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思惑はバラバラのようでいて。
あの夢の先まで 9
彼は、客によってころころ態度を変える俺とは全く違い、常にあのような落ち着いたタイプのホストなのだろうと思っていた。
俺の知る新宿No.1の男は、いつも優麗な微笑を浮かべて、その独特の澄んだ瞳に柔らかな色を湛えている男だったから。二つ年下だと聞いていたのに、とても適わないと思わせる何かが在った。
嘘を吐かれていると知っていたとして、そんな事は問題でもなかった。別に彼が嘘を吐かぬ誠実な人間に違いないなどとは思っていなかったし、この業界で嘘も真も在ったものじゃない。
所詮そういう場所で…いきている。
今更何があろうと驚く必要も無い。
それでも…戸惑わなかったと言えば嘘になるのだ。
対峙した瞬間の、彼の瞳…。
冗談きつ、と洩らした彼の瞳は、「信じられない」という色をはっきりと浮かべていた。
"しんじられない"?
何を信じていたのだろうか。
人を簡単に信じることがどんなに愚かなことかと、熟考したことは無いのだろうか?
何にせよ俺としては、信じてほしいなんざ元より思っちゃいないし、それによって俺に何か利があるとも思えない。奴が俺への信頼を失おうと全く問題は無いのだ。
なのに。
「…どういう、つもりなんだか」
引っ掛かる。
勿論、深い意味など無いのだろう。
俺が心配だとか、俺を信用してるだとか、そんな口八丁、何もわざわざNo.1「金時」の銘打ちがなくともやって退ける。
そんな事は分かっている。それでも…未だに、心の中ではそれが燻っているのだ。
敵を目の前にして、再びの変化をした彼の瞳。
あの瞳に焼かれてしまったかのように…、燻って、いるのだ。
燃えるように輝く金色の髪と。
刹那、瞳に宿した紅色の炎と。
激し過ぎるほどの、俺が失くしたモノ。
溢れ出すほどの、俺が失くしたオモイ。
心底眩しかった。今まで思っていたのとは、また違ったヒカリを持っているらしい。
それが、ある種の苛立ちに似た感情と化して、苦しかった。
坂田金時…か。
プルルル、
溜息を吐いた所で、デスク上の電話が無機質な音を投げて寄越した。書類作成中の画面から目を離すと、外線を示すランプを明滅させる受話器に手を伸ばす。
「はい、ひじか…」
「土方十四郎さん?」
覇気の無いダルそうな声が、鼓膜に直接響く。聞き覚えの無い声に思えた。
「…そうですが」
言い掛けたところを遮って名を確認するなんて、と訝しく思いながら返答すると、馬鹿にしたような答えが返ってきた。
「あーすいません間違えましたー」
「は…?」
馬鹿な。俺が名乗る前に俺の名を確認した奴が「間違えた」なんてふざけ切っている。そもそも、電話は受付から回される。受付に掛かった時点で俺の名を告げて繋いでいる筈なのだ。
何かこの思考を収拾する答えでも聞こえやしないかと思った。右耳からは電子音、もう片方の耳からは周囲の者がワークをこなす音が入ってくる。
だがいくら待てども、ツーッ、ツーッ、とコンスタントに響く電子音は何の感慨も無さそうに、受話器を置く事を唯々催促するばかりだった。
とっくに…本当は、薄々感づいている。
否…、むしろ、ほぼ断定的に。
余り考えたくは無いが、不味いかもしれない。
画面に目を戻すと、書きかけの書類が映る。受話器を置くとマウスに持ち替えて、ポインタを「上書き保存」に合わせた。
これくらい簡単に、どんな新しい事実も不都合な真実も一瞬で許容出来たら良いのに。
更新にすぐエラーの出てしまう「ヒト」である事の不便さを痛感しつつ、無駄に同じコマンドを繰り返してから、遣り切れなさに乗せて息を吐き出した。
何にしたって、相手の出方を待たないと始まらない。
*
男は受話器を置くなり、銀髪を揺らしてくるりと振り返った。背後の男を見やりながら、ビンゴ、と呟く。
「間違いなく居たよ」
「あたりめェだ」
短く言葉を零した黒髪の男は、吸い掛けのピースから唇を離し、瞑目を解いた。銀時がそれを横目に、ソファの方へと戻っていく。
「なーるほど、単に遊んでたワケじゃないっつーことね」
「そう見えでもしたか」
高杉もそれに続いた。
「だってお前、いつも何だかんだ遊んでんじゃん」
「まァ、正直今回も俺の努力の成果とは言いがたいのは事実だな。努力はしたんだが」
「努力ねぇ?」
苺牛乳の空パックが、無意味にストローから空気を抜き取られへこまされる。ペコッ、と間の抜けた音が響いた。
「取り敢えず、今回の依頼は金払いが半端じゃねーんだから…」
「うるせェ分かってる、シゴトは最後まできっちりやらァ」
向かいのソファに身を沈めた高杉が、遮ってニヤリと笑んだ。
「仕事場さえ割れちめェば後は時間の問題だ」
「まァ、そりゃそうだけど…しっかし、よく突き止めたな」
「威張れやしねェが、オメェの弟に聞いたんだよ」
「は?」
銀時は眉を顰めて聞き返した。続いてパックを一度口から離す。
「何で金時が関係してくんだよ」
「あいつ、向こうさんと知り合いだったみてェでな。まァ家までは知らねェようだったが」
「ふーん…」
銀時がゴミ箱に向かってパックを放り投げた。惜しくも縁に当たって跳ね返ったそれを気に留めず、銀時は再び口を開く。
「ま、金時を巻き込まねーためにも、さっさと済ませねーとな…どっちにしろ晴鮫会の奴らは短気そうでいけ好かねーのばっかだから、期日より早めに出来りゃその方がいい」
「気が短ェっつーのは確かだ…ウチのNo.1、手負ってたぜェ」
「へぇ?そりゃまた結構な勇み足だな。土方十四郎がやられたらこっちの依頼もパァだ…つーワケで頑張れ」
「ったく、手伝いもしねェで…」
「二人揃って店に潜ったら疑われんだろうが。俺だって客の女にちやほやされてー気持ちは一杯なんだけどね?んでも今んとこおめーに任すしかねーんだよ」
銀時がやっと立ち上がってパックを拾いに行った。
「おめーがそいつの私宅突き止めてくれりゃ、その後は協力すっからよ」
「あァ…どうにか取り入ろうと模索中、だ。隙は見せねェし、どうもご友人にはなってもらえそうにもねェからな」
高杉が口端を歪めて、灰皿に寄せたピースから灰を落とした。
「それ以外の取り入り方、って…単におめーの趣味なんじゃねーの」
「そういうんじゃねェよ」
銀時がクスクスと笑って、キャスターの箱を手に取った。取り出した一本を銜えると、高杉がそちらにジッポを放る。
反射的にキャッチした銀時が、気ィ利くじゃん、と言うと、こんでもホストだからな、と高杉が笑った。
「そういう事にしときゃァ、色々探ってても言い逃れられんだろ……まァ、どうも簡単に人を信用する奴じゃなさそうだが、な」
「人の気持ちを利用しようっつーんだから、最低だよおめーは」
可笑しそうに笑う銀時が銜えているキャスターから、甘い芳りが立ち上る。
こんでもホストだからな、ともう一度繰り返した高杉が、銀時の方へ灰皿を押しやった。
「今に消されるって分かってる奴に入れ込むような、酔狂な時間の無駄遣いはしたくねェしなァ」
「仮にも上司に対してひでー言い様だなオイ」
銀時がふうっと煙を吐いて、ニヤニヤと笑ってみせた。
「まァ…、珍しく賢明じゃん」
ただ、その瞳だけは、笑みとは少し違う感情を覗かせていた。
*
「…なかなか高尚なご趣味で」
無造作にイヤホンを外した沖田は、興味無さ気に呟いた。
まぁ、俺も言えた筋じゃない。
そもそも、出来る事ならこんな足の付きそうなものは使いたくなかった。
盗聴した会話の内容を考えれば、本来なら驚いていいところだろう。だが、以前土方が携帯を忘れて店を出た時に偶然目撃した高杉の行動で、これくらいの事は予想が付いていたのだ。
あの時、土方の携帯が置き放されているのを見とめた高杉は、躊躇いも無くそれを開いたのだった。
元より信用できる人間とは程遠かったから、彼が自らのポケットからメモリカードを取り出した時点で、何をしようとしているのかはすぐに理解できた。
データを、抜き出そうとしている。
それだけ確認すると、中を覗き込んでいた入り口からさっさと離れたのだった。
何せ、あの携帯は営業用のものだと、知っていたからだ。もしプライベートと仕事用の携帯であったら焦らないわけにはいかないが、営業用では客の女のデータややり取り程度しか入っていない筈だ。ロックの一つも掛けていないだろうが、実際その必要も無い。
全く抜けた真似しやがって、と呆れてはみたものの、実質そのお陰で高杉という男に対する疑心に確証が得られたのだから、結果としてはプラスだった。
しかし彼を不審に思ったところで、その行動の目的に関しては、独断で決め付けるには些か不安が残っていた。
だがそれも、今回の会話の内容でおよそ全容が見えてきたのだ。
入店の際に皆、一通りの対人関係は洗われている。そして特に他の組などと通じている形跡の一切見られない者が入店を許されるのだった。
彼とて例外ではないが、万事屋稼業がこれだけ幅広いという事までは誰一人予測などしていなかったのだ。甘かった、のだろう。
それにしても、雇主の名まで聞けたのはラッキーだった、と思う。
何故なら、雇主…晴鮫会の目的に関しては、とうに知っていたのだから。
それはつまり高杉たちが依頼された内容に一致するのだろうと、容易に予想が付く。
となれば。
彼らの動きは読めたも同然だ。
沖田は瞼を伏せると、自らの首に掛かる紐の先に括られている、全ての元凶を指で弾いた。
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