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短編
強欲な共犯者
※学パロ






 室内は傾いた太陽の穏やかな光を窓から受け入れ、どこか懐かしいような、くすんだ橙色に染まり上がっていた。静かな室内に、閉じられた窓の向こうから微かに聞こえるカラスの鳴き声が、郷愁的な雰囲気を一層強める。
 いつか今のこの光景を、古いフィルムを再生するように色褪せた光景として、未来の自分は思い出すのだろう。今現在、既にそれを見せられているような気分だった。
 柔らかな色合いに包まれた室内で、"奴"の倒れている箇所だけが、異様な彩度を持って視界の中で目立つ。
 飛び散った血。カーペットに擦り付けられた血。"奴"の腹部から、今でもじわじわと拡がっていく血。そして自分の手を濡らす血に、ぬらぬらと光るナイフを赤く彩る血。

 バクラはナイフを構えたまま息を荒くしていた事に気付き、手を下ろして気を取り直すように改めて部屋を見渡す。
 初めて入った了の部屋は綺麗だった。ちゃんと整理していたらしい。床もテーブルも片付いていて、自分の部屋を見た時に絶句した気持ちがわかった気がした。
 この部屋で汚いのは、今そこに倒れている"奴"だけだった。既に呻き声も止み、動く事も止めた、"奴"だけだった。
 傍らに立ったままの了は、まだ目の前の光景が信じられないとでも言うように唇を僅かに開けたまま、ただの肉塊に成り下がった"それ"を凝視している。こうして夕陽の中で蒼白になった了の顔を見ると、初めて向かい合った日を思い出す。あの時は春だった。
 バクラの視線に気付いたのか、強く引かれて伸びたTシャツの首元を直しながら見返す。
「どうして……?」
 ようやく了から発した言葉に、バクラはふと嗤った。
「"どうして"?」
 からかうようにその言葉を繰り返す。
「"どうして"ってなんだよ、"どうして"って。お前が望んでたからやったんだぜ。"コイツ"から助けてくれってな」
 コイツ、と言いながら、転がった死体を足で小突く。死体は重量のあるただの人形のように、蹴られるままに体勢を変えた。
「他に理由があると思うか?」
 問うと了は泣き出しそうに顔を歪め、バクラの手に握られた凶器を見た。



 この刃が確かに、恐れていた男の腹部に、胸に突き刺さったのを、見た。その瞬間はまるでスローモーションのように、一瞬一瞬が鮮明に脳に焼き付けられている。悲鳴から呻きに変わっていく声まで、はっきりと耳に残っている。
 現実に起こった事のように思えず、何も出来なかった。
 唐突すぎたのだ。バクラがナイフを持ち、部屋の中に潜んでいた事にすら気付かなかった。
 最初の背中に受けた一撃で、自分を脅し続け、その時もまさに乱暴しようとしていた男の表情が歪んだのを、今でも現実のものとは思えなかった。
 しかし真実はすぐ目の前にある。
 この親切で無慈悲な友人は、人を殺してしまった。

「だって……」
 掴んだままだったTシャツの首元を強く握り、現状から目を背けようとキツく目を閉じる。
 どうしてここに"この人"が来るとわかったのか、どうやってこの部屋に入ったのか、現状を認識すると知りたい事は沢山あったが、それよりも。
「だって、キミはいっつもボクに素っ気なくて、話しても何も言ってくれない事ばっかりで、ボクの事なんか、どうでもいいって……思ってたから……っ」
 了はそれ以上言葉を紡ぐ事が出来ず、ぐしぐしと目を擦りながら泣き出してしまう。
 何と言えばいいのだろう。何を感じるべきなのだろう。
 確かに助けてほしいと頼んだのは、他ならぬ自分だ。しかし、こうなる事を望んでいたのだろうか?
 わからない。混乱した頭ではわからなかった。
 ただ"この人"から解放された事だけは、ハッキリと認識出来た。



 バクラは溜息を吐き、ナイフを"奴"の上に放り投げる。手を伸ばして了に触れようとしたが、触れれば了が汚れてしまうと思い、そのまま引っ込めた。見下ろしてみると、自分のTシャツまで血に汚れていた事に気付く。夏の湿った蒸し暑い空気に、生臭い血の臭いが混じっているのを感じた。
「オレがいつそんな事を言った?」
 心外だった。そんな事は一度だって言った事がないし、自分なりに気を遣って了とは接してきたはずだった。そして了がそれに気付いていないのも勘付いていた。それがもどかしかった。
 だから自分がどれほど了の助けになりたいと思っていたかを、言葉より行動で証明したのではないか。
 学校には飽き飽きしていたところだ。警察に捕まったところで困る事は何もないし、檻の中は良い社会勉強になるかもしれない。何より未成年だし、殺した理由を知れば多少の情状酌量だってあるはずだ。

「そう、だね……」
 了は涙を手の甲で拭いながらバクラを見る。
「ボクが悪かったんだ。ボクが勝手に、キミが素っ気ない人だって思ったりなんかしたから……」
 涙で濡れた手が、夕陽を受けて光りながらバクラの頬に伸ばされる。
「キミはキミなりに、ちゃんとボクの事を考えてくれていたんだよね。ごめん……だから、こんな事……」
 一度"奴"の死体に視線を送り、目を背けてバクラの肩に顔を埋めて泣く。
 何だって了はこんなに泣くのか。相変わらず男のくせによく泣く奴だと、バクラは了の髪に顔を埋めて思う。そちらからくっついてきた為に了にも血がついてしまったので、遠慮なく背に手を回した。
「ごめん、ごめんねバクラ君、ごめんね……ボク達は共犯だ……ううん、ボクのせいだ、ボクがっ……!」
「……共犯、か」

 共犯。その言葉を呟き、響きの良さにバクラの顔に笑みが浮かぶ。

 初めての共同作業だ。しかもそれはどうでもいい事柄ではなく、自分と了との間にあった"邪魔者"を始末する為の、重要な共同作業なのだ。
 了は泣き止まず、自分は"人殺し"という烙印を押されてしまったが、今、血に汚れながら了と抱き合っているこの瞬間は、間違いなく幸福だった。それは街中をぶらぶらと遊び回り、笑い合って楽しい時間を過ごすような輝かしい青春の一コマではなく、光も音もない暗闇で手を取り合い、互いの存在を感じ、見えない闇の中で安堵の微笑を浮かべる静かな幸福だった。
「了」
 バクラは肩を揺すりながら泣く了の顔を上げさせる。汚れた手で触れた為、了の顔に汚らしく血が擦りついた。指先で涙を拭ってやり、そのまま唇へ持っていく。
「オレ達の勝利の味だぜ。とくと味わいな」
 指先を舌に擦り付けて、勝ち誇った笑みを浮かべる。



 自分は泣き続けているというのに当のバクラは笑っている。生臭い鉄の味がする指が咥内に入り、了はえずきそうになりながら舐めた。
 バクラは気が変になってしまった。だから人を殺してしまった今でも、こうして平然と笑っていられるのだ。そしてそうさせてしまったのは、間違いなく自分のせいだった。
 だったらこの狂気を受け入れる事が、自分の出来る精一杯だ。そう思った。
 彼は何れ、警察に捕まるだろう。自分のせいで何も問題なかったはずの学生時代の記憶を、暗いものにさせてしまうのだ。
 指を舐めていた唇は血を舐め取るように手の平に移る。両手で支えるように触れた血に濡れた手は、冷たさを感じる肌の白さとは対称に、体内に熱を隠したように温かかった。
 上目でバクラの顔を窺うと、笑みは消え去っていた。
 獣のような燐光の射す視線とかち合う。それが興奮しているのだとわかったから、了はバクラの首に腕を回し、抱き締めて相手の唇を舐めた。"勝利の味"は、一人で味わうには気が重い。
 了は精一杯の思いで口元を笑わせ、声を絞り出す。
「ボク達……共犯だからね」
 肯定の微笑を浮かべたバクラの唇が、了の唇に触れる。すぐに舌が絡み、鉄の味が互いの唾液に混じる。
 二人の間にあった奇妙な友情は、間にいた"あの人"が消えた事で、一線を越えてしまった。もう友情とは呼べず恋愛でもない、二人きりの奇妙な連帯感が、確かにあった。
 バクラの腕は締め付けるように了の身体を抱く。このまま取り込まれるのではないかと思う程に。



 止まっていた周囲の時間を動かすように、機械らしい無情さでインターホンが鳴った。
「あ……」
 了は青褪めて玄関に顔を向けた後、"奴"の死体を見て、また玄関の方を見て、泣きそうな顔でバクラと顔を向き合わせた。
 このタイミングで誰が来たかなど、出なくてもわかる。悲鳴を聞いた近所の誰かが通報したのだろう。
 それはこの幸福に終わりを告げる合図だ。
 バクラも目を不機嫌に細めて玄関を睨み、"奴"の死体を睨む。死体を別の部屋に押しやったとしても、夥しい血痕と漂う血生臭さは誤魔化しようがない。自分だって血で汚れている。
 焦れたように、もう一度インターホンが鳴る。次第にどんどんと扉を叩く音と「ちょっとよろしいですかー?」とこちらに呼びかける男の声が、ドア越しに聞こえる。
 ――邪魔しやがって。



 バクラは了の肩を掴んで身体を離し、屈んで先程放り投げたナイフを手に取った。
「バクラ君……?」
 ナイフを持って玄関を睨んだバクラに不穏な気配を感じた了は、凶器を持つ手に不安げに触れる。
「オレ達は味方だぜ、了」
 不安を募らせるような笑顔でバクラは言う。どうしてそんな事を言うのか、一体彼は何をするつもりなのだろうか。
 嫌な予感に脈が速くなるのを感じ、バクラの腕を抑えた。
「うん、そうだよ、もちろんだよ。だから」
 これ以上、人を傷付けちゃダメだ。
 そう言おうとしたが腕を抑えた手を退けられて、言葉も遮られてしまう。
「財布を持ちな」
 そう言うバクラは部屋を見渡したと思うと、キッチンの食器棚に目を留めて近付いた。触れたガラス戸の棚には常温保存の利く缶詰や調味料しか入ってないのは見えているはずだが、その内の一つを手に取る。握り込まれて何を持ったのかは見えないが、鈍器になるかもしれない缶詰ではないのはわかった。
「どうして?」
「いいから持てよ」
 わけのわからない行動とセリフだったが、軽くパニック状態の了を無意識に動かすには充分な冷静さを持った言葉だった。居間の棚に置いていた財布を尻のポケットに入れ、バクラを振り返る。
 バクラはナイフと食器棚から取った何かを片手に握ったまま、玄関へ向かっていた。玄関の向こうでは、まだこちらに呼びかける人の声が聞こえる。
「ダメっ……!!」
 了がフローリングの床を蹴ってバクラの背に手を伸ばすと、それを予想していたように腕を強く引かれた。



 了を腕に抱えたまま玄関の鍵を開ける。勢いよくカシャンと鍵が回り、玄関のドアを開ける。ゆっくりと開きかけたドアの隙間から、やはり警官の制服がちらりと見えた。そのドアを思い切り蹴り飛ばす。
「うわっ!」
 向こう側にいた人間をドア越しに蹴り倒した手応えがあった。ドアに弾かれた人物は、背後にいた人間を巻き込んでその場に尻餅をついた気配がする。
 バクラは素早く了の手を引いて玄関を出る。そして半ば面白がった、悪童の笑みで言う。
「プレゼントだ、受け取りなぁ!」
 相手の姿を認める前に、先程キッチンから拝借した塩胡椒の蓋を取り、座り込んでいる警官に向かって振り撒いた。警官達は顔面で受け止めてしまった塩胡椒に悲鳴を上げ、目を擦りながら咳き込む。何が起こったのかわからないだろう。自分達の姿も見ていないはずだ。
 ここへ来た警官は二人。しかし無線は持っている。
 ぽかんとした表情で咳き込んでいる警官達を眺めている了の手を引いて、駆け出した。が、思い出したように後ろを向いて振りかぶる。
「っとぉ、コイツも受け取れっ」
 カラになった容器がこつんと警官の帽子に当たった。

 バクラは走りながら周囲を見回す。窓の外は夕陽が落ちつつあり、落ちた影が青く染まり始めていた。マンションの目の前は駐車場で、窓の真下には植木が並んでいる。廊下で自分達の足音がバタバタとうるさく響く。
 プレゼントが失敗したら、了を人質としてナイフをあてがい、警官の動きを僅かにでも封じて逃げるつもりだった。最終手段だ。逃走の成功率も低いし、そうならずに済んだのは幸いだった。不要になったナイフを片手で折り畳んでポケットにねじ込む。

 ここは六階。"プレゼント"の効果がそれほど長く持つとは思わない前提で考えた。
 警察が車で来たとすれば、階下に誰かいる可能性がある。ざっと駐車場を見てパトカーが停まっていないのは確認したが、ここはマンションの住人の駐車場。パトカーと言えども堂々と人様の場所に停めたりはしないだろう。ここからは見えない場所に停めている可能性がある。あの警官共がそこまで俊敏に動くとは思えないが、無線で連絡を取り合えば、車で待機していたであろう奴は一階で自分達がやってくるのを待ち受けているだろう。あの鈍くさいエレベーターが都合よく乗りたい階で停まっているとは限らないし、階段は駆け下りれば五分もかからないはず。周囲の様子がわからなくなるエレベーターよりは、階段を使った方が逃げやすいと思った。

 廊下の突き当たりにあるドアを開け、階段を駆け下りる。
「ちょっと待って!待って、バクラ君!」
 ようやく事態を飲み込んだ了が後ろから息を切らせて叫ぶのを、バクラは舌を打って睨んだ。走ったまま言う。
「うるせーな、ここは声が響くんだぜ。近所迷惑だろうが」
 了はごくりと息を飲んでやや声を落としたが、息が弾んで小声にはならなかった。
「警察にあんな事して、どこ行くつもりなのっ?」
 バクラは答えなかった。今は走る事が最優先だ。そうでなくても了は走るのが遅い。

 二階まで降りたところで、一旦廊下へ出た。外の様子を知るべきだと直感が働いたのだ。
 階段からでは自分達の足音しか聞こえなかったが、ここではサイレンの音がハッキリと聞こえた。
 思ったより、随分と早い。真面目にこの辺をパトロールでもしていたのだろうか。バクラは感心したが、了はオロオロと無意味に辺りを見回す。
「ど、ど、どうしよう!」
 まだ捕まったわけでもないのに、なぜ了はこんなに焦っているのか。
「そうだな……」
 階下に誰かいるのなら、とっくに自分達が降りてくるのを待ち受けているだろう。バクラは開いていた窓に手をかける。大した高さではないし、下は植木で木と土だ。ある程度は衝撃を受け止めてくれるであろう。
「……まさか」
 了の顔から血の気が引く。バクラは何も言わずに振り返るとニィと笑い、後ずさる了の腕を掴んだ。
「や、やめて……ッ!!」
 抵抗も虚しく、華奢な了は簡単に窓から放り出された。バクラも同時に飛び降りる。

 最高に愉快だ。これぞ青春だ。バクラは笑う。

 サイレンはすぐ近くまで迫っていたが、僅かにこちらの脱出の方が早いのは間違いない。目撃者は0。背の低い針葉樹に身体を受け止められてどちらも無傷。文句なしだ。
 木の上に倒れたまま呻いている了を引っ張り起こし、また走り出した。
「ま、待ってよぉ……」
 待てるはずがない。
 笑みが込み上がるのを抑えられそうもなかった。これからどこへ遊びに行こうか考えただけで、わくわくする。
 これから共犯者になってからの初デートだ!
「さぁあどこ行くかぁあああああ!ヒャハハハハハハ!!」
 サイレンから遠ざかるように、高笑いが住宅街を駆け抜けた。




END




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