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短編
「いつもあなたを見てました」※R15
※双子でバク獏






 時々、オレの下駄箱に"間違えて"了へのラブレターが届く事がある。
 その内容のほとんどが「いつもあなたを見てました」とか「気持ちだけ伝えたくて」といった一方的な気持ち悪いものだ。全部読む気も失せるほど薄ら寒い。双子とはいえ兄弟の下駄箱も間違えるくせに、何が「いつも見てます」だ。何が「気持ちだけ伝えたくて」だ。そんな馬鹿女の手紙は了本人の手に届く事なく、いつもオレの手で処分される。
 だが、今日はいつもと趣向が違う。下駄箱に置かれていた手紙をポケットにねじ込んだオレは、屋上へ向かっている。
 その手紙の内容は「今日の放課後、屋上で待っています」という、丸っこい文字の簡潔な一文だけだった。宛名は「獏良くん」。オレも了も「獏良くん」だ。
 間違いだと思い込んだのは、オレと了の周囲からの評価がまったくの正反対なせいだ。
 了はいつも女に追い掛け回されているが、オレはいつも男女共に避けられている。一卵性の双子だってのにどうやって見分けているのか、クラスの奴を捕まえて聞いてみたら「オーラでわかる」と言う。馬鹿か。
 こうして手紙に従って屋上へ向かっているのは、来るはずもない了を待ち続ける女が哀れだからじゃない。こんな致命的な間違いを犯した馬鹿女のツラを拝むためだ。オレが行って間違いを茶化せば女は泣き出すかもしれない。いい気味だ、と悪趣味な想像で口元を歪ませながら、屋上のドアを開けた。



「あ?」
 思わず素っ頓狂な声が漏れた。
 なるほど、目の前の女はわざわざ相手を屋上に呼び出すだけあって、見た目は悪くないかもしれない。コイツの想う相手は了だと思っていたオレは、オレを見ただけで何かしら後ろ向きなリアクションをとるだろうと思っていた。
 しかし女はオレを見ても尚、恋する乙女の仕草をやめようとしない。それどころか「ずっとあなたを見てました」とまでほざく。もしかして下駄箱だけじゃなく、外見も了と見分けがついてねぇのか?
「実は時々、あなたの下駄箱に手紙を入れてたのは私なんです……お兄さんの方と違って弟さん……つまり、あなたは人付き合いもあまりないみたいだし、気持ちを知ってもらうだけで満足だって思ってたんです。でも、この頃それだけじゃ満足できなくなって、どうしてもお話したくなってしまって、こうして呼び出してしまいました……突然ごめんなさい。でも、来てくれて嬉しいです。手紙、読んでてくれてたんですね」
 女は用意していたような台詞を早口で一気に言った。視線が泳ぎ、手元は落ち着きなくもじもじと長い髪の毛先をいじっている。
 そういえば、とポケットの中の手紙に触れる。そういえばこの丸っこい字は今までも見た事があったかもしれない。女というのは総じてこういう文字を書くのだと思い込んでいたが、同一人物だと言われればそうかもしれない。迂闊だった。あれらは間違いレターではなく、間違いなくオレ宛だったのだ。
「そうかよ」
 想定外の展開に、オレの思考回路もなかなか追いつかない。こんなはずではなかった。
「あの、獏良くんってお兄さんの方はおっとりしてて可愛いなって私も思うしみんなも断然ソッチだって言うんです。あなたは……時々3年生とケンカしてたり街中で見知らぬ外国人と一緒にいたりしてて恐いってみんな言うんですけど、私は実はそんな事ないんじゃないかなって勝手に思ったりしてて……」
 見知らぬ外国人呼ばわりされている人物に思い当たる節があって、思わず噴き出しそうになる。恐らくマリクの事だろう。どう見ても他国の人間だし実際にエジプト出身らしいが、話す言葉は日本語でただのバイク屋だ。
 オレの口元が笑いそうになっている事に多少気が緩んだのか、女は固かった表情をいくらか和らげて続ける。
「だから、一度だけでもこうして会ってお話してみたかったんです。そしたらあなたはちゃんと手紙を読んで、ここに来てくれた……」
 女が俯いていた頭を上げて、初めてしっかりとその顔を見た。
「突然で厚かましいかもしれませんけど、よければ…、その、わ、私と……、友達からでもいいので……付き合ってくれませんか……?」
 消えそうな声だったが、オレの目を見て言った。頭一つ分より低い位置にある女の顔を見下ろす。
 詰めた距離で見て、改めてこの女が薄く化粧している事に気付く。化粧がなくても汚い肌をしているとも思えないのに、何故わざわざそれを汚すようなマネをするのかオレにはわからない。長いと思っていた睫毛も嫌にくるんとして規則的で、後付のものだとわかる。了は素でこんな睫毛をしてるってのに。
 よく考えれば、了はファンデーション?なんかをつけなくてもこんな肌をしているし、きっとヒゲも生えてないに違いない。洗面所にある剃刀はオレの分しかないが、アイツがそれを使っている形跡もない。化粧で大きく見せている目だって、了の重たげな二重があってもまだデカい目の存在感には敵わない。夏服の短い袖から覗く柔らかそうな腕も、中身は黄色い脂肪が詰まっているのだと思うと萎えるものがある。それなら了の簡単にへし折れそうな腕の方がまだマシだ。この脂肪のつき具合では都合よくスカートに隠されている下半身も、こんなチビのくせに了よりデカいケツを持っているに違いない。
 つまりこの女は、オレの双子の片割れ以下だ。
「何勘違いしてんだか知らねぇが、テメーと今後関わるつもりは微塵もねーよ」



 了が刺々しい態度でオレの部屋に乗り込んできたのは、次の日の晩だった。
「ちょっとお前」
 ノックもせずに入ってきた了だが、オレが既に部屋を暗くして寝入ってた事に面食らって立ち止まった気配がした。昨日徹夜でゲームをしたせいか寝不足で、帰宅早々さっさと寝ていたオレは、廊下から差し込む明かりを避けるように掛け布団を頭まで引き上げる。
「んだよ、うるせぇな」
 それでも了は気を取り直して掛け布団を剥ぎ取る。
「なんだよじゃないよ!お前、今度は女の子に酷い事したんだって?!」
「あぁー?」
 まったく思い当たる事がない言いがかりに、睡眠妨害された不機嫌も手伝って険しい視線を了に送る。
「意味わかんねーコト言ってんじゃねえ。こちとら寝てんだよ、邪魔すんな消えろ」
 しっしと手を振って、剥ぎ取られた掛け布団の代わりに枕を抱きかかえる。寝かかっているところを邪魔されるのが一番気分が悪い。
「ダメダメ、ちゃんとお前の言い分聞くまで許さないから!」
 今度は枕も毟り取られ、舌打ちが漏れる。話が済むまで部屋から出て行きそうもない。
「なんだってんだよ」
 寝転がって目を開けないまま言うと、了はベッドに腰を下ろして話し込む姿勢になった。ウゼぇ。
「昨日、屋上で女の子を泣かしたんだって?一体何したのさ。確かにお前って素行悪いし口も悪いし学校でもロクな噂聞かないけど、子供と女の子には酷い事をしないって信じてたのに……」
 ああ、あの事か。と、思い当たって、ボリボリと頭を掻く。
「別に酷い事なんざしてねぇよ。付き合ってくれって言われて無理だから断っただけだぜ。お前だってやってる事じゃねぇか。責められる謂れはねぇよ」
 完璧な言い分だと思って口にしてみると、了は口篭るでもなく驚いて目を丸くする。
「お前、女の子に告白されたの?」
 どうやらそっちの方が気になったらしい。なんで意外そうにしてんだよ、コイツ。
「文句あるかよ」
「なんで振っちゃったの?もう二度と貰い手がないかもしれないのに!」
 今度は趣向を変えて責めてくる気らしいが、まだ寝足りないオレは掛け布団を取り返して包まり、背中を向けた。了と女の話なんざしたところで、最終的にコイツの倫理観を押し付けられるのは目に見えている。こんな会話はさっさと切り上げるべきだ。
「何が貰い手だ。こっちからお断りだってんだよ。オレは寝てんだぜ、とっとと消えな」
 わざとオレに聞かせるような深い溜息が背後から聞こえる。
「そんな性格じゃ一生ついてきてくれる女の子、いないかもしれないんだよ?」
「結構だな。ブスが生涯ついて回るくらいなら死んだ方がマシだ」
「ブスって……結構可愛い子だって聞いてたけど」
「化粧で見れる顔になってただけだぜ。あんなので騙されるかよ。何ならお前が付き合ってやりゃいいだろ。顔は大して違いねぇんだ」
「今誰かと付き合うとか考えたくないんだけど……じゃあお前は、どんな子ならいいのさ」
「どんな……?」
 ふと、オレ自身が疑問に思った。たとえばオレは、どんな女なら許容範囲なのか。

 この歳にもなれば下半身に溜まるモノは勝手に湧いてくるし、抜く事はもちろんある。だがそれはあくまで事務的な処理であって、女をどうこうしたいという類の感情からくる行為じゃない。そういう行為において重要であろう想像上の相手も、身近な女や、ましてや想像上にしかいないような女でもない。行為するのはオレの右手であって、"どこかにいる誰か"じゃなかった。オレの右手は間違いなくオレの右手でしかなく、閉じた瞼の裏にあるのは、いつも暗闇でしかなかった。
 学校でも遊び先でも女はしばしば視界に入るが、オレが思うのは、視界に入った女がブスかブスじゃないかという事だけだ。ブスじゃなければ視界に入る事を許すし、ブスなら視界から追い出す。だがこれは女に限った事じゃない。男だって不細工を視界に入れるのは不愉快だ。汗臭いのが嫌いな分、判定が女よりもシビアだろう。
 オレの一番身近にいる人間が了だ。そのせいで基準が了になったんだろう。了は男だが、男のくせにそこらの女よりよっぽど良いパーツを持っている。女より足りないのは胸くらいで、余計なものは股間のブツくらいだ。その了より劣っているという事は、だいたい同じ顔をしたオレより劣っている、つまり釣り合っていないという事だ。そんな奴らと関わりを持つ気はない。
 これは厄介だった。了を基準にしてしまえば、この世の女はほぼブスだ。道理でオレの視界に女が映らないわけだ。そうなるとオレは、一生恋をしないのではないかと思えた。

 回想モードに入り込んだオレから意見を引き出すのは諦めたのか、布団ごしにぐいぐいと背中を小突いて了が言う。
「とにかく、泣かせたくらいなんだからどうせ酷い言い方したんでしょ。お前はもっと優しい言い方を覚えた方がいいよ。告白の返事だけじゃなくて、普段の態度でもね」
 確かに、と思わないでもなかった。あの後、女は声を失ったように何も言わないまま唇を震わせ、涙の溜まった目でオレを見上げた。その顔も今はもう覚えちゃいない。オレは断りの返事以外は何も言わないまま、さっさと女に背を向けた。だが、告白はそういう返事だってあるものだと想定してするものだ。まさか受け入れられるという確信があったからああいう行動をとった、というわけでもあるまい。
「テメーは得意のお優しい態度のせいでつけあがった女共に追い回されてんだろうがよ」
「うぅ、そうなのかなぁ」
 了も思うところがあるのか小さく呻く。ベッドが軽く軋み、了が立ち上がったとわかる。気が済んだらしい。やっと静かに眠れそうだ。
「ボク達、双子じゃなくて一人の人間になったらちょうどいい性格になるのかもね」
 去り際に了を一瞥する。向こう側の明かりが横顔のシルエットを浮かび上がらせる。やはり化粧をしなくても、了の睫毛は長い。
「じゃ、おやすみ。邪魔してごめんよ」
 了はそれだけ言い残して部屋を出た。廊下から漏れた明かりが狭まってドアが閉まり、室内は暗闇を取り戻す。眠気はすっかり消え失せていた。



 しばらく寝ようと試みたが結局眠れず、すっきりしない気分を変えようと洗面所のドアを開けると、既に了が風呂を使った直後だったらしい。了は下はパジャマで上半身は裸のまま、肩に掛けたタオルでわしゃわしゃと長い髪を拭いていた。
「あれ、起きたの?シャワーするなら入っていいよ。ボク、部屋で髪乾かすから」
 オレに気付いた了は濡れたままの髪を肩に垂らし、ドライヤーとパジャマを抱えて入れ替わるように洗面所を出ようとする。テメーに邪魔されたせいで寝れなくなったんだよ、と言いたい気分を抑えた。外面は良いくせに内弁慶気味なコイツは、言ったらきっと反論するだろう。寝足りない今の気分での言い争いはストレスを促進するだけだ。
「ああ」
 すれ違い様、剥きだしの肩に見入る。こんなに細くて、白かっただろうか。今の寝ぼけ目では眩しさすら感じられる。
 そう言えば一緒に風呂に入っていたのは小さいガキの頃だけで、小学の高学年になる頃には別々に入るようになっていた。オレはパンツ一丁でも家の中をうろつくが、お上品な了は家でも必ず服を着る。久しく見ていなかった了の身体は、オレと同じだと思い込んでいたのに全然違って見えた。視線は勝手に了を追う。
「うわぁっ、何?」
 了の声でいつの間にか肩を掴んでいた事に気付き、自分でも驚く。まったくの無意識だ。
「……髪、ついてんだよ」
 実際、背中に貼りついていた髪を摘み上げる。引き止められると思っていなかったであろう了は余程驚いたのか、ほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、驚かさないでよ……」
 オレだって驚いた。
 平らな胸は薄っぺらく、腹にも筋肉の凹凸が見当たらない。コイツの遊びはいつもインドアだ、無理もない。素材は同じだが過ごし方の違いが、身体には顕著に現れていた。オレはここまでのっぺらな身体はしていない。だが、それ以上に驚いた事が。
「お風呂場、使ったらちゃんと換気扇回してよね。お前ってばいつも忘れるんだから」
 パタンとドアが閉まり、洗面所に了の撒き散らしたシャンプーの匂いだけが残される。

 笑いが込み上げてきた。久しぶりに了に触れて、ある一つの答えを見つけてしまった。どうして今まで気付かなかったのだろうか。

 基準が了だったわけじゃない。最初から、了がよかったんだ。

 了の肩を掴んだ時、自分でも信じられない衝動が心のどこかにあった事を、認めないわけにはいかなかった。
 思えば、オレの視界はいつも了しか映そうとしていなかった。それ以外の人間には興味がなかった。自慰の時、オレの右手は了の手で、オレの呼吸は了の息遣い、瞼を閉じたのは、それらが自分のものだと気付かないように用意した暗闇でしかなかった。
 しかしそれももう出来ない。オレは、この感情に気付いてしまった。了の身体を見てしまった。想像を助長する感情と材料を、得てしまった。
 なんだ、と、拍子抜けするような嬉しさが胸の内に湧き上がる。オレは恋を、恋をしていたのだ。人並みに、そこらの連中と何ら変わりなく。

 了の残した香りの中で、洗面台の鏡を見る。そこにはオレを見つめ、全てを享受して微笑む了がいた。その微笑に吸い寄せられるように鏡に触れる。
「ボク達、双子じゃなくて一人の人間になったらちょうどいい性格になるのかもね……」
 さっき部屋で聞いた言葉だった。うっとりと目を細めて囁く了に引き寄せられ、額がこつんと鏡に当たり、我に返る。
 きっと了は、何気なく言ったその言葉の深い意味など知りもしないだろう。オレだって気付かなかった。了がこの答えを導き出すのにオレが急かせば、常識人であろう了はオレを拒むに違いなかった。
 だが、それが何だと言うんだ?
 ずっと他人への興味を抱けないと思っていたオレが、実は自分でも気付かない内に恋焦がれていた相手がいて、それが一番身近な了という存在だっただけの話だ。
 そこに了の気持ちが、関係あるだろうか。

 鏡の中の了が哀しげにオレを見つめる。オレが笑い返すと、鏡の中の了も安心したように笑う。
「安心しな。お前を傷付けるつもりはねぇよ」
 近付いた顔に口付けると、冷たい鏡の感触が唇に触れる。
 今はまだ、これでいい。焦りはしない。了はもともと、オレのものだ。
 鏡の中の了が、嬉しそうにクスクスと笑っていた。




END




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