打算的な駆け引きに

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身を委ねた日常に絆されていた。


あの夢の先まで 7
 


「トシ、今日足痛めてる?」

友営を掛けているその女の言葉に、思わず緊張を覚えた。ほんの僅かな痛みを回避しようとしただけなのに、分かってしまうなんて。
 
「ああ、これ?ちょっとした不注意で捻っただけ」

「え、不注意?完璧な万年ナンバーワンさんにしちゃ珍しいこともあんだねー」

女は悪戯っぽく笑ってグラスをあけた。その様子に、自然と肩の力が抜ける。
まさか、昨日ナイフで切りつけられちゃって、なんて事が言える筈がない。
そんな事を言ったらどうなるか、頭で考えて内心苦笑した。

どちらにせよ信じるワケねェんだ。

「もうそれ、カッコ悪りィから言うな」

「はいはい…まあでも、お見舞いって事で何か入れたげるよ」

相手によって態度を変えるのにも慣れきっていた。
お望み通りの「トシ」を演じる俺。
騙されている振りをする客。
それで互いに万々歳、だ。

シャンパンコールを掛けながら再び、内心で苦笑した。





*




「そ、足首捻ったっていうからみんな景気つけてー」

「おい、俺言うなって言わなかった?」

コールの際に聞こえてきたそんな会話に、高杉は思わず目を細めてそちらを注視した。
No.1は落ち着いた素振りで細身のスーツを纏った脚を組み替えていた。だが、その動作は確かにやたら慎重に映る。
 
(…何処かのやんちゃと遊んだな)
 
続いて横目で亜麻色の髪の男を見やり、あまり感情を表に出さないその表情に僅かな鋭さを見出すと、片目を再び席へ戻す。
 
高杉の視線が席に固定されるのと、蘇芳色の大きな瞳が高杉の方をチラと一瞬捉えたのが同時であった。



誰も気づかぬ、一瞬のこと。 
次の瞬間には、若干18歳のナンバー2は、無関心そうにコールの文句を並べていた。
 
 
上辺、いつもと変わらぬ情景では有った。
 
 
 
 
 
*
 
 
 
 
 
「遅くなった、ごめん」

声を掛けると、ヘルプに入っていた眼帯の男が客に挨拶して立ち上がった。彼が立ち去るのと入れ替わりに席に着く。

「お帰り。何かさー、向こうのテーブルの時の方が楽しそうにやってない?」

席に着くなり拗ねた口調を投げかけてくる女の声を聞きながら、ブラックの三つ揃えの似合う背中に目をやった。

アイツ、何故ヘルプばかりやっているのだろうか。
まあホストに眼帯は如何なものかと思うが、それでも十分女好きのする容貌をしていると思うし、加えて流石の経歴、接客は相当な腕前だ。しかも、所謂ざるというのか、とにかく酒に強い。酒は好きらしいのだが、どんなに飲もうと潰れるどころかマトモに酔っている所すら見たことが無い。
なのに、指名がなければ初回のテーブルにもなかなか着かず、キャッチにも出向かないというのはどういう訳だろう。

俺の客のヘルプばかりして、やる気がないのか。
いつもテーブルに戻るとアイツと入れ替わりだ。


「あの客と一緒の態度が良いの?」

「だって、ニコニコして楽しそうにやって…」

いや、この客が求めてるのは友営じゃなくて、イロコイ。
何もかも駆け引きだ。
台詞は、当然のように口を衝いて出てくる。

「自分の彼女の席でまで営業スマイル、か」

腕を回していた肩を引き寄せると、人声の響く店内でもよく聞こえるよう、耳元に口を近づける。

「オマエだけは"普通の客"と同じ扱いしたくないんだけど…嫌だった?」

つまりこういう事を言って欲しいわけだ。
望み通りの台詞くらい、幾らでもどうぞ。


打算的な日常に絆されて、考えるより先に回る舌に自分で少し呆れた。





客が帰る段になって送りに出ると、寒気が身を刺した。

…もうこんな季節か。

日本を発つのは年末、刻一刻とその時が迫ってくる。荷物を送るのはいつ頃がいいだろうか。

「んじゃーまた来るね」

「だから、店じゃなくて俺から会いに行くって言ってるのに」

「ほんと?ありがとね」

「信じてないだろお前」

「信じてる信じてるー」

全く真に受けていないのが見え見えなのが助かる。ホスト遊びに慣れきっている女が相手だと、とても気が楽で良い。

本当、ネオンの眩しい街だ。人工的な光線がスーツの一つ釦に使われているスワロに射し入って、足元の影にきらりと輝きを投射した。
通りには金髪があふれ返っていたが、どれもこれも人為的な色彩で、自然で綺麗な金髪は見当たらない。

小さく振っていた手を下ろすと、小さく息を吐き出した。

いつも、「来週」と約束すれば、どんなに遅くとも週半ばまでには曜日や時間の空きをメールで聞いてくるのだが、今週は木曜の夜の今になってもまだ連絡を寄越さない。

この間店に来たと聞いたが、何か関係しているのか。
それとも、もう礼はし尽くしたという事かもしれない。
約束したと言えども、単なるリップサービスとも考えられる。

彼は俺よりも"ホスト"なのだから。




「どうしたよ?思わしげなツラして」

店内に戻ろうと踵を返すと、入り口の脇に立つ男が嫌でも目に入った。自然と自分の口から重い溜め息が漏れる。

「ちったァ働いたらどうだ」

「俺の売り上げを気に掛けてくれるとは嬉しいね」

「キャッチでも行けよ」

「ちょうど今出ようと思ったところだ」

今まで一度もキャッチなんかしてきた事が無いというのに、彼は淀みなくそう告げた。

「行くならさっさとやって来い」

「オイ、俺の質問は無視かァ?」

横を擦り抜けて戻ろうとすると、ガッと肩を掴まれて制止を掛けられた。香ったのは、エゴイストプラチナム。そこら中のホストが付けている香水だが、此処まで似合う者にはなかなかお目に掛かれない。

ネーミングからしてぴったりだからだろうな、と土方は心の中で毒づいた。

「質問?忘れたな」

「何かご憂慮がお有りの様で」

「んなもんねーよ」

睨み付けると、そいつは俺の苦手な笑みを口元に浮かべた。

「見え透いてんぜェ、トシさんよォ」

「急いでんだよ、明日も仕事あんだ」

「じゃ、今度お聞かせ願いたいね…プライベートで?」

「生憎そんな暇もねェ」

言いながら肩を掴む手を払いのけようとすると、俺がそうする直前に奴はパッと手を放した。

そのまま、振り向かずに店への階段を降りる。
後ろから微かに聞こえた台詞と笑い声は気に入らなかったが、わざわざ振り向いて話したって、どうせろくな事はないだろう。


『誰かさんとは茶ァ飲む時間取ってやがる癖に、つれねェよなァ…』


何処からそんな話が出てくる。

コイツのこういう所が本当に苦手だ。
本来ならもっと根本的な意味で…、例えば男相手に好みだのつれないのと言っている時点で嫌悪感を抱くべきなのだろうが、それよりも。
この何か含んだような笑い、物言い。

信用しない方が良い相手だろう。
元よりこれっぽっちも信用なんざする気はねェが。


それにしても憂慮、ね。
そんなツラするような事考えちゃいなかったと思うが。




「土方さんアンタ、近藤さんに報告は上げたんですかィ」
 

控え室に戻るなり、抑えた声で問い詰められた。
ソファーに横になっている男は、スーツの中に着ていたV字開襟のカットソー一枚という出で立ちで足を投げ出していた。部屋の照明がラメで描かれたデザインを華やかに見せる。
 
全く、そこら中で厄介な奴に会う。

「何の話だ」
 
適当に切り返してロッカーに近寄ると、厄介なことを言われる前に立ち去ろうという思惑が手伝って、いつもより心なしか乱雑に荷物を纏める。

「随分派手に足をお捻りになったんでしょう」
 
沖田が嫌みったらしい台詞を投げた。
 
「ああ、足を捻った」
 
深い突込みを許さじと、一語一語区切るようにはっきりと発音してやる。同時にロッカーをバタンと閉め、荷物を肩に掛けた。
 
「…それをいちいち報告しろと?」
 
答えなど求めずに部屋の出口へ向かうと、背後に脈絡の無い台詞が突き立った。
 

「副長の交代は、まだ公表しないんですかィ」
 
「ああ…、」
 
苛々させているのは分かっている。せっかく念願の職に就こうとも、それを誰にも知らせられないのでは面白くないだろう。
だが今…、対立する晴鮫会との緊迫状態が続く中、この時期の副長交代は不味い。
組内が不安定ですと相手に知らせるようなものだ。それに。
 
「暫くは無理だろう、状況見ろや」
 
土方は言葉を返しながら、左足の靴底を床にコツンと一度打ち付けた。振動が痛みに変わって神経を伝う。

…副長はこういう目に遭う事になる。
 
 
今日も早く出ねばならないのはそれだ。まあ昨日の今日で無いとは思うが、絡まれるのを避けるため。
一歩間違えば命に関わる事だから、念を入れるに越したことは無い。

昨日とて、本当は背後の気配など無視したかったのだが、あまりにしつこく尾けてくるものだから、一般人に迷惑を掛けないためにも路地裏に誘導してやり合わざるを得ない状態になったのだ。

オモテの仕事がある以上、なるべくは厄介を起こさぬようにせねばならない。

そう考えてナイフ相手に素手で応戦、それでも割と楽に相手は地に伏せた。
その隙に立ち去ろうとしたのだが…、まあ、手加減をしすぎた。
意識のあったらしい男は、伏せた身で突如真後ろから足を切りつけて来やがった。そうは言ってもあの至近距離、すぐに物音に気づき避けたから掠る程度で済んだ。
だがもしあれがあと僅かに遅れていれば、腱を切られて後手に回っていたかもしれない。


出口でもう一度コツコツと爪先で地面を叩いて痛みの度合いを量り、スラックスのポケットに手を突っ込んでサイズの割に重い金属の存在を確かめて、店を後にした。
 
 
 
 
 
*
 
 
 
 
 

よく飽きもせず。

後ろを尾けてくる二つの気配に内心呆れに近い感情を覚えつつ、気を抜くわけにもいかない。

一人で駄目なら二人ってか。
大体、何故此処まで執拗に狙われるのだろうか。連日この調子で来られては、撒くにしろ相手するにしろ面倒だ。
今のところ自分の私宅だけは向こうさんには知られていないはずだった。未だ組長達の所に居座っていると思っているだろう。
もうあそこを出て五年以上経つが、常に私宅を隠し通すのには本当に気を使ってきた。だから相手しないならば何が何でも撒かなければならない。
 
そんな不確実な事をするよりは。
 
 
裏通りを求めて巡らした踵は、昨日と同じ路地裏へピタリと向けられた。まあ、もし相手が昨晩の男と同一人物であったら動きを読まれて厄介ではあるが、あの男であるなら全く同じ手を使ってくる筈が無いだろう。
 
 
速くもならず遅くもならず、引き離さず追いつかせず、絶妙な速度でそちらへと歩いていく。
そして、辿り着いた横道へスッと右に折れると、すぐにくるりと向きを変えて息を殺す。

…さて。
この狭い路地で二人来られては…正直キツい。
あの二人の間には少し距離があった。
迅速に片付ければ一人ずつ相手出来るか。
 
こんな所で仕留める気など無いが、威嚇にはなる。
 

ポケットに手を突っ込んで徐に小型拳銃を取り出すと、今にも路地を曲がってくるであろう相手へ向かって構え、親指で安全装置をカチリと解除した。
 
 
 
 
 
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