脅しじみた、忠告

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痛い目、って…これか。


あの夢の先まで 8
 


路地を曲がった瞬間、頭から冷水を浴びせられたような心持ちがした。

ピンと張り詰めた空気、身を刺す様な殺気。
"ホンモノ"の相手だと一瞬にして感じ取った。

人々のさざめきは、近いようでいて別世界のものと変わる。
 

 
俺の眉間の中心にピタリと押し当てられた銃口は、余りに冷たかった。
 

 
 
 
*
 
 
 
 
 
「そうか…、なるほどなァ」
 
俺とさして変わらぬ量を飲んだ筈なのに、高杉は顔色一つ変わっていない。どこまでも笊だと内心舌を巻く。
俺だって恐らく傍目に見ればしっかりしているように見えるだろうが、実際は体があまり付いて行かない状態なのを気力でもたせていたのだ。
 

結局あの日はラストまでいて、女を送ってから帰ろうと思っていたのだが、聞けばこれから友達と落ち合うことになっているから送らなくていいという。
本当、自分を含め歌舞伎町界隈で暮らす人間の時間感覚は狂いきっていると思う。
 
そこで彼女とは店を出た所で別れ、方向の同じ高杉と共にタクシーに乗り込んだのだ。当たり障り無い会話の後、思い出したように彼が持ち出してきたのはあいつの話題だった。
 
「そういやオメェあいつと知り合いなんだろ?」
 

その質問を聞いた瞬間、心の内を読まれたようで本気で驚いた。
正直その時の俺はその"あいつ"の事で頭が一杯だったのだ。


洗練された所作はいつも通りに完璧で。
整った表情や声はいつも以上に甘くて。

俺の知らない、知るはずの無い、シゴトの顔。

眩暈を起こしそうなほどの衝撃、脳内を一瞬にして駆け巡った痺れ。
自制の効かなくなるほどの、嫉妬心。
考えれば考えるほど、掻き乱されていく頭の中。考えたくないといくら願っても、頭から離れないあの情景。

自分でこれが何なのか気付かない訳ではなかった。
いや、或いはもっと、ずっと以前から。


高杉は、俺の態度を大して気に留めず、色々と質問をし出した。

いつ何処で知り合ったのか、何度くらい会ったのか、どんな話をしたか。
何処に住んでいるか知っているか、とまで聞かれた。
あまりに色々と聞いてくるのを不思議に思ってはいたのだが、酔いに任せて律儀に答えていた。深く考えている余裕なんてなかった。
 
そして、一通り尋ね終えたのか、彼は冒頭の言葉を告げたのだ。それを合図に俺も持っていた疑問を一言で返す。
 
「何なんだよ?」
 
「大したこっちゃねェさ」
 
高杉は自らの首から下がっているプラチナのチェーンを弄びながらニヤリと口元を歪めてみせた。
 
「ちっと色々と興味があんだよ」
 
「興味?」
 

ヒヤリ、とした。
生粋の遊び人でバイのこの男がそういうと、どういう意味なのかと勘繰ってしまう。昔から、気に入れば女だろうが男だろうが節操無く手を出す奴だ。
 
 
「それって…」

言い掛けた所で、キッ、と短く音を立ててそのタクシーは停車した。自然と語尾は奪われる。

「…何だ?」

運転手に金を支払いながら、彼は先を促した。俺はまだ降りないので、何もせずにそれを眺めながら首を振った。

「いや…別に大した事じゃない」

無自覚に先ほど相手が放った台詞をそのまま返すように言うと、そうか、と首肯して財布をしまう。


「ああ、一つだけ言っとくがなァ」

シートベルトの存在を完全に無視していた高杉は、そう言いながら車のドアを開けるとそのまま夜道へ降り立って、前触れもなく意味不明な忠告を投げた。

 

「痛い目見たくなきゃァ、アイツとはあんま関わんな」


 
「…は?え、何…」
 
思わず問い返すも、高杉はそのまま意味深な笑みを残してドアをバタンと閉める。 
 
続いて動き出す車に、その真意を知る術は絶たれた。


…正直意味が分からなかった。


「お客さん、赤坂でしたっけ?駅前?」

「…」

「聞いてます?」

「……え…?、ああ、そうです」

運転手の微かなイラつきを含んだ声にやっと現実に引き戻され、慌てて返答を返す。



馬鹿な事を言う。
つまり、そういう事なのだろうか。
 
先輩がアイツを好きで、俺に脅しを掛けた、と。

そう見るべきなのだろうか。



分からない。

 
 
 

*
 
 
 
 
 
それから二、三日経って、さすがに約束の相手と日時を決めなければならないのに、連絡を出来ずにいた。
 
別に、アイツとあまり関わるな、という忠告を忠実に守るためという訳ではない。色々な点で、余りに動揺してこんがらがってしまったのだ。
 
連絡をしなければ、とは思うものの、会ってどうするのだという思いも断ち切れない。気づいてしまった以上、このまま叶いもしない感情を抱えて会い続けるのは自分の首を絞めることにしかならないようにも感じられる。
 
そして、あの脅迫じみた忠告。
 


その日は珍しくアフターも入らなかったので、ラストソングを終えるとすぐに皆で上がる事が出来た。

店を出るとその温度差をはっきりと肌で感じる。
最近、結構冷えるようになってきた。悴む、という程ではないが、服の上からでも何となく肌寒い。
もうすぐ冬か、と考えると多少気分が塞いだ。

ホストというのは年中通して厚着の出来ない職業であるから、冬になるとそれなりに厳しいものがあるのだ。
かと言ってあとどれくらいで本格的に冷え込むのか、予想が付かない。
年中変わらぬネオンの空は、季節の変化を指折り数えてはくれないから。



またこのままホストとして冬を越して、良いのか。
今、事務所の切り盛りは、所謂イソ弁というのか、事務所に見習いとしてもう一人いた弁護士にお願いしている。
それにしたってまさかいつまでもこのままという訳にも行かないだろう。

胸ポケットに入っている名刺入れは、お守り代わりになっていた。
このまま一生お守りなのだろうか。
一枚しか使われぬままに役目を終えるのだろうか。
それとも。

無駄に演繹したって、決めるのは自分だ。




一緒に歩く仲間や周囲の者たちに暗い表情を見せぬように気を配りながら、曖昧さを握り締めた右手をポケットに突っ込んで携帯電話を徒に玩んだ。連絡をしようかどうしようか、と考えながら。
 
 
「…、?」
 
ふとその時、何か張り詰めた空気を感じた。
この感じ…俺には向けられていないが、
 
周囲の仲間に気をやりつつも、神経を研ぎ澄ましてその源を探す。
 
 

……あれか。
 
チラと横目に振り返ると、右斜め後方の男が、俺と同じように右手をポケットに突っ込んで歩いていた。
だが恐らく、あの男が掴んでいるのは携帯ではないだろう。あの油断ない瞳。俺が振り向いたのに気づかないのでは、そこまでの技量を持ち合わせていないのか、それともかなり集中しているのだろうか。

そこまで冷静に観察して、何にせよこんな所でよくやるものだ、と呆れた所まではそんなに差し迫った感情は無かったのだ。



それが男の視線を辿ってその標的を視界に捉えた時、一気に血の気が引いた。
 
 

 

「ちょっと…悪い、俺呼び出し入ったから急ぐわ」
 
「あ?金…、おい」

「ほんとごめん、」

一番近くにいた同僚に声を掛けると、向こうが驚いたように呼び止めるのを制止して集団から離脱した。
自分より後ろにいる男に悟られぬよう、前方の男に集中しすぎずにそれとなく足を速めて後を追う。
 
何で彼が狙われている。
いや、そんな事は今どうでも良い。とにかく本人に教えて逃げてもらわなければ。

実際のところ、この格好では絶対に会いたくなかったのだ。
こんな格好をしてこの時間に歌舞伎町を歩く弁護士は居ない。100%俺がホストだとバレてしまう。

…そうしたら、どう思われるだろうか。

かと言ってこんな状況で他にどうしようもない。こんな人ごみで追っている方に絡んで、もしマズい事になっても問題だし、電話じゃ立ち止まってしまうかもしれない。むしろ危険だ。
 
 
暫く早足に尾けていると、後ろの男との距離より前方との距離が近くなってきた。もっと急げば追いつけるのだが、そんな事をして後ろの者に怪しまれてしまっては無意味だ。
もう少しこのまま…
 
「…!」
 
そう考えた刹那、彼は突然細い路地に折れた。…あちらまで付いて行ったら…後ろの男にバレてしまう確率が非常に高い。
路地に入った瞬間、そいつの来る前に走って追うしかない、か。
 
 
ぐ、と握った手に力を込めると、何気ない風を装って曲がり角に近づき、横道に折れた。
 
 
 


 

そして、次の瞬間には、もう俺の生命は相手に掌握された後だった。


眉間に押し当てられた硬質のそれが、押し殺された殺気と共に体中の体温を奪う。


予測していた光景…、遠ざかっていく彼の後姿、なんてものは存在しなかった。
視界に捉えたのは、近距離から真っ直ぐに此方を見据える、

あの時と同じ、彼の端整な顔立ち。
 
しかし、その瞳は駅で会った時とは全く違う色を浮かべていた。ぞくりとする程に冷たい、同一人物とは思えないほどに隙の無い目。


感覚で分かる。
正真正銘、訓練を積んだ実力者のみが醸し出すこの殺気。


「冗談、きつ…」


…この男…何者だ。


有り得ない…あってはならない事実に、状況を顧みない体は勝手に眩暈を覚えた。


よく分かった。
高杉が言いたかったのは…この事だったのだ。


 
「っ…お前…、」

その瞳は、相手が俺である事を確認するなり、瞬間的に明らかに戸惑いの色を映した。
 
「…どういうつもりだ」
 
予想外であったのはお互い様であったらしい。それでも土方は銃を下ろしたりはしなかった。油断というものが一切見えない。
実際、次の瞬間には既にまた冷静な瞳に戻っていた。
 
「答えろ、坂田金時」
 
いつもの柔らかい敬語調など欠片も残っていない。背筋の冷えるような声色で、彼は乱暴に銃に力を込めなおした。
信じられない。本当に、あの土方か。
いつ暴発してもおかしくないほどに膨れ上がった緊迫感が、呼吸音を響かせる。
 
 
「…あんたが変な奴につけられてたから心配で……」
 
ゆっくり答えつつ、そもそもどうして此処に来たのかを思い出してはっとした。
思い出した瞬間、集中すれば確信を持って近づいてくる足音が耳に入る。


…来る。


俺は真っ向から突き付けられた銃身に躊躇いなく背を向けた。
そうするのと、若い男が曲がり角からいきなり姿を現すのとが同時だった。男は予定外であろう近距離に一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにポケットから既に半分抜いていたナイフで切り掛かってくる。

だが、その一瞬の間は余りに大きかった。
動きがあまりにも見え透いていた。
 

俺はそのナイフを楽に叩き落すと腕を捻り上げ、

「…悪い」
 
と一言詫びまで入れてから、延髄に一発、加減して見舞うことが出来た。
 
 
 
 
 
 
 
男の全身から力が抜けたのを確認すると、静かに地面に下ろす。そこで初めて土方のほうを振り向くと、銃を持ったまま腕を組んで壁にもたれ、じっと此方を見ていた。


「…てめェ、何考えていやがる」

もっと驚いた顔でもされるかと思ったが、そこまででもない事にむしろ此方が驚かされる。
弁護士だと自己紹介をして、ずっとそう偽り続けていたのだ。その男が深夜にホストの格好をして現れ、銃を突き付けられて混乱するでもなく、ナイフで切り掛かってきた男を当たり前のように気絶させたりしたら、通常驚愕するものだろうと思うのだが。

少なくとも俺は…土方がホストだった事にも、銃を突き付けて脅しをかけた事にも本気で驚いたというのに。

「何、って…危ねーからだろ」

余りに擦れた向こうのペースに巻かれて、思わず自分の口調も崩れる。

「そんな事を言ってんじゃねェよ」

土方は舌打ちをした。その事実すら意外に思う。
本当、食事している間は舌打ちなんておよそ考えられないような人間だと思っていた。

それが、実際やった所がまさかこんなに似合いだとは。

「何」

「ハジキ突き付けてる相手に平気で背中向けるたァどういう心積もりだったのかって聞いてんだ」

「は…?」


正直、何故そんな当たり前のことを聞くのかと思った。
理由なんて普通に考えれば一つしかないだろうに。




「いや、あんたのこと信用してたからだけど」




口に出すと、先ほどは予想外に驚かなかった彼が、今度は瞳に驚きの色を浮かべたので、不可解に思った。

何故ここで驚くのか、全く分からない。

それを問い掛けようとした時、土方のほうが先に口を開いた。


「…警告だ」


言いながらポケットに銃を戻し、すっと俺の前を横切って路地から出ていく。





「もう、これ以上俺に近づくな」





との台詞を残して。

 
これで、
「土方十四郎」という男に近付くな
、と言われたのは二度目となった。





 
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あきゅろす。
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