風の哭く方へ*◇ 薩摩、某所 其処は人も近寄れぬ奥深き山。古くから禁足地として忌避されてきた場所。そのさらに奥には立派な屋敷が建っていた。その建物を中心にしてぽつぽつと民家らしき建物が建っている。 その屋敷でも特に広い部屋の上座にその鬼は座していた。 「・・・・・・・・・変若水に羅刹、のう」 「はい、如何様になさいますか?御館様」 銀髪に蘇芳の瞳。齡は六十から七十といったところだろうか。かつては秀麗であったろう名残がよく残っている。 彼こそが現在、実質的に風間一門の頂点である。現当主である風間千影・・・風間千彰とその正統なる当主となる予定の風間千景の祖父にあたる鬼。 風間千風 身体と力は衰えどその風格は正に圧巻である。 「不愉快だ・・・あれは何をやっている?」 ぐしゃりと書状を握り潰し、至極不快そうに言う。 「は・・・どうやら予想外にその一派が大きいらしく・・・・・・」 「ふん・・・下らぬ真似をする・・・・・・ああいう所は父親に似たか」 千風は呆れたかのような、それでいて慈しむような笑みを刻んだ。 「しかし、懐かしい名だ。『堕水』、か」 「御館様?あの・・・ご存知なのですか?」 恐る恐る訊ねた家臣に千風は呵々と笑うとぞっとする程冷たい眼で空を見て言った。 「ご存知も何も、我がかつて当主であった頃にその【薬】が流れて来たことがある・・・・・・持った者、使うた者、全て処断したがなあ・・・」 しかし、同じ『おちみず』でも発音が違うような気がする。 「今は【変若水】と書くんだったな・・・我の時代は【堕ちる水】と書いて『おちみず』と言った。理由は・・・・・・貴様も報告を受けとるな?」 「はい・・・・・・」 原液を服用すれば鬼すら血に群がる無惨な姿に成り果てる。人間なら言わずもがなだ。最も、現在はある程度薄まっているようではあるが。 「アレはな、【薬】でもなんでもない。かつて西に存在したという【鬼】の血でな・・・・・・無理にこの国の言葉で言うなら【血吸い鬼】といったところかの」 「では、この『血に狂う』というのは・・・」 「防げるはずがない・・・・・・血を吸わねば死ぬのだから・・・だが身体に劇的な力をもたらすのもまた事実・・・しかし、力を持った所で何になるというのか・・・・・・《力を持ちすぎた鬼》が抱えることになるモノは貴様もあれを見て知っておろう?」 《力を持ちすぎた鬼》・・・・・・それはもちろん、千影のことだろう。 「哀れなものだ。本来なら『風間千彰』として過ごせるはずだったがな・・・我が殺した。そして千景が当主となるならば不穏分子として処断せねばならん」 自嘲を隠さず彼は嗤っていた。その様は千彰に非常によく似ている。 「御館様・・・・・・」 「我は風間一門を、ひいては西国の鬼をまとめ、管理し、当主を支える柱だ・・・・・・千影一人に心は砕けぬ」 千風の元に新たな報と書状が届けられる。それは雪村綱道を筆頭とした一派からのものと、京の鈴鹿御前の末裔の姫、南雲当主連名のもの。 「・・・・・・・・・・・・本当に、嫌になるくらい似ておるわ」 全てに目を通した千風はく、と笑うと命じた。 「紙と筆をもて。すぐにだ」 「ただいま」 家臣が頭を下げ、退室すれば彼は懐かしげに昔を想い───独白する。 「・・・我を恨んでおるか千歳、千種・・・・・・当然だな。今も昔も我は犠牲を強いてきた・・・千彰や千景にもだ。だが───これで終わらせる。約束しよう、今度こそ」 再び目を開くともうそこに感傷はない。ほぼ同時に紙と筆を手にした家臣が戻って来る。 「・・・・・・さて、千影には最期の『役目』を果たしてもらうかの・・・もう、用無しだからなあ」 風の哭く方へ [*前][次#] |