短編 救済 ※二心二体 昼間だというのに遮光カーテンを引かれ、室内は薄暗かった。どうせカーテンを開けたところで外は雨。雨のモザイクが窓に映る景色を歪んで濁らせ、灰色の空しか見えやしない。 突然の雨で髪と服を濡らしたまま帰宅したバクラは、コンビニで買った弁当の袋を持ち、荒れた室内で壁に寄りかかって座る了のもとにしゃがみ込んだ。窓を叩く雨の音が耳障りだが、了には聞こえていないだろう。耳を隠す横髪をかき上げてやると、耳栓はちゃんとはまっている。 耳栓をとり、目元を覆っていたアイマスクをとる。薄く開かれた目が睫毛の間から虚ろな動きでこちらを見て、バクラは微笑む。 「よぉ、メシの時間だぜ」 了の口を塞いでいたガムテープを端からゆっくりと剥がしていく。安物を使っていた時は壁に擦り付けて簡単に剥がされてしまったが、少し値段を上げてから随分と粘着力がいい。本来は白い肌が、赤い跡を残しながらテープに吸いつくように、剥がした箇所から現れていく。すると了は自由になった震える唇で呟いた。 「もうここから出して……んでも、何でもするから……」 その重たい二重瞼の目に涙が浮かぶ。昨日まで反抗的な態度を見せて口を聞かなかったせいか、声を聞けた事が嬉しい。 「じゃあずっとここでこうしてろよ。何でもするんだろ?」 バクラの返事に了は項垂れる。両手にガムテープを巻き付けて背後で両腕を纏めてしまったせいで、指を絡ませて励ましてやる事が出来ないのが残念だ。工場のゴミ捨て場で拾った鉄パイプごと脚もガムテープで何十も巻き付けて固定してしまったので、脛を撫でてやる事も出来ない。脚を開いたまま固定したお陰で、排泄の処理は楽になったのだが。 「もうやだ……帰りたい……うちに帰してよぉ……」 了は嗚咽しながら力なく呟く。俯いた顔から、涙がぽたぽたと掛けてやった毛布に落ちる。拘束してから着替えをさせるのが面倒になったので、服は全部引き裂いて毛布だけ掛けてやった。 「何言ってんだよ。お前の帰る場所はここだけだぜ」 バクラは笑って言う。 「オレにはお前が必要なんだ。……そしてお前もな。そこらにいるバカ女はお前の外見だけを見てつきまとうが、オレは違う。ちゃんとお前の性格をわかってる。お前を理解してやれるのはオレだけだぜ」 両頬を掴んで顔を持ち上げてやり、濡れた目を覗き込む。 了は自分達がどれだけ互いを必要としているか、少しもわかっていない。だからこんな目が出来るのだ。こんな、恐怖の中に軽蔑を潜ませたような目を。 だから今日も説得しなければならない。 「あの間抜け共はお前の本当の良さを何もわかっちゃいねぇ。お前の気持ちはよくわかるぜ。オレもあの手の奴等にはうんざりなんだ。口では言わなかったがお前もうんざりしてたはずだぜ。奴等はお前の中身が犬でもブタでも何でもいいんだ。この見た目だけが奴等のお気に入りなんだからな。そんな奴等をお前が気に入るはずもないんだって事が、奴等にはわからねぇのさ。こっちの気持ちなんざまるで無視だ。 あんな奴等は反吐が出るほど嫌いだぜ。お前もそうだっただろ?」 了は黙ったまま、流暢に動くバクラの唇を見つめる。睫毛はまだ濡らしたまま、涙が乾いて頬に白い跡を残している。 自分を拒絶し続けていた了が、自分の言葉に静かに耳を傾けているのだ。嬉しさに自然と笑みが浮かび、バクラは熱心に言葉を続ける。 「オレ達と奴等とじゃ住む世界が違えんだよ。奴等はオレ達の上辺しか見る事を許されないが、オレとお前なら同じ場所で同じものを見て感じる事が出来る。オレもお前もいつも独りきりだが、オレ達は同じものを共有出来るんだぜ。 な、オレ達"一つ"みたいだろ?」 きっとわかってくれる。わからないなら、わかるまで何度でも繰り返す。 自分達は互いを必要としている。誰にも知ろうとされない苦しみを、了となら分かち合える。 了が早くそれに気付けばいい。 了がどれだけ自分を必要としているか、自分がどれだけ了を必要としているかを。 「だから考えたんだ。オレ達は、オレ達が所有し合えばいいってな」 そこまで言ったところで了の唇が震えて開く。 「ぼ……ボク……」 バクラは目を輝かせて耳を傾ける。了の口から、自分を受け入れる言葉を聞けると期待して。 「ボク、を……ここから、出して……」 了はそれきり、言葉を紡がない。徐々に激しくなってきた雨が、からかうように窓を打ち続ける。 バクラの眉間に皺が寄り、不愉快に目を細める。 今日も了は互いの必要性を理解出来なかったらしい。 了の頬を包んでいた手を降ろす。降ろした手が持ち帰ったコンビニの袋を掠め、温めてきた弁当がいつの間にか冷めていた事に気付く。冷めたコンビニ弁当など不味いに決まっている。きっと了は今日も食べないだろう。 床に散らばせたままのアイマスクと耳栓を拾い上げて、了に取り付ける。 「もうやだ、もうやだ、こわいよぉ……暗いのも聞こえないのも、もうやだよぉ……」 了は子供のように泣きじゃくって首を振る。 そうだ、もっと泣けばいい。バクラの唇の片端がヒステリックに歪んで攣り上がる。 ――オレがいなければ、動く事も口を開く事も音を聞く事も、光を拝む事さえも出来ないのだと思い知ればいい。 そしてオレへの恋しさで毎日泣き腫らせ!どれだけオレが重要な存在であるか、無音の闇の中で思い知るがいい!! 上がりそうになる呼吸を抑え、傍らに置いたガムテープを手に取る。適当な大きさに千切りとり、了の唇に当てる前に手を止める。片方の耳栓を外し、耳元に呟く。 「……了、愛してる。了……オレ達は早く一つになるべきだぜ。よく考えてみな……」 再び了の耳を塞ぎ、軽く唇に唇を触れさせる。ガムテープの粘着を残した唇が、離れようとしたバクラの唇に名残惜しげに貼りつく。 これだけ近くにいるというのに、心が離れていてはなんの意味もない。抱き締めようにも固定した了の脚が邪魔でそれすら叶わない。一つになればこんな物は不要だというのに、今の了ではこれを外す事は出来ない。 自分達はパズルのようにカチリとはまる事が出来るのに、了はそれに気付かないのだ。 外で窓や壁を打つ豪雨が騒音のように室内に響く。目の前では了がしきりに肩を揺らして泣いている。あんまり苦しそうに泣きじゃくるので、このまま口を塞ぐのは酷な気がした。だから今日はこのまま口を塞がずにいようと思った。 千切りとったガムテープを丸めて投げ捨てる。身体を揺すって泣き続ける了の隣に胡坐をかいて座り、そこらに転がっていたナイフを手に取る。 ナイフを自身の腕に当てて引く。切れ味の悪い刃が皮膚を引っ掻き肉を裂く。冷たい痛みと共に、刃の通った箇所に赤い線がなぞられる。ぷくりと血が溢れ出し、赤い珠が潰れて腕を伝って流れた。それを見てバクラは満足気に笑む。 了が涙を流した代わりに、涙を流せない自分は血を流すのだ。腕には治りかけの傷が、漂流者が木に刻む日付のように、白い肌に汚らしく瘡蓋をこびり付けて並んでいる。 バクラはナイフを放り投げ、了の肩に頭を預けて寄り掛かる。脅えたように了の身体がびくりと震え、流れた血が触れた毛布を赤く汚す。 「オレ達は一つになれるんだぜ……了」 きっとわかってくれる。わからないなら、わかるまで何度でも繰り返す。 自分達は互いを必要としている。誰にも知ろうとされない苦しみを、了となら分かち合える。現に今もこうして苦しみを分かち合っているではないか。 了が早くそれに気付けばいい。 了がどれだけ自分を必要としているか、自分がどれだけ了を必要としているかを。 自分達を助けられるのは、お互いだけなのだから。 END [*前へ][次へ#] [戻る] |