのか?」
「いいや、面白かった。ありがとう」
「そう素直に言われると何故か複雑だ!」
「倍はあろうかという肉布団を投げ飛ばすなど、面白く無い筈が無かろうよ」
「そんなに投げたつもりはなかったが」
「軽やかに空を舞ってそのまま烏か鳶が咥え去るかと思った程さ」
「ふむ! 呼吸の加減はまだまだかな! 俺も精進せねば!!」
「人間を投げる加減など鬼退治に要るかね?」
「備えあれば憂いなし!」
「ふっ、無駄で無いと思うなら価値ある事だろうさ」
「うむ! いつか相撲取りを抱えて走り回る日も来るやも知れん!」
「頼むからその時はその事案に巻き込んでくれるなよ」





つづく


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